第二章 旅は道連れ

第一話  東京へ

 折笠と黒蝶は埼玉県北部、利根川を渡って熊谷方面を目指して歩いていた。


「徹夜で歩いちゃったねぇ」


 疲れの見える顔で朝日に目を細める黒蝶に、折笠は申し訳なくなって頭を下げる。


「ごめん。宿の予約を取り損なって」

「しょうがないよ。システムの不具合なんだから」


 黒蝶が柔らかく笑って許してくれる。

 システム障害で折笠が取った宿泊予約が受け付けられておらず、こうして一晩中歩き続ける羽目になったのに寛大だ。

 宿の従業員も慌てふためいていた。ちょうど十数分前に家族客が宿泊して部屋が埋まり、折笠たちに何度も頭を下げていた従業員の必死さが思い起こされる。

 自販機を見つけた黒蝶がコーヒーを買いに走っていく。後を追いかけながら、折笠はさりげなく周囲を見回した。

 追手の陰陽師の姿はない。


 無説坊達と泊まった霊道の宿泊所で襲われてから、すでに三日目。福島県から跡をたどられないように電車やバスといった公共交通機関を避けてきたとはいえ、一度も襲撃がないのが気にかかる。

 黒蝶が二人分のコーヒー缶を持って、折笠の前に掲げる。


「どっちがいい?」

「こっち」

「無糖派の手先か。大人ぶりやがって!」

「えー、じゃあ、そっちで」

「甘ちゃんこどもー、やーいやーい」

「徹夜テンションだなぁ」


 しょうもない煽りをしてくる黒蝶に苦笑しつつ、微糖のコーヒーを受け取って一口飲む。

 コーヒーの香りが早朝の涼しい風に吹き消され、口に含んだ苦味と甘味の分離した雑な味をそのまま飲み下す。

 黒蝶が無糖の缶コーヒーを見つめてにっこり笑った。


「缶コーヒー飲んだの初めてだけど、美味しくないね!」

「誰もいないからって、もう少しオブラートに包もうか?」

「折笠君が言いたそうだったから代わりに言ったんだもん」

「だもんって」

「否定しなかったね?」


 ニヤニヤ笑いながら顔を覗き込んでくる黒蝶から視線を逸らして、折笠はベンチを探す。残念なことに見つからなかった。

 自販機の側面にもたれかかる黒蝶の隣で缶コーヒーを一気に煽る。今日一日を戦い抜けるカフェインを取るためだけの作業と割り切って、飲み干した缶を備え付けのゴミ箱に放り込んだ。


「待ってー」

「ゆっくり飲んでいいよ」


 この先にゴミ箱があるとも思えないし、と折笠は周りを見回す。

 田んぼと畑と民家。見晴らしが利くおかげで陰陽師の襲撃にもすぐ気付ける。多少のんびりするのもアリだろう。

 両手で缶コーヒーを持って、黒蝶は昇っていく朝日を見る。


「今日中に東京に着けるかな?」

「着きたいね」


 陰陽師の目を攪乱するため、神社などを極力避けている。陰陽師は神社庁の管轄らしく、どこに繋がりがあるか分からないためだ。

 必然的に遠回りをすることも多く、東京に到着できるかの確信が持てない。


「どちらにしても、東京に入る前にどこかで一泊したい」


 折笠の言葉に黒蝶も頷いた。


「今後の方針、決めておこうよ」


 黒蝶が空き缶をゴミ箱にそっと入れながら、そう言いだした。

 人が集まる東京に行くのはそのまま人にまぎれて電車を利用し、一気に京都までの距離を稼ぐためだ。それでも、陰陽師に見つかるリスクは高い。

 陰陽師との戦闘になれば離れ離れになることもあるだろう。


「まず、離れ離れになった時の集合場所だね」

「京都方面に行くと陰陽師に見つかりやすくなるだろうから、一度退いて、日本海方面で合流しようか」

「それがいいと思う。新潟辺りまで退く?」


 スマホで地図を開き、二人で画面を覗き込みながら合流場所を定める。

 合流場所を決めて、折笠と黒蝶は歩き出した。


「……徹夜したから夢を見れなかったね」


 黒蝶が呟く。

 夜中にも脳裏をよぎっていたがあえて考えないようにしていた折笠は渋々頷いた。


「どこまで信じていいか分からないとはいえ、貴重な情報源なんだけどな。できる限り寝て、夢を見たいって言うとどうしようもない人間っぽく聞こえるけどさ」


 高天原参りに挑んでいると思しき和服の男女についての夢。折笠と黒蝶がそれぞれ見ているその夢は妙に整合性が取れていて、真実味を帯びている。

 現状、高天原参りについて分かっていることは、神々が住まう高天原に直接詣でて願いを叶えてもらう儀式であるということくらい。具体的な条件などは不明なままで、無説坊亡き今となっては知る術も限られる。


「古い妖怪も見つからなかったし、もっと積極的に探すべきなのかな?」


 黒蝶が言う通り、この三日間で見かけた妖怪に声をかけては高天原参りを知らないか、知っていそうな古くから生きている妖怪を紹介してくれないかと持ち掛けている。だが、高天原参りという言葉すら聞き覚えがないものが大半だった。


 江戸後期から生きている無説坊でさえ、噂程度でしか聞いたことがない儀式だ。知らないのも仕方がない。

 折笠たちも京都を目指す傍らでの聞き込み調査であり、本腰を入れれば違った結果が得られるかもしれない。

 陰陽師という追手さえいなければ、聞き込み調査をするのも一つの手なのだが。


「第一目標は京都、出雲でいいと思う。出雲入り間近で情報が集まっていなければ、そこまでに得られた情報で動き方を決めよう」

「でも、鞍馬にはいくべきじゃない?」


 鞍馬山、天狗の総本山。無説坊の顛末を知らせる意味でも、顔を出すのが筋だと折笠も思う。

 だが同時に思う。

 ――鞍馬山の天狗が高天原参りを知っているなら、すでに高天原参りを成し遂げているはずだと。

 神頼みなのだから、仲間である天狗の安寧を第一に願うだろう。無説坊が陰陽師に討たれた今の状況と矛盾する。

 ならば、鞍馬山の天狗は高天原参りを知らないか、知っていてもやろうとしない、他の妖怪たちに話していないのではないか。

 折笠の憶測でしかないが、鞍馬山の天狗はあまりあてにならない。


 それに、無説坊が陰陽師に討たれたことを報告しに折笠たちが鞍馬山へ行くのを陰陽師も読んでいるはずだ。

 待ち伏せされていたら、なすすべがない。あの大蛟が牙を剥けば、折笠と黒蝶ではどうにもならない。


「リスクが高すぎるって」

「折笠君の意見は変わらないかぁ」

「無説坊の件があるから絶対に反対ってわけではないよ。無説坊への義理は果たしたいからさ」


 それでもやはり、折笠は鞍馬山の天狗よりも各地の古い妖怪の方が情報源として頼りになると思う。

 黒蝶があたりを見まわした。


「もう一つの情報源は今日も来ないかな」

「まだ始まったばかりだよ」


 古い妖怪と同じく、高天原参りについての情報を持つ存在――陰陽師。

 ほぼ確実に折笠と黒蝶を狙ってくる陰陽師が簡単に口を割るとは思えない。それでも、黒蝶の迷い蝶としての能力を使えば聞き出せるかもしれない。何をどこまで話していいのか迷うような陰陽師であれば、口を割らせることができるからだ。


「京都はまだ遠いんだから、気長に行こう」


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