第一章 無説坊

第一話  雪見の夢

 夜の森が広がっている。

 月は半月。薄雲がかかり、輪郭が曖昧になっていた。

 森の中にいくつもの人影がある。朧な半月を肴に盃を掲げる着物姿の老若男女はみな笑っていた。

 薪木がはぜる音も霞むほど、賑やかな宴。時折、狸妖怪が料理や酒の乗った膳を運んでくる。


「郎党もずいぶん増えましたね」


 山の中腹から中性的な青年がにぎわう宴を見下ろしている。

 青年の隣に座る優美な少女がくすりと上品に笑った。


「三百ほどいるもの」


 夜闇にそれとわかるほどの漆黒の髪と瞳、クロアゲハを思わせる優美さ。近くの郎党が思わず目を奪われるほどのその美しさに、中性的な青年は何の反応も示さない。

 無反応な青年を少女が不満そうに睨む。

 それでも無反応な青年が月を見上げるのに合わせて、少女が串団子を一串取った。


「それはそうと、このお団子美味しいよ」


 すっと差し出された串団子を見て、青年が肩をすくめる。

 きな粉がまぶされたその団子は先ほどまで少女が食べていたのと同じ皿に載っている。だが、まぶされたきな粉の色合いがわずかに異なっていた。


「暗いから分からないと思いましたか? きな粉に混ぜて何をまぶしたんです?」


 少女が不満そうに頬を膨らませた。


「ちぇっ、なんでわかっちゃうかなぁ。ちょっと生薬を混ぜただけなのに」

「あの苦い奴ですか」


 青年が呆れたように言いながら、団子にかかったきな粉と生薬を落として口へ運ぶ。

 まだ、少しばかり苦かったか、顔をしかめた青年を少女が覗き込んだ。


「甘くしてあげようか?」

「姫とは違い、大人は苦い方を好みますので、結構ですよ」

「強がらなくていいよ?」


 姫と呼ばれた少女の浮き浮きした表情で青年は何かを察したらしい。

 誰でも察するだろう。どう答えても、いたずらの二の矢が飛んでくるのだと。

 少女の手元にはいたずらに使えそうな道具がない。となれば、団子を甘くする何かを持って来る協力者がいる。

 さもなくば、


「深読みさせておいて、実はなにも用意していませんね?」

「なんでわかっちゃうかなぁ」


 不満を口にしながらも楽しそうに笑う少女は、眼下の山の一角を指さした。


「見覚えのない半妖がいるね」


 指さす先へ視線を向けた青年が口を開く。


「柏巴の連中です。祭りをするなら余興に混ぜてほしいと言ってきたので、許可しました」

「柏巴って狸の郎党の? あ、変化した」


 山から一匹の巨大な龍が立ち昇り、空中で花火のように散ったかと思うと数十羽の輝く鳥となって柏巴の紋を描く。

 余興を買って出るだけあって、淀みもなく実に巧みな連携変化だ。


「見事、見事」


 黒い瞳を輝かせて手を打つ少女の言葉に応えてか、柏巴の紋が解れて二羽の蝶が向かい合う紋を描きだす。

 対い蝶。この郎党が掲げる紋。

 山に集った三百余名の半妖たちが歓声を上げる。

 青年が細めた目に剣呑な光を宿す。


「柏巴の狸共め。同盟の外堀でも埋めたつもりか」

「別に構わないよ。どこの家とも結びついていない郎党だから高天原参りでぶつかることもないでしょ。向かってくるなら別だけど」

「姫がそうおっしゃるなら」


 変化を用いた余興が受け入れられたか、柏巴の半妖たちも酒盛りに加わり始めている。

 ふいに、視界の端で白い何かがちらついた。

 少女が白い手の平を空にかざした。


「……雪」


 ぼそりと呟く少女の言葉に空を見上げれば、淀んだ空から白い粒が降ってくる。

 雪見酒とは風情な、とはしゃぐ半妖たちを眼下に見つつ、青年が手を振るう。


「姫、紅い傘でよろしいでしょうか?」

「雪に映えるものね」


 青年が左手を上げた直後、妖力で作られた紅い唐傘が花開く。唐傘というには巨大な、野点傘といった方がいい大きさだ。

 自立するその野点傘の下から青年が眼下の宴を見た。

 半妖たちがこちらを見ている。半妖は只人よりはるかに頑丈だが、寒いものは寒い。雪を被れば風邪もひく。


「あぁ……そりゃあ、そうなるか」


 困ったように頭をかく青年の横で少女がくすくす笑っている。

 少女の後ろで気配を消していた下女までも穏やかに笑っていた。

 山の各所に百近い野点傘が咲き乱れる。

 再び祭り騒ぎを始める半妖たちに少女が笑う。


「祭に雪見に、贅沢な夜になるね」


 ※


 布団の温かさを認識した直後、折笠は目を覚ました。

 ついさっきまで、雪が降る肌寒い山の中で宴に興じていた感覚が残っている。


「明晰夢ってやつ? 初めて見たな」


 不思議と、意識がはっきりしていて寝ぼけていない。夢の中でさえ、自分は目が覚めているという漠然とした感覚があったほど。

 夢だったはずなのに、記憶にこびりついている。青年の顔も少女の顔も、郎党と呼ばれていた半妖たちの顔さえ脳裏に描ける。


「なんか落ち着かないな」


 ぼやきながら布団を出た折笠はケサランパサランを入れたクッキー缶を覗き込む。

 ケサランパサランの姿が消えていた。

 逃げてしまったのかと、キッチン周りを探してみるがふわふわな綿毛一つ落ちていない。


 あの明晰夢がケサランパサランの運んできた幸せだとすれば、なんとも中途半端な気がする。一宿一飯の恩などその程度なのだろう。

 恩着せがましく言う気もないので、折笠は窓を半開きにして朝食の支度を始める。

 レタスを包丁で切りながら夢の内容を反芻していると、とある単語が気になった。


「高天原参りってなんだ?」


 高天原といえば神道で天津神が住むとされる場所だ。

 夢の中にいた郎党も高天原参りのために集められている風だった。

 折笠自身、半妖の身だ。妖怪に出会ったこともあるし、神がいてもおかしくない。流石に会ったことはないが。


 もう一つ気になることがある。

 姫と呼ばれていた少女が口にした、ぶつかるという単語だ。

 会話の流れからして、郎党同士は争う関係にある。

 高天原参りには何らかの争いごとがあるのか。


「いやいや、夢の内容に何マジになってんだってーの」


 笑い飛ばしつつも、ケサランパサランを拾って見た夢だと思うと何ともすわりが悪い。


「神社にでも行ってみるか」


 高天原なら神社だろうと安易な発想で、折笠は外出を決めた。

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