第二話 陰陽師
市内に神社はいくつかあるが、氏子でもない折笠にとってはどこも同じだ。
旅行パンフレットをもらいに行くついでに神社に寄ればいいだろうと、折笠は駅前の神社を選ぶ。
市内ではそこそこに大きく、社務所にいつも神主かその妻らしき女性がいる神社だ。高天原参りとやらが何かは分からないものの、神主一家なら何か聞いたことはあるかもしれない。
もともとダメもとで尋ねるんだし、と折笠は気楽に神社へと歩いていたが、ふと視線を感じて周囲を見る。
「なんかいつもより人が多いな」
駅前でイベントでもやってるのかとも思うが、覚えがない。会場設営は割と金払いの良いバイトになりがちで、折笠が見落とすとも考えにくい。
なんだろうと思いつつ、折笠は鳥居をくぐる。いつもは人がいることもまれな境内にも今日は三人の男性がいた。
社務所に向かう。お守り、おみくじなどが置かれた売店を兼ねた社務所だ。
受付には神主がいた。一昨年の夏祭りで出店の設営バイトに入った際に見かけた中年男性だ。
向こうは折笠を覚えていないのか、商売用の笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい。学業のお守りですか?」
「いえ、旅行の安全祈願のお守りを下さい」
「二百円になります。色の好みはありますか?」
「赤で」
赤いお守りを用意してくれる神主に、折笠は世間話を振る体で尋ねた。
「神様って高天原にいるんですよね?」
「そうですね。まだ神無月ではないので、ここにもいらっしゃいますよ」
十月に神様が集まって会議をするんだったか、と折笠も思い出す。神様が集まる出雲では神在月、他の地域だと神無月と呼ばれる。
「そうなんですね。神様が高天原に行くのって、高天原参りって呼んだりします?」
代金を差し出しながらの折笠の言葉に、神主の手が一瞬止まった。
神主の視線が折笠の後ろに向かう。
ぞわっと、折笠は背筋に視線を感じて思わず振り返る。
境内にいた三人の男性が一斉に折笠を見つめていた。
だが、折笠は三人の男性とは別に、鎮守の森の木陰からこちらに鏡を向けている女に気が付く。
通常の鏡ではない。銅鏡だ。
銅鏡の女が血相を変えて鎮守の森を飛び出す。それを見た折笠は全身に力を入れた。
「――唐傘お化けの半妖です!」
銅鏡の女が折笠の正体を看破すると同時に三人の男性がポケットから財布のようなものを取り出した。
その頃には、折笠は半妖化を完了させて社務所の屋根に飛び乗る。
男たちが財布から札を出した。
「逃がすか!」
金色の字が書かれた札が三枚、宙を舞う。
札が変形し鉄の斧となって折笠に飛んでくる。
「危なっ!?」
社務所の裏に飛び降りて斧を躱し、全速力で境内を飛び出す。
振り返れば、三人の男が追いかけてきていた。おそらく、女は先回りしているのだろう。
「陰陽師かよ。面倒くせぇ」
折笠も妖怪と戦っている陰陽師を遠目に見たことが何度かある。だが、襲われたのは初めてだ。
半分妖怪の折笠だが、逆に言えばもう半分は人間。人に危害を加えていないのに陰陽師に襲われるのは想定外だった。
「あんたらなんだよ! 俺が何した!?」
「半妖だろう! 大人しく捕まれ!」
「まさかの半妖全部殺すマンかよ……」
何をした、と聞いて存在していると答えてくる相手に捕まったら何をされるか分からない。いきなり鉄の斧を投げつけてくるような連中だ。命の危機である。
折笠は男たちとの距離を測る。
半妖化している限り、折笠は人間よりもはるかに身体能力が高い。ジャンプ一つで建物の三階に手が届く。
そんな折笠と付かず離れずの距離を保って男たちは追いかけてきている。陰陽術によるものなのか、他のカラクリがあるのか。
折笠は視線を正面に向けなおす。
神社に来るまでは人通りが多かったはずだが、今は閑散としている。陰陽師が人払いの結界でも張ったのだろう。
つまり、折笠に先行して人払いの術を使っている陰陽師がいる。
やけに人通りが多いはずだ。すれ違った人間の何割かは陰陽師だったのだろう。
だからこそ、この状況は解せない。
折笠の存在を陰陽師が知っていたはずがないからだ。別の目的があってこの周辺に陰陽師が網を張っており、そこにたまたま引っかかったのが折笠なのだろう。
後ろの連中を撒いてしまえば、深追いしてこないのではないか。
折笠は民家の屋根に着地して右足を軸に反転、三人の陰陽師へ右手を大きく振り抜いた。
唐傘が男たちの前に出現する。一つや二つではなく、二十を超える唐傘が彼らの視界を一瞬で塞ぎ、折笠の姿を隠す。
「――
野太い男の声が響いた。
巨大な金色の鎌が折笠の作り出した無数の唐傘を薙ぎ――払えずに砕け散った。
「なっ!?」
「唐傘だろう!? 木気じゃないのか!?」
「考察など後にしろ。あれを見失うな!」
男たちの驚愕の声と怒号に折笠はビビりながらも、一気に距離を空ける。
五行相克、木火土金水の理がある。
陰陽師の男が想像したのは、水気の雨を退けるなら土気、もしくは木材や紙を使用するから木気。土気であれば効果が高まり、木気であっても木を刈れる金気の術を使う。そんなところだろう。
考え方としては正解だ。大正解と言っていい。
だが、雨だろうが霰だろうが雹だろうが、差している主人に影響を及ぼさせないのが傘の本懐だ。
傘の妖怪である唐傘お化けの半妖である折笠が作り出した傘は、その強度で耐えきれる限り本懐を遂げる――盾になる。
と、理解していても折笠は逃げる以外の選択肢を取る気がなかった。
なにしろ、相手は妖怪退治の専門家である陰陽師だ。妖怪どころか半端者の半妖である折笠が真正面からぶつかって勝てるとは思えない。
勝てたとしても、
「老子だっけ? 荘子? あ、どっちも思想家だから違うのか」
この程度の知識でしかない折笠でも知っている諺、または有名な標語がある。
「三十六計逃げるに如かずってな!」
全速力で戦場を離脱する折笠は、背後の男たちが見当違いの方向へ向かう足音を敏感に感じ取り、塀の陰に身を潜める。
足音が遠ざかる。
息を潜め、気配を殺し、折笠はただただ周りの音に集中する。
――だからこそ、気付けた。
身を潜めた塀に金気が集う。
弾かれたように折笠は地面を転がる。手入れがされていない塀と家の僅かな隙間。逃げ場などほとんどないその狭い空間を転がる折笠の鼻を雑草がくすぐる。
くしゃみをする余裕もない。
塀から生えた鉄の茨が狭い空間を埋め尽くし、折笠に迫る。
鉄の茨は折笠の回避先を埋め尽くすべく、塀を乗り越え民家を這い上がり、空間を鉄の棘で埋め尽くす。
くらっても死にはしない、だが痛みに悶絶して身動きができなくなるだろう空間攻撃に、折笠は引き攣った笑みを浮かべ……呟く。
「――うぜぇ」
一拍の間。
鉄の茨を展開した陰陽師は失策を悟る。
鮮血より鮮烈な紅色の唐傘が鉄の茨をはね飛ばす。開かれたその唐傘がそのまま突き出され、塀のそばにいた女陰陽師を宙へとはね飛ばした。
込められた霊力が相殺された鉄の茨が音もなく消失していく。
折笠が屋根を踏みしめる音だけが微かに鳴った。
「――半妖なんだよ、俺」
青地に赤い彼岸花が描かれた唐傘を差して、折笠は民家の屋根に立つ。
意識があるかも定かではない女陰陽師に向けて、折笠は続けた。
「人だからさ。倫理観があるんだ。だから、怪我をさせたくないわけ」
トントンと唐傘の柄で肩を叩いて、折笠はこれ見よがしにため息を吐く。
「でも、お前らは俺を妖怪として扱ったな。なら、妖怪として戦うしかないよな。人間として生存権ってやつを守るしかないんだよ。……妖、人のどちらの立場でもお前らは
折笠は倒れている女陰陽師から、周囲へ目を向ける。
一人、三人、七人……おそらくは十四、五人の陰陽師が折笠を包囲している。
折笠の心奥が何かを訴えている。突き動かしている。
――衝動が突き上げている。
「陰陽師なんぞ、残らず殺――」
高揚した戦意をそのまま言葉にする折笠を遮るように、数えるのも馬鹿らしいほどのクロアゲハが周囲に舞い上がり、視界を埋め尽くした。
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