第二十一話 約定破り

 まぶたを上げるのすら億劫に感じて、折笠は右腕を目の上に乗せる。

 このまま暗闇に飲み込まれて二度寝を決めたい。そして、明るい夢を見たい。

 具体的にどんな明るい夢を、と考えると黒蝶との旅路ばかりがつらつらと浮かんでくる。

 走馬灯じゃあるまいし、と腕をどけてまぶたを上げる。


「――おはよう、折笠君」


 黒蝶が覗き込んでいた。鼻先が触れ合うくらいの至近距離で。

 人間はあまりに驚くと金縛りに遭うのだと、折笠は初めて知った。


「……な、なんでいるの?」


 辛うじて口に出したのはそんな質問。

 黒蝶は満面の笑みを浮かべて折笠の両頬に両手を合わせた。


「嫌な夢を見たから、折笠君も同じかなって思って、記憶の上書きに私の笑顔をプレゼントしに来たよ」

「……生涯、黒蝶さんには敵わないなって確信したよ」

「ふっふっふ、人を振り回す事には長けていると自負していますとも」

「お墨付きを与えるよ。あ、印鑑の方がいい?」


 軽口を叩きながら、平常心を取り戻した折笠は黒蝶の額を押しのけて体を起こす。


「きゃー」


 わざとらしい悲鳴を上げて、額を押されるままに後ろ向きに倒れた黒蝶がくすくす笑う。

 ここはどこだったっけ、と折笠は部屋を見回した。

 確か、墨衛門の宝船に乗って道中に白狩たち妖狐を拾い、そのまま目的地であるゴンボ衆の霊道へと乗りつけて、その宿で一泊した。

 つまり、ここは尾が短い妖狐たち、ゴンボ衆の集落だ。


 夢での感情が強烈すぎて、夢と現実があやふやになっている。

 ただ、今回の夢は非常に重要な情報を含んでいた。

 陰陽師がその気になれば、テロリズムまがいの暗殺が可能になるという情報だ。

 塵塚怪王や大泥渡がいるとはいえ、警戒すべき情報だろう。

 折笠は黒蝶を見る。


「みんなと話をしよう。今日の夢について情報共有を」

「――待った」


 折笠の言葉を遮って、黒蝶が手を突き出す。


「私の夢は、折笠君とだけ共有したいの」

「……それでわざわざ俺の部屋を訪ねてきたのか」

「それは単純に寝起きの折笠君をからかってドギマギさせたかっただけ」

「おいおい」


 ごちそうさまでした、と感想を述べた黒蝶は、すぐに真剣な顔に戻った。


「夢の話だけど、喜作さんの死をカサが知らせに来たの」


 黒蝶の言葉で、折笠は時系列を把握した。

 黒蝶の見る夢は蝶姫の側付きであったツキという女性の視点だ。蝶姫が処刑された後になされた高天原参りで呪詛によって喜作が死んだあと、カサがツキの下へ報告に訪れたのだろう。


「夢の中でカサが言うには、参拝者を巻き込んだ呪詛で喜作さんが死んだって」

「あぁ、俺もさっきの夢で現場を見た」


 蝶姫を約定破りで処刑され、報復まで行った対い蝶の郎党がなぜ、高天原参りを成功させた直後に喜作を討たれたのか謎だった。

 陰陽師が書き残した崩れた文字での『陰陽師は勝った』の一文。対い蝶の郎党が高天原参りを成功させたにもかかわらず、その一文を残した理由。

 書き残した陰陽師も、参拝者ごと呪殺するのは気がとがめたのか。そもそも呪殺そのものに関わっておらず聞いた話を書き残したのか。その詳細までは分からない。


 だが、当時の陰陽師は確実に一線を越えた。約定を破った。

 妖怪を見ることもできない一般人をいわば人間爆弾にして喜作を呪殺したのだ。高天原参りの約定を破ったこと以上に、その罪は重い。

 カサたち対い蝶の郎党は監視をつけて警戒はしても一般人を害していない。約定があるからだ。

 夢で見た折笠でも、あんな卑怯な方法を取られれば激昂するだろう。

 黒蝶が続ける。


「カサが言ってたの。喜作さんが願いを聞き届けてもらえたのかも分からないって。でも、蝶姫がどこを探しても見つからないままだって」


 いくら高天原参りでも黄泉帰りは過ぎた願いだったのか。それすら伝えられないまま喜作は呪殺された。

 ただ、対い蝶の郎党が探しても蝶姫は見つからなかった。

 蝶姫の黄泉帰りに何らかの条件を課されたのだとしたら、喜作はそれを成し遂げる前に呪殺された。

 伊邪那岐、伊邪那美の神話でさえ、見るなの民話の類型に当てはまる条件が課されている。天津神でさえ条件付きでなければ黄泉帰りが果たせない。半妖の身から成ったばかりの神なら、どんな条件が課されるのか。

 黒蝶は一度深呼吸して間をおいてから、続けた。


「カサは陰陽師に復讐するって言ってた。こんな終わり方はあってはならないって。いままで殺してきた別の郎党の半妖や妖怪の無念を背負って高天原参りを成し遂げて、その願いが果たされずに終わることだけはあってはならないって。自分たちが摘み取ってきた願いや夢を無残に終わらせないように、背負うものとして、陰陽師を殺し尽くさないといけないって……」


 カサにとって本心ではあるのだろう。自らの復讐心にそれらしい言い訳を加えただけだとしても、カサにとっては酌むべき思いや願いがあった。

 だが、カサは見落としていた。

 断片的な記憶を夢というあやふやな形で覗いただけの黒蝶が酌み取るツキの想いを。


「……行かないで欲しかったんだよ」

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