第89話・狩りの時間だ!

「やっばぁ……」

 青ざめ引きつり後ずさり、ルチアは箒を虚空から出して飛び去った。向かっているのは北の空、目指しているのは東の島だ。


「魔女が逃げた! 追え!」

「追うぞ! 追いかけろ!」

「女神様にお伝えするぞ!」

「ギルド総出で捕まえろ!」

「魔女を火炙りにしろ!」


 ルチアを追うのを断念したホビットたちが、ミアをぐるりと取り囲んだ。手斧の柄で空いた手をペシペシ鳴らして、鼓膜から全身を震わせてくる。


「あんた、魔女の使い魔か?」

「勇者パーティーにいたよなぁ?」

「パーティーをクビになった腹いせか!?」

「あんたまで、俺たちを騙していたのか!」


 ジリジリ迫るホビットの輪に、ミアは縮めた身体を震わせて、爆ぜるように地を蹴った。

「ルチアさんは、そんなんじゃないにゃ!」

 手斧が花開くようにのけ反った。ホビットたちは強い夕陽に目を眩ませて、高く舞い上がったミアを見失った。


 地面をとらえた猫足は、誰もが気づくより遥かに早く北へ北へと駆けていった。

「ミア! 俺も行く!」

 届かないと知りながら、俺は叫ばずにはいられなかった。地平線の彼方へと消えゆくミアを、幽霊の限界速度で追いかける。


 それでも少しずつ離されていくが、ミアとルチアの距離はじわじわと迫っていった。

 茜色から藍色へ染まっていく空に星が浮かんだ。危ないところだった、宵闇の中で遠く放されてしまっては、俺はルチアもミアも見失っていたかも知れない。


 そのうちミアが減速し、頭上にとらえたルチアを見上げる。

「ルチアさぁん! あたしも一緒にゃ!」

「ダメよ! ミアまで危ない目に遭うんだから!」

 しかし、ミアの声がルチアに迷いや躊躇いを生じさせた。明らかに失速し、ミアだけでなく俺までもが追いついてきた。


 そのとき、悲哀に満ちた女の声がミアを呼んだ。スマホだ、エルフのいすゞが呼び出している。ミアはスチャッとスマホを手にして、猫耳に当てて応答した。

「今、忙しいにゃ! あとで『あああああ切らないで! 今、どこにいるの!?』

 ミアはちょっと渋い顔をして、猫耳を不機嫌そうにぺたりと寝かせた。ならば、とミアに代わって俺がいすゞに応答する。


「いすゞ、聞こえるか? レイジィだ」

 スマホ画面の小さないすゞは目を見開いて、水晶玉を耳の穴に押し込んだ。

『聞こえるわ、レイジィ。今、どこなの?』

 俺がそばにいると知り、ミアはスマホを後ろ向きに立ててくれた。祈るようないすゞの顔がハッキリ見える。


「ホビットの集落から北にひたすら向かっている。ルチアは箒で、東の島を目指しているようだ」

『あなたたちは、ルチアを追いかけているのね? 私に出来ることは、あるかしら。これでも半分は神だから、表立っての行動は出来ないけど……』


 いすゞに……エルフに出来ること……。思いつかない。BLオンリーイベントと、ヲタク雲しか思いつかない。

「……ありがとう、今は考える余裕がないんだ」

「お腹空いたにゃ!」

『……わかったわ。力になれるよう、みんなで相談する』

 スマホの画面からいすゞが消えると、遥か遠くに街の明かりが浮かび上がった。


「チア✕チア☆タウンだにゃ!」

 わかりやすいが、その名前はルチアが怒るぞ。

 しかし、街明かりの様子が変だ。活況ではない、憎悪に満ちた赤い光で染められている。

「ルチア! そっちに行くな!」


 俺の声が届くよりも遥かに早く、青白い光が地上から夜空を切り裂いた。箒のルチアは姿勢を崩し、その場で行く手をはばまれた。

 ルチアの眼下、俺たちの前方が盛り上がる。

 冒険者たちだ、ギルドに属する冒険者が数え切れないほど集まって、きりきり舞いのルチアを狙う。


「魅惑されたのは、魔女だったからか!」

「だましやがって、許せねぇ!」

「女神様まで誘惑しやがって!」

「捕らえて火炙りにしてくれる!」

「魔女を倒して、俺のレベルは爆上げだ!」


 冒険者たちは、昨日までのアイドルを今日は魔女だと呪っていた。宵闇に浮かぶルチアひとりに罵声を浴びせ、剣を抜いて槍を突き、斧を振り上げ弓を引く。そのうちベテラン剣士が躍り出て、月明かりを刃に映して雄叫びを上げた。


「聖なる力で焼き尽くせ!!」


 僧侶や白魔術の使い手は、メイスで白魔術の弾幕を張る。

「ルチア! 逃げるんだ!」

 俺の願いは聞こえていたが、届かなかった。夜空のルチアは姿勢を正し、獲物を見つけた獣のような歪んだ笑みで冒険者たちを見下ろした。


 スッと伸ばした人差し指でルチアが地上を指差すと、まばゆいばかりの聖なる光は砕け散り、冒険者たちを貫いた。

『ギャイヤアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 これをルチアは鼻で嘲笑わらった。これが魔女、これが魔族の本性なのかと、冒険者たちのみならず俺もミアも震え上がった。


「聖なる力? あなたたちのよこしまな願いがダメージになったんじゃない? いっそ魔族に加わったら?」

 冒険者たちから湧き上がる恨みやねたみを、ルチアは手の平に募って瘴気に変える。ゆっくり指を折り曲げると、それは電弧がのたうち回る漆黒の魔弾となった。


「ま、あなたたちはいらないけどね」

「それならあたしも、いらない子にゃ!」

 ルチアがかざした魔弾の先に、両手を広げたミアが立ちはだかった。

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