第70話・コン・バット
影は客室に逃げ込んだ。
ルチアが放った瘴気の魔弾は、盾にされたちゃぶ台に弾け飛ぶ。続いてミアが鉤爪を振るい、影が身を潜めるちゃぶ台を四散させる。
とどめを刺そうと、ミアが腕を振り上げた。が、影がフリスビーのように座布団を飛ばす。
「シャ─────!」
ミアの鉤爪が交差する。破れた座布団が散り散りになり、部屋一面に綿が吹雪いた。
その隙をついて、影は部屋を飛び出していった。
ルチアが先に
「ミア! 屈んで!」
「わかったにゃ!」
部屋から覗く廊下には、影が放ったボールを避けつつ魔弾を打ち込むルチアの姿。
幽霊の俺は廊下には出ず、いくつもの壁やふすまをすり抜けて、客室を通って影を追う。
「アレック……レスリー……ぬふっぐふぐふぐふ」
げっ、ホーリーが壁に耳を押しつけている。では次の部屋は……。
「ふたりきりになれたな、アレック……」
「人目があっても関係ないさ、レスリー……」
やっぱり。いちゃつく男同士の会話を、ホーリー盗み聞いていた。ということは……。
「ハァハァハァ、ミルルたん、ハァハァハァ」
死ね、重度のロリコン勇者ブレイド、死ね。
しかし、これはマズい。ブレイド一行と同じ宿、海を渡れば世界樹と、MHK本部が目と鼻の先だ。
ブレイドたちのスキルによっては、バハムート・レイラーの生命が危ない。
今すぐにでも、彼らのステータスを確かめたい。確かめたいが、今はミアとルチアを封じようとする影を追うのが先決だ。
それに、これだけドタバタしているのに誰ひとり気づかないんだから、大丈夫か。
ブレイドの部屋を抜けると、外だった。出られるような階段はない、影はまだ旅館の中だと壁をすり抜け廊下に入る。
「何だ、この階段は!?」
逆さまになった階段が行く手を阻んだ。
あ、2階があるんだ、それでこれは階段の裏だ。スーッと上昇していくと、階段を駆け上がっていくルチアに出くわした。
「上から来るぞ! 気をつけろ!」
階段を影が放ったボールが跳ねる。ルチアはそれを踏まないように、横へ逸れて階段を上がる。
「上っていうか、足元じゃないの!」
「ボールは上から来た、あながち間違いでもない」
そのまま真っすぐ上昇すると、床を抜けて真っ暗なぬくぬくとした部屋に入った。魔弾の音は聞こえているが、ふたりの安否がわからず不安が募る。
「ミア、ルチア、生きてるか!?」
「生きてるよ! レイジィは!?」
「おう、しっかり死んでるぜ!」
暗い部屋をすり抜けて、ルチアと再び合流する。廊下の突き当たりから弾幕のようにボールが飛ぶ。それを【速さ】で避けるミアと無数のボールで、影の姿は捉えられない。
「レイジィ、流れ弾に気をつけて!」
身を
「せっかくだから、俺はこの赤のふすまを選ぶぜ」
「レイジィ、何がせっかくなのよ!?」
「あ、違う。影をこっちに追い込んでくれ」
「そうならそうと言ってよね!?」
ルチアは廊下をグッと踏み込み、魔弾を掴んで影へと駆け出す。ボールの弾幕を飛び越えて、ミアと並んで黒い影と対峙する。
「至近距離でぶち込んでやるわ!」
「接近戦ならまかせるにゃ!」
グンッ! 影が身を低くして、ミアとルチアの隙を突く。階段へ、俺へと向かう影の姿に、ルチアはかすかにニヤリと笑う。
「かかった! レイジィ!」
「その魔弾を階段に投げてくれ! ミアはふすまを破るんだ!」
「ミア! 赤い扉を壊して!」
ミアは返事を惜しんで影を追う。魔弾に行く手を阻まれて、影は一瞬だけ狼狽えて弾幕を張る。
その狼狽えが、俺たちのチャンスになった。
ミアは影の頭上を飛び越え、鉤爪でふすまを切り裂いた。
影は作戦に気づいたようだが、もう遅い。
バラバラと崩れたふすまに次いで、ぎゅうぎゅうに押し込まれた布団が覆い被さり、影は動きを封じられた。
その上に、まふっとミアがのしかかる。
「捕まえたにゃ!」
ルチアが布団をめくったそこには、10歳くらいの子供が悔しそうに歯を剥いていた。それも吊り目のおかっぱ頭に、狐耳を生やした子供だ。
「こいつ、もしかして……お稲荷様?」
「レイジィ、おいなりさまって、何?」
「そうだよ、僕はお稲荷様! 神様に何ていうことをするのかな!?」
「うにゃ! 罰が当たっちゃうにゃ!」
神と聞いて
ぷぅっとむくれた子供の稲荷は、巫女装束を身にまとい、その袴から狐の尻尾を飛び出させていた。不機嫌そうにブンブンと振っているから、この尻尾は本物だ。
「神様っていうことは、魔族の敵ね?」
ルチアが手に瘴気を募ると、ミアが危険を
「ダメにゃ! まだ子供の神様にゃ!」
ミアの必死の嘆願に呆れながらも観念し、ルチアは魔弾を握って潰した。
だが、お稲荷様は憎しみを込めてルチアを睨む。
「そうだよ! 魔族が、ドラゴンが島に来なければ僕は……僕は……」
お稲荷様は大きな吊り目をうるうる潤ませ、ワンワンと子供らしく泣き出した。これには事情があるらしい、そう思って俺たちは、泣きじゃくるお稲荷様を部屋に招いた。
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