第43話・『家庭の魔術』
火を吹く家の玄関から煤まみれの夫婦が飛び出してきた。真っ赤になった家を仰ぎ、あたりを見回し絶望の縁に立たされていた。
「いない……フローリアンがいない……」
「まだ中にいるんだ、フローリアーン!」
ごうごうと燃え盛る玄関に戻ろうとする母親を、夫が羽交い締めにして止めていた。
「やめろ! お前まで死ぬぞ!」
「ああ、フローリアァァァァァン!」
街の人々が目を覚まし、残酷な現実を前にして唇を噛んだ。
「水だ! 水を持ってこい!」
かき集めた器に水を汲み、火炎に挑む。しかし火の勢いは凄まじく、鎮まる気配はまるでない。
ミアがハッとし、俺とルチアに縋りつく。
「レイジィ! ルチアさん! 水系魔法で火を消すにゃ!」
「そうしたいけど……攻撃魔法よ? 中にいる子も無事ではいられないわ」
躊躇うルチアに、ミアはあきらめず食い下がる。
「それじゃあ、レイジィが復活させればいいにゃ」
「火事と魔法で受けた心の傷は、その子からは消えないの。軽々しく復活なんて言ったらダメよ」
駆け出そうとしたミアの手を、ルチアが掴む。
「ダメよ! あなたまで死ぬ気なの!?」
「あたしが行かなくて、誰が行くにゃ!」
「俺が行く!!」
言葉どおり、俺は紅蓮の炎に飛び込んだ。人形の身体だから、熱くない。火の粉が降り注いでも、服が焦げるだけで火傷はしない。
何も恐れず奥へと歩みを進めると、火元と
そのすぐそばで、怯えて涙を浮かべる子供が火炎の檻に囚われていた。
「フローリアン!? フローリアンか!?」
「お姉さん、助けて……怖いよ……」
火炎の檻? 尋常じゃない、こんなことを出来るのは──
火柱が踊り、その正体を現した。
『人間ごときが我輩を遣うなど、おこがましいわ』
そいつは、火炎の龍だった。踊る炎に身をくねらせて、服を焦がしている俺を嘲笑う。
「貴様、何者だ!?」
『我輩は、ファイアードラゴン』
「まんまやんけ」
『黙れ! 我輩を舐めるでない! そう言っていられるのも、今のうちだ!!』
火炎の檻が縮んでいった。火が迫り、身体を畳むフローリアンは割れんばかりの嗚咽を漏らした。
「助けてぇぇぇ! お母さあああん!!」
俺はファイアードラゴン、いや、その根本にある本に向かって両手をかざした。
奴の本体は、あの本だ。
「くたばれ! マンタレイ!!」
水の絨毯が宙を泳ぎ、炎の檻を蹴散らした。それは勢いを失わずファイアードラゴン、そして本へと覆い被さる。
『グガァハアアアアアアアアアアアアアアア!!』
ドラゴンは消え、炎の檻は燃え尽きた。フローリアンは立ち上がり、俺のもとへと駆け寄ってきた。
「お姉さん!」
「まだだ、フローリアン。家が崩れる」
仰いだ黒い天井はミシミシと鳴り、炭に灰に姿を変えた。それは急速に限界を迎え、ピシピシと破滅への悲鳴を上げている。
俺は玄関に向けて手をかざす。
「いいか、フローリアン。俺が火を消すから、一刻も早く逃げるんだ。お父さんとお母さんは、そこで帰りを待っている」
「お姉さんは!? お姉さんも一緒だよね!?」
天井をチラリと見てから、フローリアンにフッと微笑みかけた。作りものの目が映したのは、希望と絶望の狭間で揺れるあどけない瞳だった。
「……マンタレイ」
台所から玄関へ、通り道が貫かれた。家の前では街の人々、ルチアとミア、フローリアンの両親が居並んでいる。
「ダイナストーム」
フローリアンは、俺が唱えた風系魔法で吹き飛ばされて母の両腕にハシっと抱かれた。奇跡に歓喜の涙を流す大人たち、残された俺の帰還を願うルチアとミア、フローリアン。
それが人形の俺が見た、最後の景色だった。
天井が、屋根が崩れて押し潰された。辺り一面で揺らめく真紅は、一瞬にして真っ黒に染められた。
樹液の身体がひび割れる、木製の骨が露出する、屋根が力を失いのしかかる。
これが最後と家全体に「マンタレイ」と水を浴びせて、俺は幽霊に戻された。
砕けた身体を抜け出すと、視野の隅を箔が突く。
「これは……あのドラゴンの足元にあった本だ」
掴み取れた、幽霊なのに触れられた、ということは魔族の本。
ならばあのドラゴンも、この火事も魔族の差し金なのか。
ぺしゃんこになった天井を抜け屋根を抜け、消し炭になった家を出る。登る朝日に照らされたルチアの顔が、俺を認めてハッと開いた。
「レイジィ! ミア、レイジィよ!」
「レイジィ!?……どこにいるにゃあ?」
「あの本の表紙! レイジィが持ってるの!」
俺はルチアに掴まれて、ギュッと抱かれて
「レイジィ、おかえりにゃ」
「ごめん、心配させて。また死んじゃった」
「もう、無茶するんだから。せっかくもらった身体が、なくなっちゃったじゃないのよ……」
「それより、これ。本が火元になったみたいだ」
俺が渡した表紙を目にして、ルチアの顔が険しくなった。
「……『家庭の魔術』……」
「これからファイアードラゴンが出てきたらしい。何かわかるか?」
「わかるも何も、これは魔族の魔法入門書よ。でもどうして、この本がこの家に……?」
最後のあがきに煙を立てる家へと男たちが走っていった。潰れた屋根を引き剥がし、歪んだ床板を裏返し、捜索するのは俺が憑依していた人形だ。
「なぁ、あの娘。チア✕チア☆ダブルチアのレチアじゃないか?」
「そうだ、黒いエプロンドレスをまとっていた」
「レチア! どこだ! レチア─────!!」
この隙に、とルチアは俺を抱いたまま、ミアの手を引き街から離れた。虚空より箒を取り出し、俺とミアを跨がらせ、西に消えゆく宵闇を目指して飛び上がった。
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