第七話  左二枚柏巴

 折笠たちの話を聞き終えると、いつの間にかそばにいた小狸の豆介が声もなく泣いていた。


「若ぇのに、苦労したんだなぁ。そんな年で駆け落ちなんてよっぽどのことがあったんだろうとは思ってたが……ぐすっ」

「話を聞いてた?」


 駆け落ちなんてロマンスはどこにもなかったはずだ。

 墨衛門は豆介の言葉に突っ込みもせず、湯呑を見て「おっ茶柱」なんて言っている。


「話は分かった」

「豆介君の後だと不安だらけ」


 黒蝶が指摘すると墨衛門が笑う。


「この間、意中の雌狸に振られたばかりらしいんだ。許してやってくれ。それよりも本題だ。まず、高天原参りとやらは噂以上のことは知らん」


 墨衛門は大正時代から生きているというかなり古い妖怪だ。

 それでも、高天原参りについては噂でしか聞いたことはなく、眉唾物だと思っていたらしい。

 当時の墨衛門は変化の修行に明け暮れる若造で噂の真偽を確かめるどころでもなかった。修行中の身で江戸時代から生きている妖怪へ話を聞きに行けるはずもない。


「江戸の頃から生きているような大妖怪となると、渡りをつけるのも難しい。気になるのは、無説坊が高天原参りについて知った経緯の方だ。何か聞いていないのか?」


 無説坊とは知り合ってすぐに呪いの影響で会話ができなくなった。それらしい素振りもなく、折笠と黒蝶は揃って首を横に振る。

 地元の妖怪たちに聞けば無説坊の交友関係を洗えるかもしれないが、陰陽師に追われている現状では地元に帰るのは危険だった。

 墨衛門が腕を組んで唸る。


「うーむ。夢のことといい、あやふやな情報ばかりだ。ただ先の話で俺たちに聞きたいのは柏巴の郎党についてだろう?」


 折笠と黒蝶の夢に出てきた男女、対い蝶の郎党と同盟関係にあったらしい狸の郎党、柏巴。

 高天原参りについて知らない以上は、こちらの情報は欲しい。


「なにか知ってるのか?」

「知ってるも何も、ここがそうだ」


 墨衛門は畳を指さす。


「東京狸会は江戸狸会合と呼ばれていた。その前が、柏巴だ」


 柏巴は実在した。それだけでも収穫だ。

 夢の信憑性が高まったと内心で喜ぶ折笠に、墨衛門が続ける。


「室町時代の頃から、各地の狸妖怪が集まってこぞって柏巴の紋を掲げた。場所や時代によっても紋の意匠が異なる。その夢に出てきた紋を正確に書けるなら、こちらで照合してやろう」

「そんなことまで頼めるのか。ありがとう」


 なにか書くものを、と墨衛門が豆介に声をかけるより早く、折笠は手のひらサイズの小さな唐傘を作り出し、そこに柏巴の紋を浮かばせる。普段やっている柄物の唐傘作成の応用だ。


「黒蝶が見たのもこの紋だろ?」


 柏葉が二枚、左回りに組み合わさった巴の紋。

 葉の葉脈の数まで正確なそれに、黒蝶が素直に拍手した。


「完璧!」

「というわけだ。これを頼む」

「……こいつぁ」


 墨衛門が鋭い目付きで柏巴紋を睨む。


「左二枚柏巴、東北の狸妖怪の中でも最強格の武闘派集団の紋だ。戦国時代に東北狸を統一し、陰陽師と抗争を続けて江戸時代の末期に解散したとされている」


 墨衛門いわく、この紋を掲げていた狸妖怪たちは結成当初は大人しい集団だった。

 得意の集団変化で東北妖怪を楽しませる旅一座のような生活をしていたらしい。

 しかし、戦国時代の末期に突然性質が変化、他の狸妖怪との交流をほとんど絶って、全国の陰陽師を相手に暴れ回った。その凶暴さはすさまじく、狂犬病ではないかと噂されたほど。


 一般的に、狸妖怪は強い妖怪ではない。例外的な個体はいるものの、ほとんどがドジで変化でも尻尾を出しやすい間抜けな一面がある。


「そんな狸妖怪がいまだに絶滅していないのは、この左二枚柏巴が残した武装変化の数々や戦闘技術があるからだ」


 墨衛門は手のひら大の唐傘をくるくると指先で回しつつ、若干の感謝と畏怖を込めて言う。


「江戸時代に入ると東北に籠るようになった左二枚柏巴は江戸の中頃に再び陰陽師への攻勢を開始、最盛期を迎える。……そうか、出雲入りしたという話が残っていたな。全国で暴れていたのになぜ出雲入りだけがことさら語られているのかと疑問だったが、高天原参りだったのか」


 墨衛門の中で話が繋がったらしい。


「すると、疑問がいくつか出て来るなぁ。なんで陰陽師連中は高天原参りをひた隠しにしてんだ?」


 墨衛門の自問はすでに折笠も黒蝶と話し合った。

 高天原参りが天津神に願いを叶えてもらう儀式だとするなら、陰陽師は高天原参りを隠す必要がない。

 陰陽師自ら儀式を行い、天津神に『高天原参りを止めてほしい』と頼めばもう誰も儀式ができない。そうでなくても、『世界から妖怪を消滅させてほしい』という願いでもいい。

 折笠は黒蝶と相談した結果、一つの仮説に至っている。


「多分、陰陽師は高天原参りができないんだと思う。それが無説坊の言っていた願いを叶えてもらう条件に関わってるんだ」


 折笠の仮説に墨衛門は一応納得する。


「ここであれこれ考えても仕方がないな。東北の狸妖怪に連絡を取ってみよう。左二枚柏巴の生き残りと連絡がつくかもしれん」


 全国から狸妖怪が集まっているこの場所には当然、東北の狸妖怪も来ている。左二枚柏巴の生き残りを知る者がいるとは限らないが。


「しばらく泊まっていけ。陰陽師に追われているならここにいる方が二人も安心だろう」


 宿の予約は取ってあるが、霊道にあるこの場所の方が安全性は高い。

 折笠は黒蝶と目くばせし合って、墨衛門の厚意に甘えることにした。

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