第58話・冥界めぐり

 三回目の冥界で、さすがのニーズヘッグも怒りに眉間をヒクつかせていた。ヤバい、ここから出られなくなったらどうしよう、俺は幽霊だからピッタリじゃないか。

『フレースヴェルグめ……小癪こしゃくな』


 ワナワナと怒りに震えるニーズヘッグを、世界樹の根をたどってきたラタトスクが煽り立てる。

「とんでもない奴ですねぇ、フレースヴェルグは」

 いや、待てよ。ラタトスクの煽りに乗れば、俺は天界にぶん投げられる。ここは流れに身を任せる、それが吉だと思って黙りこくった。


 しかし、ニーズヘッグは俺をくわえようとはしなかった。しばらくじっと俺を見つめて、不敵な笑みをニヤリと浮かべた。

『挑発に乗っては、奴の思う壺だろう。ここは無視を決め込み、この幽霊に冥界巡りをさせようか』

「そいつはいい、たっぷり楽しませてやりましょうぜ、キッキッキッ」


 そんな煽りはいらないんだよ! ラタトスクめ、ルチアが嫌な顔をするわけだ。

「俺は、世界樹の樹液を取りに来たんだ! 冥界にいる暇はないんだよ!」

 逃げ出そうとする俺をラタトスクが押さえつけ、飛びかかったニーズヘッグあっけなくくわえられ、抗う術はなくなった。


 連れられたのは、もうもうと煙が立ち上る広大な泉。そこかしこから、あぶくがボコッ! ボコッ! と弾け飛んで沈殿した泥を巻き上げている。

『幾筋もの川の源、フウェルゲルミルの泉だ。煮えたぎっておるだろう? ゆるりと浸かるがよい』

「やめろ! やめてくれ! 頼むから、泉に落とさないでくれ! お願いだ! やめてくれ! やめろって! やめうわあああああ─────!!……うあああああ……あああああ──……沁みる」


 適温だ、ぬくもりが身体の芯まで沁みわたる。筋や節々がほろほろほぐれ、旅の疲れが癒やされる。

 死んでもこの快楽が味わえるとは、思っても見なかった。ああ、最高に気持ちいい……死んでいるのに、生き返る。


 ふと気がつくことがあり、泉からザバッと上がり辺りを忙しなく見回した。だが、求めるものはどこにもなく、俺は愕然として泉から沸く湯気を睨む。

 これは温泉イベントじゃないか。どうしてミアとルチアがいないんだ。


『くっ! 何故、効かぬ!』

「よく効いてるよ。いい気持ちだ」

『さてはフレースヴェルグの差し金か!?』

「もしそうだったら、あとでお礼を言わないと」


 のびのびとしている俺をニーズヘッグは苦々しくくわえて、泉から広陵とした大地を這っていった。

「おい、身体を拭かせろ。湯冷めするじゃないか」

『幽霊が風邪などひくか。貴様のような面倒な奴にピッタリな場所に導いてやる』


 一筋の川に沿い、黄金の橋を越えてたどり着いたのは、世界樹の真下。放射状に広がる根っこの真ん中に、一寸先も見えないほどの暗闇が、すぐそこにまでこみ上げており、絞り出されたうめき声が怨念とともに轟いてくる。

 その縁に、獰猛そうな犬を連れた少女がひとり、高飛車に脚を組んで腰掛けていた。帽子も服も寝巻みたいで、何だか異様だ。


「あら、幽霊? ヘルヘイムにいらっしゃい」

「ヘル……ヘイム? ヘル……って、地獄!?」

 怯えきった震える声に少女はゾクゾクと高揚し、舌なめずりしてほくそ笑む。

「よくご存知ね。私はロキの娘、地獄の門番ヘル。こっちは番犬のガルム。よろしくね」

『この下は死者の国。幽霊に相応しかろう』


 ニーズヘッグにくわえられ、俺はジタバタと暴れ回った。俺はポンコツ女神様のうっかりで【状態】死亡で異世界転移しただけだ。生命を救ったこともあるというのに、どうして地獄に堕ちるんだ。


「待ってくれ! 俺は地獄に堕ちるような悪いことはしてないよ! はじめから死んでるんだから!」

「名誉なき死ね? ヴァルハラに逝けないあなたにピッタリじゃない。安心して、責め苦を与える場所ではないわ」


 ニーズヘッグが巨大な穴を覗き込み、カパッと口を開いて堕ちる俺に別れを告げた。

『さらばだ、生まれることのなかった幽霊よ』

「あああああああああああああああ─────!!」


 別れを告げられたということは、俺には復活の目がなくなった、死者の国から這い上がれない、そういうことだ。

 結局転生出来なかった俺は、前の世界でも異世界でも死者の国に逝く、そんな運命にあったんだ。


 死んでいたけど、異世界転移して楽しかった。

 それもこれも死んいでたミアが気づいてくれて、成り行きとはいえルチアが拾ってくれたお陰だ。


 爺さんに幼女、ルチアの等身大人形1分の1フィギュアや犬にも憑依した。流されてばかりだと叱られもしたし、何度もぶん投げられたけど、この楽しさはミアとルチアに出会えたからだ。

 ありがとう、ミア、ルチア。白魚のような細い指でガッシリ掴まれた感触は、忘れないよ。


 そうそう、ちょうどこんな感触……。


「ま……間に合ったぁ〜……」

「ルチア!? 来てくれたのか!?」


 箒に跨るルチアが俺をすんでのところで掴み取った。惜しむとすれば温泉イベントに間に合わなかった、それだけだ。


「ルチアひとりか、ミアはどうした?」

「何度も死んだミアを冥界には連れて行けないわ。樹液を取りに行きたいって、フレースヴェルグにお願いするよう頼んでいるの」


 地獄への穴を脱出すると、ヘルが醜く顔を歪ませルチアを睨みつけていた。

「MHK総裁バハムート・レイラーが娘、定期契約のルチア……」

 うん、ルチアのふたつ名が、ちょっとダサい。

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