第八話  根絶やしの夢

 立派なお屋敷だった。

 石灯籠に照らされた梅の花が美しく、残り雪から顔を出す青々とした松の葉すらも艶やかだった。

 他所より黒い瓦屋根に漆喰の白壁の対比の綺麗な屋敷。桧の縁側はわずかに香る。

 そんな立派なお屋敷だった。


 今は見る影もない。


 石灯籠は倒されて、首を折るように伐り折られた梅の断面は荒々しく、踏み荒らされた泥交じりの雪の無残さをまだ青い松の葉が強調する。

 割れ砕けた瓦屋根が随所に散らばり、漆喰の白壁は煤に塗れ、桧の縁側から燃える火が屋敷全体へ及び始めている。


 右手に壮年の男の首を掲げ、半妖の男は憎悪と憤怒を具現化したような顔で配下に吠える。


「根絶やしにしろ。この屋敷の陰陽師を一人足りとも逃がすな!」


 この場に集うすべての妖怪と半妖が強烈な殺意を身に宿し、屋敷の各所へ散っていく。

 火にまかれて転げ出てきた若い陰陽師の男が庭先の半妖の男を見つけてその場に跪いた。

 涙と鼻水で汚れた顔を地面に擦りつけるようにして、必死に懇願する。


「女子供は見逃して――」


 最後まで言葉を紡げず、若い陰陽師の男は見えない何かに上から押し潰された。

 半妖の男は軽蔑の視線で地面に染み込んでいく肉と骨と血を見下ろす。


「始めたのはお前らだろう」


 吐き捨てた半妖の男の頭上に左二枚柏巴の紋を大きく掲げた和船が到着し、一匹の狸妖怪が降りて来る。

 半妖の男の背後に立った狸妖怪は右手に少年の首を持っていた。


「他の陰陽師家に逃げていくところを捕らえ、首を刎ねた。かまわないな?」

「柏巴の怒りもわかる。俺はこの家を根絶やしにできればいい」


 首が集められている庭の一角へ少年の首を放り投げた狸妖怪が半妖の男に問う。


「高天原参りはどうする?」

「はっ、いまさら何を願う?」


 なげやりに言って、半妖の男は燃える家を睨んでいた。



 凄惨でグロテスクな夢だったのに冷や汗一つかいていない自分に驚きながら、折笠は布団をのけた。


「……なんだ?」


 自問自答する。

 おそらくはかなり力を持った陰陽師の家を対い蝶の半妖たちが襲撃する夢。左二枚柏巴の狸妖怪も別動隊として動いていたようだった。

 今までの夢は戦闘においてもどこか楽観的な空気が流れていた。しかし、今回の夢は違う。


「相手が陰陽師だからか? 違うよな」


 この夢は明らかに復讐だ。『始めたのはお前らだろう』という言葉は因果応報を意味しているような気がした。

 なによりも、折笠の中で腑に落ちるのだ。


 夢の間中、折笠の胸中には自業自得という思考が渦巻いていた。

 夢の最後、半妖の男が高天原参りを断念するように『いまさら何を願う』といった時、折笠は泣きたくなるような切なさと不甲斐なさでいっぱいになった。

 陰陽師家の凄惨な状況よりも、半妖の男に対しての感情でいっぱいになったのだ。


「……あれ? 不甲斐なさ?」


 口にしてみて、折笠は違和感を持った。

 感情としては不甲斐なさで間違いないはずだ。

 だが、不甲斐なさを感じたことに、違和感があった。

 なんだろうかと違和感の正体を探って頭を捻るも何も思い浮かばない。そもそもが夢というあやふやなものだ。考察するなら確定している情報に絞った方がいいと判断し、折笠は部屋を出た。

 隣の部屋の襖越しに、黒蝶に声をかける。


「おはよう黒蝶さん。起きてる?」


 返事が返ってくるまで少しの間があった。起き抜けで頭が回っていないのだろう。


「おあよう」


 頭どころかろれつが回っていない。折笠の声で目が覚めたらしい。


「おはよう。頭が冴えたら部屋に来て。夢の話をしよう」

「うーん」


 生返事だが、部屋の外に聞こえる声量なら意識はある。

 折笠は部屋に戻って、窓の外を見た。

 久々に陰陽師の襲撃を警戒しないで眠ったおかげもあって、太陽はすっかり昇っている。スマホで時刻を確認すれば、午前十時半を過ぎていた。


「壮観だな」


 明るい陽の下で見ると、この霊道の全景が見渡せる。

 江戸時代の街道沿いの旅籠町を豪奢にしたような、和の凄みを感じさせる景観だ。

木造の建物に白漆喰や赤漆の柱が目を引く。金粉、金箔が程よく、しかし無意味に使われているのは狸の趣味なのか。


「そういえば、金箔を伸ばすのに皮を使ったんだっけ」


 つまりあの金箔や金粉は自虐なのか。そこまで考えて、折笠は見なかったことにした。

 部屋の外から黒蝶の声が掛けられる。


「おはよう。入っていい?」

「どうぞー」

「どうもー」


 襖をあけて、黒蝶が入ってくる。部屋に備え付けの和服を着た黒蝶を見て、折笠は硬直した。


「なんで着られるの?」


 和服の着付けはもはや特殊技能だと思っている折笠の素朴な質問に、黒蝶は得意そうに華やかな笑顔を見せる。

 黒蝶が来ている着物の柄は西洋風の幾何学模様を取り入れた杏色。複雑な柄で豪奢なその着物に目がいかないほど、黒蝶の笑顔は華やかだった。


「勇気はいるけど、似合ってるでしょう?」


 折笠の素朴な質問の答えではない。会話がかみ合っていない。

 かみ合っていないこの会話の流れを修正する勇気が、折笠にはなかった。


「うん。凄く綺麗だよ。陽の光の下で見たいから、散歩しながら話そうか」

「しょーがないなー」


 ニコニコしながら廊下に手招く黒蝶を見て、折笠は悩む。

 あの凄惨な内容の夢を話せる空気感ではないことを。

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