第60話・アース脳MAD

 こんこんと湧き出る金色の樹液を、そこに暮らすヘイムダルという名の神族が、樽を用意して注いでくれた。

「魔女さんとは珍しいなと思ったらロキの娘、ヘルのライバルでしたか。私もロキとは昔から色々ありましてね」

 神族といっても、白くてむっちりとした、ただのおっさんだ。むちむちに隠されている筋肉が、無言で過去を語っている。


 ホビットが等身大人形1分の1フィギュアに使った量と同じだけ、人ひとり分の樹液をもらいミアがそれを担ぎ上げる。

「ミア、大丈夫? 重くないの?」

「あたし、これでも格闘家だにゃ。これくらいは、へっちゃらだにゃ!」


 それでも、重たい樽を担いだまま世界樹を降り、ホビットの集落まで帰るのは、難儀な話だ。かつてホビットの親父が取りに来たとき、どうやって持ち帰ったのか。

「配送とか出来ればいいのにな。ステージで稼いだ金があるから、有料でもお願いしたいよ」

「配送ですか? どちらまで?」

 誰に言ったわけでもない、どうせ聞こえないからと呟いたひとり言に、ヘイムダルがピンと聞き耳を立てて伝票を開いた。


「あ、幽霊の声、聞こえるんですね」

「これでもアース神族ですから。で、どちらに配送しますか?」

「ホビットの集落ですよ? ここからじゃあ、遠くないですか?」

「海を越えた森の奥ですね? ああー……ちょっと高くつきますが、いいですか?」


 俺とヘイムダルの会話を聞いて、ルチアが財布を開いて見せると、樹液の代金も含めて取られ、返されたのは少しだけ。

「やっぱり、高いわね」

「お宿もまんまもパーだにゃあ」

「帰りも働かないと、野宿と現地調達だな」

「レイジィ!? 私に歌えなんて言わないでよね!?」


 久々の野宿にミアが喜び、アイドル活動をルチアが拒絶し、俺がほかにも仕事はあるから幽霊でも力になるからとペコペコした。

 ヘイムダルは我関せずと地平線を見つめて、もうひとつの樽に樹液を詰め、むちむちの下に隠されたパワーを発揮し、ぶん投げた。


「ドゥリャ! アアア─────ア─────!」

「この世界の住人、ものを投げすぎだろ!?」

「そんなので届くの!? 樽が壊れないの!?」

「ちょっとやそっとで壊れるような、やわな樽じゃありません。私を信じてください」


 ヘイムダルは額に手をかざし、糸のように細めた目で遥か遠くをじっと見つめた。

「ホビットの集落に届きますよ。耳を澄ませてみてください」


 ……ゴボドゥフウウウウウウウウウウンン──。


「……何かが壊れた音じゃないか?」

「……屋根の穴じゃ済まなかった音ね」

「お家がぺしゃんこになった音だにゃあ」


 樽より中身より、ホビットたちの安否が心配だ。ミアがスマホを取り出して、ホビット親父の無事を確かめる。

「屋根に穴ぽこ空いてるにゃ」

「家の壁、なくなってるわよ」

「ホビット夫婦は無事みたいだな」


 しかし、いいや当たり前だが、ちょっとやそっとではない衝撃で、樽は木っ端微塵に砕けて世界樹の樹液が辺り一面に飛び散っている。やっぱり配送の荷物を投げてはいけない、投げたい気持ちにさせてもいけないんだ。


「樹液は、あたしが持ち帰るにゃ」

「届いていないんだから、お金返してよね」

「はぁ、すみません、お代はお返しします。お帰りは、こちらのビフレストへどうぞ」

 ヘイムダルが示した方向には、虹の橋が架かっていた。どうやらこれが正規のルートらしい、今までの苦労は何だったんだ……。


 と、それより前に見上げてすぐの雲の上、天界に行って女神様に直談判をしなければ。

「ルチア、黒衣から着替えたほうがよくないか? 魔女の姿で天界に行ったら、狩られるぞ」

「これが正装で楽なの。それに狩られる前に女神とり合う、それだけよ」


 マジだ、殺る気だ。神殺しは大罪だ、そのルチアが無事でいられるはずがない。動画削除要請の代償としては、いくら何でもデカすぎる。


「それに、女神様の力がいっぱいにゃ。また具合が悪くなっちゃうにゃ」

「うっ……でも、無許可の動画を削除させないと。あんなのが続いたら、世界中が迷惑するわ」

 ミア、ナイスアシストだ。ルチアは苦々しく唇を噛み、スカートを握って迷っている。


「あたしとレイジィで、女神様にお願いするにゃ! あたしたちを信じるにゃ!」

 胸を張るミアだったが、ルチアはヒクヒク歪んだ笑みを浮かべた。

「また、わけのわかんないことを言ったり、天丼を降らせたりするんじゃないの?」

「それは、誰が行っても一緒だろ?」

「あ、そっか」


 納得して落胆して女神様を見切った上で、ルチアは世界樹の樹液を預かり、留守番することにした。

 天界に向かうのは幽霊の俺と

「天丼食べたいにゃ!」

と、はしゃいでいるミア。もうカオスの予感しかしない。


「それじゃあ魔女のお嬢さん、巫女ヴォルヴァから聞いた世界創造の話でもして、待ちましょうか?」

「ああー! ズルいにゃあ! あたしも巫女さんのお話、聞きたいにゃあー!」

「はっはっは、天界に行って帰る間だけで終わる話じゃあないよ。猫のお嬢さん、また世界樹においでなさい」


 ミアは爪をガジガジ噛みながら、天界への階段を見えない俺とともに上った。ミアとのコミュニケーションは、女神様に会うまでお預けだ。

「うにゃあああ! 巫女さんのお話、聞きたかったにゃあああああ!」


 だから俺には止められない、苛立ったミアが天界への階段で爪を研ぐのを。

『こ、こら! やめなさい! 爪を研がないで! ああん、もぉ……ボロボロじゃないの……ぐすん』

 そして、女神様にも止められなかった。天界への階段には、無数の引っかき傷が刻まれた。


 ミアの【攻撃】が20アップした。

 ミアの【状態】がスッキリした。

 女神様の【状態】がヘコんだ。

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