第二十二話 現世に迷い込むもの

 神性持ち二体が相手でも、戦況は膠着状態に陥った。

 折笠の神業により、傘の下にいる味方は一切の傷を負わない。折笠が肩代わりしているからだが、多少妖力が削られるだけで支障はない。


 だが、折笠たちも攻めあぐねている。空に雷獣、地上には鍛冶ガかかあがおり、傘の下から出るとたちまち殺される。それが分かっている折笠たちは傘の下からの遠距離攻撃に終始せざるを得ない。

 月ノ輪童子、大煙管といった一部の精鋭だけが下漬の陣営に乗り込んで暴れている。折笠は彼らへ殺到する攻撃を遠距離から唐傘を作り出して防ぎつつ、全体の戦況を把握する。


 神性持ち二体を相手に膠着状態。上等な方だが、下漬自身や大蛟といった他の神性持ちが加われば崩れる。それを知っているからか、下漬は積極的に勝負を決めにこない。

 最後まで全力で抗う折笠たちを叩き潰すことで、下漬は自分という存在を妖怪たちの記憶にも刻もうとしているのだ。後世に語られる際に、開戦とほぼ同時に下漬が勝ったなどという無味乾燥な伝承にならないよう、見所になる部分を作ろうとしている。


「……演出家気取りめ」


 腹立たしそうにそう呟いたのは徳島狸の頭領、墨衛門だ。

 照魔鏡により変化を強制解除された狸妖怪と狐妖怪は戦闘力が激減した。得意の武装変化も封じられた狸妖怪は狸の妙薬を用いて医療班に回っている。


 いま前線を支えているのは変化能力を持たない、純粋な肉体で戦う鬼やだいだら法師を主軸にした妖怪たちだ。雷獣の元配下など、対い蝶の郎党からすると外様ともいえる面々が活躍する戦場に墨衛門は複雑な気持ちらしい。


「墨衛門から見て、下漬が戦場に出てくるのはいつだと思う?」

「戦の決定打になれる時だろう。自身の名を後世に残そうというのだから、最も活躍しなくてはならん」

「やっぱりそうだよな」


 このまま膠着状態が続けば下漬が出てくる。猶予はない。


「墨衛門、照魔鏡がどこにあるか分かるか?」

「探っちゃいるが、見つからん。期待しないでくれ」

「もう一つ、照魔鏡って映されない限りは変化が解かれないよな?」

「唐傘で姿を隠していればって話だろうが、攻撃時には姿をさらすから無駄だ」

「攻撃じゃなければいいんだよ」


 興味をひかれたらしい墨衛門に折笠は説明する。

 説明を聞き終えた墨衛門は悪だくみするような笑みを浮かべた。


「乗った。やる時には声を掛けろ」

「いや、すぐに取り掛かる」


 事態は急を要する。折笠の判断に墨衛門はみじかく「おう」とだけ応じて、手近にいる柏巴の郎党を呼び集めた。

 墨衛門たちの動きを肩越しに振り返った折笠は、最前線で鍛冶ガかかあ達を相手に暴れている月ノ輪童子に声をかける。


「月ノ輪と荒鬼ノ手形は一度下がれ! お前らに見せ場をやる!」


 大戦の空気で浮かれている鬼たちはただ下がれと言っても聞かなかった振りをする。だが、見せ場をやると言われれば素直に従う奴らだ。

 折笠の声掛けで月ノ輪童子たち鬼の面々が下がってくる。


 早く見せ場をくれとうずうずしている彼らを無視して、折笠は最前線、下漬勢との間に無数の唐傘を開いた状態で転がした。

 大量の唐傘は単なる目隠しだ。それを見抜いて真正面から唐傘を食い破った鍛冶ガかかあが見たのは、立てられた無数の野点傘とそれに掴まって姿勢を低くしている折笠たち。そして、巨大な唐傘を目隠しに大規模な集団変化を完了したらしい狸妖怪たちの気配。

 墨衛門が号令を発した。


「吸い込め、者共!」


 狸妖怪たちが変化したのは巨大な箱ふいごだ。ただし、内部構造と用途が逆の、送風口ならぬ吸風口のあるもの。

 人や妖怪を多数乗せることのできる巨大な宝船にも化けられる狸妖怪たちが全力で箱ふいごを動かす。

 猛烈な勢いで大気が吸い込まれ、折笠たちは気を抜けば足が地面から浮きそうになるほどの向かい風を受けた。

 折笠たちへ攻め入ろうとしていた下漬勢は突然の追い風に宙へ舞いあげられる。調伏されても意思は残っている妖怪たちはどうにか抗っているが、命令がない限り動かない式はなすすべなく吸い込まれる。


「我らの見せ場だ! 斬り殺せ!」


 月ノ輪童子の威勢のいい号令に鬼たちが嬉しそうに吠え、飛んでくる式へ武器を掲げる。

 遅れて照魔鏡が向けられ、巨大な箱ふいごを成していた狸妖怪の変化が解ける。だが、巻き起こった風の影響は照魔鏡でも消すことはできない。


 折笠が白狩たち狐妖怪に目配せをした直後、下漬のいるあたりで覚えのある膨大な妖力が形を成した。

 反射的に、折笠は目を向ける。


『――育み荒す。禍福一切、溢れ呑む』


 水の塊が伸びる。形を成す。

 巨大な、余りにも巨大な、大水の蛇。

 見る者に惧れを抱かせるその姿を見て、折笠は右手に唐傘を作り出す。

 水之江家家宝、神性持ちの式――大蛟。


「……出すならこのタイミングだと思ったよ」


 この戦で折笠たちに協力してくれている妖怪には雷獣の配下もいる。いまだに空から睨みを利かせているあの雷獣を殺すのは気が引けるのが本音だ。

 鍛冶ガかかあにはそういった因縁はないが、単純に五行相克で相性が悪い。神性持ちに対抗できるのは神性持ちであり、鍛冶ガかかあとの戦いはリスクが大きい。


 その点、あの大蛟は違う。

 天狗の無説坊たちの仇。水生木で相性も悪くない。式であるため、元の妖怪は死んでいるから後腐れもない。

 なによりも、大蛟の妖核を砕けば黒蝶が神性を得られる可能性が高い。


 やることは一つ。

 大蛟の討伐――と下漬たちが考えるのを予想して、折笠は下漬の隣、金羽矢榛春へ突貫していた。

 戦場の誰もが頭上に現れた大蛟を見上げている。思考せず命令に忠実な式は墨衛門たちの協力であらかた排除した。

 金羽矢榛春を守る者はいない。

 折笠が大唐傘を突き出した瞬間、金羽矢が勝ち誇った笑みを浮かべて視線を大蛟から折笠に移した。


「くぐった修羅場の数が違うのさ、ガキが!」


 最初から折笠を釣り出すための演技だった。

 折笠の足元から無数の針が飛び出す。

 紙一重で避けた折笠は――金羽矢と同じ笑みを浮かべていた。

 コトンっと、金羽矢の足元に社のミニチュアが落ちる。

 物音に気付いた下漬が初めて驚いたような顔を見せた。


「迷い家……?」


 金羽矢の足元に落ちた迷い家から襤褸を纏った女、塵塚怪王が飛び出した。


「あぁ、ようやく使っていただける!」


 金羽矢がぎょっとした顔で、すぐ隣に現れた塵塚怪王へと術を向ける。だが、遅い。

 塵塚怪王はすでに金羽矢の術を妨害していた。

 その攻防の間に迷い家から続々と新手が出現し、周囲の敵へ攻撃を仕掛けていく。


「半妖衆、手筈通りに暴れちまえ!」


 折笠と黒蝶の声掛けで参加を決意した半妖の面々。有名どころから無名まで、多種多様な妖怪の能力を持つ半妖たちが下漬勢の中枢で乱戦を展開し始める直前、折笠は神業をもう一度、発動する。

 天を貫く巨大な唐傘が出現し、乱戦を始めた半妖への攻撃をすべて折笠が引き受ける。

 負担が一気に折笠にのしかかる。元々荒事慣れしていない半妖たちだけあって、妖怪勢とは被弾率がまるで異なる。


 だが、多様な能力を持つ半妖の集団は対処が難しい。五行思想で弱点を突ける妖怪がいても、被弾のすべてを折笠が肩代わりしているため攻撃した妖怪は自身が五行の何に属するのかを晒す結果になる。

 当然、相克に当たる半妖たちからの集中砲火を受けて倒される。

 折笠が神業を展開し続ける限り、この乱戦場を蹂躙できる。


「これだから唐傘は殺しておきたかったんだ!」


 金羽矢が憎悪と殺意を溢れんばかりに込めた言葉をぶつけながら、折笠の神業の範囲外へ逃れようと走る。

 確実に味方を守れるのであれば、損害を気にせず乱戦を作り出せる。折笠の神業はこの乱戦において最強の能力だ。

 少なくとも一人、この奇襲で首を獲れる。


「主様がご所望ですから、あなたの首を獲ります」


 逃げる金羽矢に塵塚怪王が迫る。

 あらゆる術を妨害、無効化して迫る塵塚怪王は、金羽矢から死神に見えていることだろう。


「ゴミ山妖怪ごときが!」

「使って頂けているのでゴミではありません。それとも、我が主様をゴミ使いと罵る気ですか? なら死ね」


 塵塚怪王の手が金羽矢の首を掴む。

 首の骨が軋む異質な音が折笠の耳にも聞こえてきた。

 だが、当事者である金羽矢に悲壮感はない。


「あたしは占星術の大家だぞ?」


 この状況を占星術で知っていたと自信満々に言ってのけた金羽矢が確信を込めて下漬を見る。

 下漬はすでに折笠の神業の範囲から出て、金羽矢に手を振っていた。


「占星術は人の運命を見る術。なら、神の動きは見通せないんですよね」

「……え?」


 驚愕に金羽矢が目を見開く。

 神性持ちの八百比丘尼、下漬は金羽矢への興味を失い、塵塚怪王へ声をかける。


「あぁ、仲間すら平然と捨て石にする悪辣さ! 私は語り継ぐにふさわしい悪徳だと思いませんか?」


 答えを返すより早く、塵塚怪王は金羽矢の首を握りつぶす。

 驚愕と困惑が混ざり合った表情の金羽矢の首が地面に転がるも、塵塚怪王は興味を示さず下漬に笑みを向けた。


「えっと、どちら様でしょうか? いえ、どちら様でもいいですね。この、なんとかっていう陰陽師と同じ、敵ですね」


 地面に転がる金羽矢の死体を見もせずに踏みつけて、塵塚怪王は下漬を煽る。

 名を覚える必要もない有象無象の一人だと、塵塚怪王に断言された下漬は晴れ晴れしいほど明るい笑い声を響かせて注目を集める。


「下漬あきゑの名を覚えなさい。そのために調伏したのだから!」


 塵塚怪王に覚えられる必要はない。調伏し、陣営に加えた百鬼夜行の妖怪たちが語り継げばそれでいい。

 名前を覚えるように下漬に、調伏された妖怪たちが顔をしかめる。

 命じられた以上、調伏されたモノの定めとして記憶に刻まれる。

 だが、語り継ぐかは別の話だ。

 折笠が頭上を覆うほどに大量の唐傘を生じさせながら、柏手一つで注目を集める。


「俺たちのことも覚えておけよ。対い蝶の郎党をな」


 唐傘に遮られて作られた死角は空だけではない。

 折笠たちが突撃して陽動の役割を果たしたことで、後方の黒蝶たちの動きは意識から外れていた。

 墨衛門たちの協力で吸い込み、撃破した式の妖核を砕く時間があった。


 戦場に一瞬の静寂が訪れる。

 そよ風に舞う蝶のように優美で繊細な妖力が静かに場に満ちていく。誰もが思わず意識を奪われるほどの美しい気配が生じる。

 戦況を単独で左右しうる神が新たに誕生した。

 ――同時に、三柱も。


『――散りはな一片二片ひとひらふたひら、実を成したいてふなら』


 黒蝶が祝詞を謳う。

 地面から蝶が飛び立つ。

 大小さまざま、色とりどりの蝶の群れがたちまち姿を変える。

 気配が増える。妖怪と半妖の気配が無から生じる。

 立ち上がったのは威風堂々たる姿の古い天狗。その横に馬鞍頭の妖怪鞍野郎、龍の髭のような煙をたなびかせる妖火、龍燈。

 天狗の無説坊とその一派の妖怪たちが戦場の一角に出現した。


 無説坊が瞬時に戦場を睥睨し、芭蕉扇を振るう。生じた突風が折笠と塵塚怪王、その周囲の半妖たちをまとめて無説坊たちの下へと引き寄せる。

 黒蝶が神性を得たことで戦場の流れが大きく変わる。突出した折笠たちは連携が取りにくく、一度下がるべきだ。

 戦場を一瞥しただけで答えを導き出す無説坊の判断力に驚きながらも、折笠は周りに呼び掛ける。


「この風に逆らわず一度下がれ!」


 味方の手元に唐傘を作り出し、風に乗れるように細工する。

 次々と風に乗って撤退する味方たちを見送って、最後に離脱した折笠はやけに大人しい下漬を見る。

 下漬は喜びを露わに折笠たちの後方、無説坊たちの後ろを見つめていた。

 古い友人に偶然出会ったような、懐かしさと嬉しさが同居するその表情はどこか歪な感情が混ざっている。

 下漬の視線をたどった折笠はそこに不敵な笑みを浮かべる男女の姿を見つけた。

 姿が変わっても折笠は、カサは見間違えない。


「――喜作、蝶姫」

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