第十一話 月ノ輪童子

 狸が変化した宝船はそれほど速い乗り物ではなかった。

 目的の静岡県の童子沢親水公園に到着したのは一夜明けて次の日の夕方。


「風情がある船旅だったね」


 一切揺れない上に食事も自由に取れ、ベッドも搬入されており、至れり尽くせりな船旅ではあった。


「一泊二日の遊覧船旅、空中版と考えれば観光に良いな」


 乗ったことはないが、飛行船に乗ればこんな気分だったのだろうと思わせる。先を急ぐ旅ではないのもあって、悪くなかった。

 船長だという背の高い狸がニコニコしながら歩いてくる。


「花見や紅葉の季節にもどうぞ利用なさってくださいな。地酒でも山海珍味でも、半妖ならスナック菓子なんかでも、持ってきてくれれば乗せますんでね」

「スナック菓子でもいいの?」

「人間の金はあまり持ってないもんで買えないんですよ。後は半妖のセンスで選んだファッション誌も重宝されます。現代人の感覚を知らないと化けて紛れることもできないもんで」


 髪型とかをじろじろと見られていたのは生の教材だったからかと一人納得する折笠の隣で、黒蝶が得意そうに胸を張る。


「任せて。帰りに乗るとき、お土産に買って来るよ」

「助かります」


 地上に降り立って宝船に化けていた狸たちが次々に変化を解く。宝の一字が書かれた帆から順番に、素早く分解されていく宝船は先に変化を解いた化け狸たちによって内装が運び出され、そのまま霊道の宿の裏手へと搬入されていく。今後はこの宿の備品として使われるそうだ。


「月ノ輪童子は人間好きですから、日中に活動します。いまは外に出ているかもしれませんが、じきに戻ってくるでしょう」


 背の高い狸妖怪はそう言って、狸妖怪たちの指揮へ戻っていく。

 折笠は霊道の宿を見上げた。


 東京狸会の建物も凄かったが、ここの宿も造りが豪奢で、しかも格式が高い。

 陰陽師を警戒しているのか、用心棒らしき妖怪たちの姿もある。陰陽師に調伏されている半妖の男女を警戒して、折笠たちにも油断のない視線を向けている。


 これほど警戒されていると泊まるのは無理そうだな、と折笠はスマホで付近の宿を探す。

 付近に月ノ輪童子を狙う陰陽師が潜んでいる可能性もあるため、宿選びは自然と慎重にならざるを得ない。

 いくつかの候補を出して黒蝶と相談しようと顔を上げた時、目の前に背筋が寒くなるような美人が立っていた。

 反射的に後ろに跳び退く。

 折笠のスマホを覗いていたらしい美人は自らの髪の毛を指先でくるくるともてあそび、折笠に声を掛けてくる。


「スマホという奴じゃな? 間近で見たのは初めてじゃ。やはり半妖は面白いものを持っておる」


 楽し気に、親し気に、実に気楽な調子で声を掛けてくる美人だったが、纏う妖力が尋常ではなかった。狸妖怪の墨衛門と同等の古い妖怪が纏う妖気だ。


「狸たちが言っていた客人だろう? 我は月ノ輪童子。歓迎しよう。とはいっても、我も宿の客だがな!」


 がっはっは、と豪快に笑う美人の胸元には確かに半月状の痣がある。そこまで確認して、折笠は気付いた。


「男鬼?」

「おうよ。気付くのが早かったな。まぁ、そちらの娘は一目で気付いたようじゃが」


 月ノ輪童子が黒蝶を見る。

 黒蝶は折笠に「やれやれ」と首を振ってみせる。


「女装もしていない男相手に勘違いなんてねぇ。観察力を鍛えないとだめだよ。それとも私が鍛えてあげようか?」


 妖力で作ったモンキチョウをふわふわと周囲に飛ばす黒蝶に、月ノ輪童子が目を丸くする。


「迷い蝶ではないか。二百年ぶりに見たぞ」


 物珍しそうに黒蝶を眺めてから、月ノ輪童子は宿に折笠たちを手招いた。


「立ち話もなんじゃし、今の人の世にも興味があるんじゃ。ちと、中で世間話でもしようじゃないか」

「あの、俺たちは月ノ輪童子さんに話があってきたんです。先にこちらの話からでいいですか?」

「なに? 宿の客じゃなかったのか」


 出会い頭の名乗りからして微妙に認識に齟齬があると思って念のために目的を話すと案の定だった。

 格式高い宿だけあって、宿泊客でもないのに入って大丈夫なのかと心配になり、折笠は用心棒の妖怪たちの様子を窺う。

 すると、用心棒の妖怪の一匹、一つ目の大男が歩いてくる。


「お客さん、普段ならともかく、今は半妖を入れるのはご遠慮いただきたい」

「ん? じゃあ、しょうがないか」


 月ノ輪童子はあっさりと折れて、今度は宿に背を向けて歩き出す。


「沢の方で話そう」

「お、お客さん、それもちょいとお待ちください。お客さんに何かあったら宿の沽券にかかわるんですよ」

「ん? じゃあ……化け狸! 茣蓙を持ってきてくれ。ここで話せば文句はないじゃろ」

「あーの、お客さん、こんな宿の真ん前でやられると――」

「面倒じゃなぁ。もういい。宿を引き払ってしまえば客じゃないじゃろ。若人二人、ちょっと待っておれ」

「――お客さん!?」


 すたすたと宿の方へ歩いていく月ノ輪童子を一つ目が大慌てで追いかける。

 この辺りを放浪している月ノ輪童子は宿の上客なのだろう。宿の中もたちまち大騒ぎになった。

 折笠は申し訳なくなって縮こまる。


「宿の妖怪たちを困らせるつもりはなかったんだけどな……」

「迷惑と紙一重の困らせ方は私の美学にも反するなぁ」


 結局、宿の側が折れたらしく、宴会場に用心棒数名の立ち合いで話し合いの場が設けられた。

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