第十話  古い鬼

 墨衛門から連絡があったのは滞在二日目の昼だった。


「――結論から言って、左二枚柏巴の生き残りはいない。最後の狸も平成の半ばに寿命で逝ってしまった」

「当時、左二枚柏巴の全盛期について、聞いている配下の狸は?」

「いない。変化の術に関してのみ伝えて、それ以上のことは何も教えてくれなかったそうだ。高天原参りを知れば陰陽師の標的になると考えて口を閉ざしていたんだろうよ」


 墨衛門は黒塗りの扇子で自らの首筋に風を送りながら、豆介に地図を持ってこさせた。

 豆介が墨衛門の前に地図を広げる。東京近郊の地図ではなく、もっと西よりだ。


「左二枚柏巴については収穫なしだったが、別方向で情報を得た。江戸の頃から生きている鬼の住処だ」


 鬼の名は月ノ輪童子。首元に半月状の痣がある古い鬼らしい。

 山梨、神奈川、静岡の三県を放浪しており、決まったねぐらもないため会うのは難しい。

 しかし、静岡に住む狸妖怪の目撃証言を繋ぎ合わせておおよその行き先が割り出せた。


「静岡県の童子沢親水公園付近にいる。あいつは人が好きだからな」

「人が好きって……食べるの?」


 黒蝶が恐る恐る尋ねると、墨衛門はきょとんとした顔をした。

 少しの静寂のあと、墨衛門が笑い出す。


「確かに、鬼で人が好きといえば食う方を考えるな! 安心せい。月ノ輪童子は人を眺めるのが好きなのだ」


 月ノ輪童子は、江戸の頃に人の振りをして剣術道場に通ってみたり、農村で酒をもらう代わりに畑仕事を手伝ったり、神社の神輿を担いだりと、本当の意味で人好きな鬼らしい。


「変わり者故、同じ鬼どもからは遠巻きにされているようだ。半妖のお前たちが訪ねれば喜ぶだろう」

「なるほどね。情報提供ありがとう」

「礼には及ばん。若いもんが世話になっているようだしな。昨日もせがまれて人の流行りの詩を諳んじたそうじゃないか」

「詩じゃなくて歌だし、諳んじたというかアカペラだよ」

「おう、横文字は分からん」


 そう言いながらも墨衛門はにっこり笑う。友達を連れてきた孫を迎える祖父のような笑顔だ。

 墨衛門たち古狸からすると若狸の趣味を理解できないのは少々心苦しく、それ以上に結束を重んじる狸妖怪の輪から若狸が零れ落ちてしまうのではと危惧してしまう。

 そんな状況で現れた、古狸に話をしに来ているのに若狸の趣味を理解する折笠と黒蝶は双方の橋渡しに見えたらしい。

 なんとなく状況が分かって、折笠は曖昧に笑った。

 墨衛門が話を続ける。


「礼とも違うが、月ノ輪童子の宿泊先へうちの若いのが船を出したいらしい。乗っていくか?」

「時々、ここの空を飛んでいる宝船?」

「おう、あれだ。狸妖怪の連携変化でな。今回は五匹化けだから少々小振りの船にはなるが、快適さは保証する」


 移動には霊道を経由するため陰陽師に見つかる可能性も低いという。

 月ノ輪童子の宿泊先周辺の土地勘がない折笠たちにとってまさに渡りに船だ。

 素直に礼を言って宝船に乗せてもらう約束を取り付ける。

 墨衛門が豆介に若狸たちへの伝言を頼んだ。


「さて、話は変わるが、お前さん達に初日に話した半妖の二人組について続報があった」

「陰陽師に調伏されてるっていうあの半妖?」


 黒蝶の質問に墨衛門が深く頷く。

 折笠たちにとっても他人ごとではない話だ。


「イジコと面霊気の半妖らしい」


 あまりなじみのない妖怪の名だったが、折笠は知っている。

 イジコとは、本来は赤子を入れておく籠のことをいう。椅子やベッドの代わり。籠に布団などを入れて赤子を寝かせておく籠だ。

 妖怪のイジコは東北地方に伝わる妖怪。木や軒先などにこの籠がぶら下がっており、燃え上がったり中の赤ん坊が化け物になる。

 面霊気は能に使われる面から変じた器物妖怪だ。


「どんな能力なの?」


 戦闘になった時のことを考えて黒蝶が問う。


「イジコが複数ぶら下がって、そのイジコの間を自在に移動できるらしい。面霊気の方は向けられた面と同じ感情を無理やり引き出させるそうだ」

「調子を狂わされるタイプだね」


 無理して戦わずに逃げたい相手だが、怒りの面やイジコによる移動で逃げ切れそうにない。陰陽師に調伏されているとのことだから、相手を逃がさず確実に仕留める布陣だろう。


「いま話すってことは、その半妖の二人組が月ノ輪童子の近くにいるかもってこと?」

「その通り。狸妖怪がここに集まって陰陽師共が標的を鬼に変えたようだ。主に人食い鬼を狙っている様子だが、陰陽師共は区別をつけないからな。月ノ輪童子も狙われている。古い鬼だからなおさらな」


 注意するように、と墨衛門に念押しされた時、豆介が戻ってきて船の準備ができたと告げた。

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