半妖はうつし世の夢を見る

氷純

プロローグ

「お世話になりました!」


 よく通る声で最後の挨拶をするのは明るい茶色に髪を染めた青年だった。

 身長はやや高めながら細身な体型、子犬のように愛嬌のある顔に少し申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 そんな青年、折笠直仁おりかさなおひとの手からバイトリーダーが名残惜しそうにロッカーのカギを受け取った。


「マジで辞めちゃうの? 折笠さんがいるといないじゃ売上も違うんだけど」

「引き継ぎはしときましたから。店長にも言ってありますし、すぐに元通りになりますよ」

「寂しくなるなぁ。たまには顔を出してよ」

「奢ってくれるんですか? ありがとうございまーす」

「違うってーの!」


 折笠にバイトリーダーが苦笑する。

 それを合図に、折笠は踵を返した。


「変装してこっそり来店しますよ。気付いたら声をかけてください。お世話になりました」


 もう一度、別れの挨拶をして折笠は歩き出す。

 寂れた商店街を抜けて夜道を歩く。初夏の生温い風が頬を撫でた。

 街灯の白い灯りを何とはなしに見上げて、ほっと溜息。


「十八歳かぁ。自覚ないなぁ」


 バイトを辞めたのは十八歳になったから。前々から、この歳になったらどこかに旅行に行こうと決めていた。日程は決めず、行き先さえ決めず、風に流れるように数日を旅行先で過ごす。そんな気ままな旅行をしたかった。

 バイトで貯めた金額は二百万。高校中退の身とはいえ、良く稼いだものだと思う。

 誕生日ケーキくらいは買って帰ろうかとスマホで時刻を確認する。現在夜二十一時。ケーキを買うならコンビニかスーパーしか選択肢がない時間だ。

 やっぱりいらないかな、と優柔不断に決めかねた時、視界の端を白い何かが漂った。

 蛾でもいたかと目を向ける。


「……綿毛? いや、でかすぎるか」


 折笠の拳と同じくらいの大きさの白い毛玉がふわふわ、ふらふらと風に流れている。

 折笠の頬をまたぬるい風が撫でて去る。そよ風程度のその風であの大きさの毛玉が舞うとは考えにくい。

 明らかに物理法則を無視したその白い毛玉の正体に思い至り、折笠はあたりを見回して人がいないのを確認した。

 折笠が全身にわずかに力を籠める。ただそれだけで、常人には折笠の姿が見えなくなった。


 ――半妖化。


 折笠は生まれつき、人に見えない姿になれる。幼い頃は制御もできず、両親を含めた親族から神出鬼没と不気味がられたものだ。

 あの反応からして血筋によるものではないのだろう。突然変異か何かだ。

 自分が妖怪と人の特徴を併せ持つ半妖だと知ったのは、小学生の時の遠足で偶然出会った天狗に教えられたから。

 妖怪の魂に当たる妖核を取り込むなどでその人間は半妖となり、血筋にも半妖が生まれるようになる。


 折笠は右手を軽く振って、その手に生じた柄を握りこんだ。

 柄の先には目を惹く紅い唐傘がついている。飾り気もなく太い柄は質実剛健そのもので、少し野蛮な印象を受ける。

 唐傘お化け、それが折笠の身体にある妖核の正体。

 古くから伝わる妖怪ではあるが、取り立てて伝承も多くない。外見ばかりが浮世絵などで伝えられるマスコット的な妖怪だ。


「捕まえたっと」


 唐傘を開いてふわりと漂う白い毛玉を掬い上げるように捕らえる。唐傘の内側で籠のようになった内骨に添ってころころと白い毛玉が転がる。


「おぉ、ケサランパサランだ。初めて見た」


 持ち主に福を呼ぶとされる妖怪だ。折笠も初めて見る。本物かどうかも分からないが、十八歳の誕生日に拾ったのはなんとなく運命を感じるところ。

 旅の無事を願う意味も込めて、一晩面倒を見てみよう。そんな打算的な考えを巡らせつつ、指先でケサランパサランをつっつく。

 絹のようなすべすべさらさらの質感にもかかわらず、芯がなさそうなふわふわ感。ペットであれば人気爆発間違いなしの手触りだ。

 目や口も見当たらず、どこを向いているのか、そもそも動物か植物かも分からない。

 何とも不思議な拾い物を唐傘から取り上げ、潰してしまわないよう左手にそっと乗せる。

 風が吹いても舞い上がることなく折笠の手に収まるあたり、何らかの意思のようなものは感じられた。


「餌は白粉だっけ。かたくり粉でもいいかな。ジャガイモとトウモロコシのどっちがいい?」


 声をかけても返事はない。

 そもそも本当に餌が必要なのかも分からない。

 一人暮らしのアパートに帰り着き、半妖化を解いて扉の鍵を開ける。半妖化していても壁をすり抜けたりはできないのがもどかしい。

 ビスケット缶にハンカチを敷いてケサランパサランをそっと置く。生きているのか死んでいるのか、微動だにしなかった。それでも何となく可愛らしい気がするのはふわふわ感のなせる技だろう。

 かたくり粉を缶の端に少量盛って、蓋を半開きにしておく。呼吸が必要かすら不明だが、窒息させてしまうよりは逃げられる方がいい。


「おやすみ」


 この言葉を口にするのは何年振りだろうと思いつつ、折笠は夕食を作るためキッチンへ戻った。

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