第二十八話 大将戦
出雲大社三の鳥居、松の参道にある鉄製の鳥居だ。
本来は立ち入り禁止の松林の間で下漬と向き合いながら、折笠は対い蝶紋を描いた唐傘を黒蝶に差しかける。
唐傘の裏に黒蝶が迷い蝶を留まらせた。
一の鳥居からここまでの戦いで下漬が一筋縄ではいかないことは分かっている。迷い蝶への対策は完璧で、防御型の折笠と攪乱型の黒蝶では決め手に欠ける。
下漬の繰り出す陰陽術は金気に偏っているが、それは五行の相性を考えた結果だろう。その気になれば他の陰陽術も使用できるはずだ。
本来なら、折笠と黒蝶の二人だけで対峙する相手ではない。喜作や蝶姫と合流して圧倒的な戦力差で叩き潰す方が早い。
それでも二人で倒したくなるのは、いまを生きている者としての意地だ。
「黒蝶さんなら気付いてるよな?」
「神力の減少でしょ。下漬も気付いてるよ」
大きな変化ではないが、下漬の神力が徐々に減少している。
長い時を生きて妖力を高めてきただけでなく、下漬は怖れを集めて神格化されている。つまり、下漬が怖れられなくなれば神力が減少する。
黒蝶が折笠に留まっている迷い蝶をちらりと見る。迷い家を変化させたアゲハ蝶だ。
迷い家の中で塵塚怪王や大泥渡が妖怪の調伏を解除している。下漬の支配から逃れた妖怪たちは外部の状況が分からずとも下漬に一杯食わせた折笠たちを見ているため、怖れに打ち勝ったのだろう。
時間稼ぎを続けて十分に弱らせるのも一つの手だが、この状況が報道されていると日本中からの恐れが下漬に集まりかねない。傘を振り回す折笠も蝶を操る黒蝶も下漬の陰陽術に比べると地味だからだ。
下漬が参道の奥を見て達成感に酔ったような恍惚とした笑みを浮かべる。
折笠たちに交戦を促すための演技だ。時間稼ぎをするつもりなら折笠たちのわきを抜けて高天原に行ってしまうぞと脅している。
「本当に、いやらしい奴だな!」
「誘いに乗ってくれてありがとう!」
妖力を込めた唐傘を突き出して突進する折笠に、下漬も突進して距離を一気に詰めにかかる。
被弾しても神業で体が再生する下漬にとって、折笠の攻撃は致命傷にならないと踏んでの相打ち狙い。
下漬がかざす緋色の長巻に妖力が込められる。一瞬で刃周辺の温度が下がったのか、大気中の水分が凍って刀身の周囲にキラキラと光の乱反射を作り出す。
光の乱反射のせいで刃の軌道が読みにくいが、折笠は構わず唐傘を刃に合わせた。衝撃が唐傘を伝う。だが、迷い家に妖怪たちを保護したことで妖力が上がったおかげもあり、力負けはしない。
足元に陰陽術の予兆を感じて、折笠は見もせずに新しく作り出した唐傘を地面に蹴り込み、地面ごと抉り出す。
再度振るわれた長巻へ唐傘を合わせ、下漬を蹴り飛ばす。びくともしなかった。
「――岩かよ!」
隙を晒すのを嫌い、折笠は下漬を蹴った反動を利用して距離を取り様、対い蝶紋の唐傘を開いて空を薙ぐ。一見無意味なその動きに構わず踏み込んだ下漬の前に唐傘の裏に潜んでいた迷い蝶が舞った。
下漬が迷うことなく蝶の群れの中を突き進む。緋色の長巻に触れた迷い蝶が凍り付き、妖力に戻って散った。
折笠は開いた唐傘を正面に向けて自らの姿を隠す。構うことなく振り下ろされた緋色の長巻が唐傘を両断した。
あっさりと切り裂かれた唐傘の裏から、折笠は対い蝶紋の唐傘を突き出す。唐傘の先端が左肩に届いても下漬は構わず長巻を切り返した。
例え肩が貫かれても神業で治るのだから、間合いに捉えた折笠の処理を優先する。
下漬がその選択をすることは、折笠も読んでいた。
だから、仕掛けを施したのだ。
下漬の肩を抉り、円錐形の唐傘の形状に合わせて傷口が広がっていく。下漬の肩と腕が絶ち分かれた瞬間、折笠は唐傘を消し――妖刀を握りこんだ。
「仕込み刀――くっ?」
視界の端で折笠が持つ妖刀に気付いた下漬が初めて回避行動をとる。切り返した長巻を左半身を守る盾にしながら折笠から距離を取ろうとする。
流石の反応の早さ。折笠だけなら取り逃がしていただろう。
だが、下漬の真後ろには迷い蝶に化けた黒蝶がいた。
下漬を逃がさないようにドロップキックを入れた黒蝶はそのまま反動を生かして折笠の妖刀の間合いを離れる。
背中に蹴りを入れられた下漬が苦い顔で折笠の持つ妖刀を睨んだ。
構わず、折笠は下漬へ妖刀を一閃する。神性まで得た折笠の一閃は不格好ながらも強引に下漬の左肩から脇腹までを斬り裂き、長巻にかち当たって止まった。
痛みに顔をしかめながら下漬が後ろに跳び退くのに合わせ、折笠は開いた唐傘を投擲する。投げた唐傘で作った死角の中で、妖刀が再び迷い蝶の姿になり、折笠が持つ対い蝶紋の唐傘に隠れた。
距離を取ることに成功した下漬は左肩の傷を押さえ、何かを唱えようとする。
しかし、詠唱途中で空を見上げ、折笠の神業が発動しているのを確認して舌打ちした。
折笠は間合いを図りながら下漬を煽る。
「妖刀の能力によく気付いたな。流石に長生きしてないね」
「イジコから取り上げておくべきでした。素直に驚きましたよ。現代人のあなた達はともかく、狐妖怪達は有無を言わさずイジコたちを殺すと思っていました」
折笠が持っている妖刀はイジコが白菫を刺した際に使用したものだ。墨衛門曰く、『確実に殺すための傷』を作る妖刀であり、狸の妙薬をもってしても数日の昏睡状態に陥る。
この妖刀は大泥渡でも呪詛返しが可能な傷への呪詛を伴う。だが、折笠の神業は禍事祓うため、呪詛返しを受けない。
もっとも、この妖刀が神性を得ている下漬に効果を発揮するか、下漬の神業に対抗できるのかは賭けだった。
「効果があるみたいだな?」
下漬の傷はゆっくりと再生してこそいるが、今までの傷とは異なり即座の再生には程遠い。
下漬が呪詛返しを試みかけたのも、効果のほどを物語っている。
「人殺しは感心しませんねぇ?」
「うるさい化け物だな!」
苦し紛れに情に訴えようとする下漬に、折笠は距離を詰める。
下漬の右手から緋色の長巻が突き出されるが、所詮は片手だ。折笠の腕力でも十分に弾き飛ばせる。
唐傘で緋色の長巻を横へ弾き飛ばし、折笠は地面に唐傘を開いた状態で作り出してその上に飛び乗る。足場にした唐傘の下から拘束用と思しき鉄条網が蔦のように這いあがってきた。
下漬が鉄条網に自ら覆われようと立ち位置をずらす。鉄条網で傷を負っても即座に再生するため、左肩が治癒するまでの時間稼ぎをするつもりだろう。
折笠は対い蝶紋の唐傘を下漬へ振り下ろす。
下漬が緋色の長巻を半ば強引に盾にして、振り下ろされた唐傘の到達をコンマ数秒遅らせる。そのわずかな時間差を作り出したことで、鉄条網の展開が間に合った。
折笠が振り下ろした対い蝶紋の唐傘が鉄条網に絡めとられる。
「唐傘は消せても妖刀はせいぜい迷い蝶に化けるだけでしょう?」
唯一の攻撃手段を奪ったと勝ち誇る下漬の前で唐傘が消失する。
そこに残されるはずの妖刀はなかった。
「はい、グサー」
場違いなほどに軽い刺殺宣言。
下漬の後ろで蝶からの変化を解いた黒蝶が口にすると、驚異的な反応速度で下漬が緋色の長巻を後ろへ突き出した。
予想していたように黒蝶が舌を出して長巻の間合いから逃れる。
釣られたと気付いた下漬が突き出した長巻を手放して身軽になりながら折笠の間合いから逃れる。
少しずつ塞がっていた左肩の傷口が無理な動きで開き、血の軌跡を描く。
空中に描き出された血の軌跡が折笠の振るった対い蝶紋の唐傘でかき消された。
前後を挟まれた状態でのぎりぎりの攻防。下漬は折笠と黒蝶が次に何を仕掛けてくるかを推測しようと――してしまった。
振るわれた唐傘に描かれた対い蝶紋。向かい合う迷い蝶がひらりと下漬の眼前を舞い飛んだ。
「――あっ」
折笠が唐傘に描く模様はいつも精巧だ。本物の蝶と見まごうほどに。
それでも、数百年を生きた下漬の切り替えは早かった。鈍った思考を振り払い、陰陽術を行使しようと右手で印を結び、早口で呪文を唱えようとする。
下漬の口にジャコウアゲハが飛び込んだ。羽を広げれば十センチメートルにもなる蝶が下漬の口と舌の動きを阻害し、その独特な香りを直に嗅がせることで呼吸を阻害する。
折笠は容赦なく唐笠を一閃する。下漬の両膝が弾け飛び、血しぶきが舞った。
太ももから下を消失し、支えを失った下漬の身体が後ろ向きに倒れ込む。
大上段に妖刀を構える黒蝶と下漬の目が合った。
「……ツキさんでしたよね。あなたは人を殺せますか?」
戦国の世を知る下漬の問い。
半妖ですらなく、蝶姫たちの帰りを待つだけだったツキは人を殺した経験などない。黒蝶もまた、夢に見たことすらない。
それでも、月光を受けて舞うクロアゲハのような優美で妖しい笑みを浮かべて、黒蝶は答えた。
「私は殺せる」
妖刀が振り下ろされる。
下漬は眼前へ迫りくる妖刀の輝きよりも、耳朶打つ優しい声に意識を奪われた。
「俺も殺せる」
この二人は並んで歩くためなら何でもするのだろう。
転生もする。陰陽師や政府を敵に回す。全国を巡る。仲間を作る。神にすらなってしまう。
こうして、神に届いた下漬を殺せる。
「いいなぁ……」
それが下漬の最期の言葉だった。
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