第69話・旅館クライシス

 はぁ……落ち着く。


 というのも、この町が和風なとおり、泊まった宿が日本旅館そっくりだからだ。

 女将もとい女主人が三つ指ついて出迎えて、部屋にはセルフのお茶と茶菓子が置いてあって、窓辺に椅子とテーブルがある。

 窓から見えるのは、日本庭園。池があり、庭木や庭石が並べられ、これをコの字に囲むように旅館が建っている。


 急須で淹れた緑茶の味に、ルチアも「ほぅ……」っと緩んでいる。ミアは「あっちいにゃ」と緑茶をふぅふぅ冷まし、茶菓子の栗饅頭をほおばった。


「いいところね。こっちに引っ越そうかなぁ」

「賛成にゃ! 島だからお魚いっぱいにゃ!」

「いいかもな、樹液を届けたら戻ってこよう」


 この関係でいられるのなら、ずっとこの島に住みつくのもいいと思えた。景色も文化も馴染みがあるし、女神様の教会がないから、魔族もギリギリ足を踏み入れられる。俺たちが暮らすにはピッタリだと思えた。


 ルチアがちゃぶ台に身体を伸ばし、こらえきれずに含み笑いを浮かべて、足をパタパタさせていた。

「温泉、楽しみだなぁ。温泉♪ 温泉♪」

 そう、これもまた和風の町にピッタリだ。格安の宿でありながら、しっかり温泉を引いている。源泉が近くにあるなら、引いた水を沸かすより安く済むから、当然かも知れない。

 それでも嬉しい誤算だ。風呂好きのルチアが喜ぶのも当然だろう。


「コの字の端にあるのか、しかも大浴場だ。デカい湯舟で身体を伸ばすと、気持ちいいぞ」

「ふぅん、そんなに大きい湯舟なの?」

「泳げるのかにゃ? 泳げちゃうのかにゃ?」

「泳ぐのはマナー違反だ、俺がもといた世界では」

「泳いじゃダメなんだって。それで、この混浴露天って何?」


 混浴イベント発生キタ──────────!!


 しかし、これを女子ふたりに、どう説明する?

 まずは、鼻の下を伸ばさぬように。あくまで紳士的に、ぴょんぴょんしないよう心を鎮めて、淡々と説明に徹しなければならない。

「露天は空が見えるっていう意味で、混浴はみんなで入れる風呂ってことだよ。そう、みんなで」

「……普通はみんなで入れない。そんな言い方ね」

「そ、そうなんだよ。特別な風呂なんだ、そう」


 しまった、声が上ずってしまった、どう考えても俺の態度が怪しい。ルチアはじとっと俺を睨んで、ミアはキョトンと首を傾げる。


「レイジィも入れるのかにゃ?」


 痛いところを突かれてしまった。垂れるな目尻、伸びるな鼻の下、染まるな緩むな吊り上がるな頬。


「つまり男も女もみんな入れる、そういうこと?」


 ヤバい、ルチアが殺意を抱いている。変に隠すんじゃなかった、これではふたりを騙す格好になってしまう。


「ま、まぁ……そうなんだ。いや、騙そうとしたんじゃないんだって。ストレートに言うと、ルチアが大好きな温泉に浸かれないだろ? だからやめて、瘴気を集めて魔弾にしないで!」


 *  *  *


 はぁ、死ぬかと思った。死んでいるけど。


 結局、ミアとルチアは湯浴ゆあみ着をまとって、露天風呂を堪能していた。

 そして俺はルチアが張り巡らせた結界に阻まれ、脱衣場でふたりが上がるのを待たされている。

 湯浴み着があるなら、一緒に入ればいいじゃないかと思ってしまうが、これはルチアが下した俺への罰だ。ただひたすらに黙って待っているしかない。


「お星様が見えて最高だにゃ! レイジィも一緒に入ればいいにゃ!」

「ダメよ、レイジィは。いやらしい目で見られるわよ」

 扉越しに聞こえる会話に、返す言葉がない。男であるのが情けない、それが証拠にこの会話から中の様子を妄……想像してしまっている。


「ドラオさんに感謝ね、こんなにいいところで降ろしてくれるなんて」

「にゃにゃ? 何か丸いのが見えるにゃ」


 想像するな、想像するな、丸いものが見えるのは黒湯や白濁湯ではない、そういうことだ。そうだ、それ以外に考えるな、温泉は無色透明、ダメだダメだ景色を思い浮かべるんじゃない。


 脱衣場の扉が吹き飛んだ。無数の魔弾が壁に天井にぶち当たり、シュウシュウと瘴気を放っている。

 わっ! と驚嘆を上げるより先に、人影が眼前を通り過ぎた。それを湯浴み着のミアとルチアが追いかける。


「刺客よ! あいつ、私たちを封じようとした!」

「お風呂にあったのは、ドラゴンのボールにゃ!」

 確かに、ミアが持っているのは闘技場で見た金の玉、モンスターを封印するドラゴンのボールだ。


 ルチアが瘴気を手に募り、魔弾を影に解き放つ。しかし魔弾はボールに封じ込められて、旅館の廊下にコロコロと転がった。

 希少なボールを惜しげもなく使うとは、影の正体ただ者ではない。


「あたしの【速さ】にまかせるにゃ!」


 ミアがグンッ、と加速する。影は勘づき、引き戸を開けて部屋に逃げ込む。

 ミアが、そして俺とルチアがあとに続くと、そこは旅館の板場だった。調理台がひっくり返り、支度中の料理が舞った。


 ミアがそれを飛び越えて、宙を舞う刺身をパクッとくわえた。

「うまにゃうまにゃうまにゃうまにゃうまにゃ」

「そんなことしてる場合か!」


 影が破った勝手口から中庭に抜ける。庭木の隙間からボールが飛んで、ルチアが魔弾で弾き飛ばす。砕け散った瘴気が当たり、色とりどりの庭石が黒く染まった。

「趣きが変わっちゃったな……」

「イメチェンよ! イメチェン!」

「かっこよくなったにゃあ」


 逃げる影を池の端に追いつめた。が、影は躊躇いなく池を駆け、その水面に波紋を残していった。

 人間に成せる技じゃない。これは魔物の仕業か、あるいは……

「もしかして忍者か!?」

「忍者!?……って、何?」

「お話する暇はないにゃ!」


 ミアは影のあとを追って池を走る。

 だが、ミアの【速さ】を持ってしても水面を駆け抜けるなどは叶わなかった。

「お魚ゲットだにゃ!」

「「それは食べちゃダメー!!」」

 錦鯉を池に返してミアはそのまま水を蹴り、俺とルチアは池の端をぐるりと周って、向かいの建物に逃げた影を追った。

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