第49話・あなたは伝説の目撃者となる

 床板、壁、天井、屋根、そして景色が順々に取り戻された。最後に喧騒が取り返されて、いつもの朝を終えようとしていた。

 変わったことといえば、絵描きのルデウスが消息を絶った、それだけだ。


 だらしなく開かれた扉の向こう、リビングでキッチンでベッドルームでアトリエの、たったひとつの部屋は主人を失って途方に暮れた。

 描きかけの絵、線だけの絵、買い手を待っていた絵から湯気のように瘴気が立ち上っていた。下から上へと暗い色調が消え去って、夢のような淡い世界がキャンバスに溢れ出た。


「はにゃあー、綺麗にゃー」

「そう? 呪いが消えただけよ」

「(これだけの腕がありながら、悪魔に魂を売ってしまうとは……ルデウスもまた不遇だったのだろうな)クゥ〜ン、クゥ〜ン」

「ミア、レイジィは何て?」

「うーんと、えーっと、ぐぅーだから、お腹空いたにゃあ!」


 それはミアの願望だろう。腹の虫が鳴いたんじゃないよ、不遇って言ったんだよ俺は。

 教会の絵も覗いてみると暗い色調は抜けており、ひとり永遠の眠りにつく少年を天界に迎えるような明るさと温かさが、そこにあった。

「これなら教会に合ってるにゃん」

と、ミアは満足そうだったがルチアは眉をひそめて

「女神様好みの絵ね」

と、扉の影から吐き捨てた。ルデウスが描いたより暗い絵が魔族好みなのだろう。


「(呪いが解けて絵が明るくなったということは、ルデウスは女神様の信仰を捨てられなかったのか。悪魔に魂を売るのは、相当な覚悟がいるのだろう)ワンワン! ワン!」

「ミア、レイジィは何て?」

「ええっと、ううんと、とろけてなくなる卵と角煮って言ってるにゃ!」


 ミアが空腹だというのが、よくわかった。ルチアは「まったく、レイジィはノンキね」と俺に呆れてしまっている。だから違うってのに、もう。

「レイジィ? まんまより先に、この子のお葬式だにゃ。もうちょっと我慢するにゃ」


 よりによって、訳したミアに叱られてしまった。悪意なく裏切られたような疎外感にさいなまれ、泣きたくなって「クゥ〜ン……」と鳴いた。


『この子の葬儀をするのですね? ひとりでも多くがとむらうよう、この港町に広く知らしめましょう』

 女神様、ここで登場。宙に浮いたスクリーンに、葬儀のスケジュールが表示された。

「ちょっと! 何で『鎮魂歌レクイエム・ルチア』って書いてあるのよ!?」


 ルチアが指摘したとおり、式次第にはそのように書いてあった。たまたま寄っただけの港町で、何故こき使われなければいけないのか。


『レチアに贈った鎮魂歌が、世界中が涙するほどの大評判なのです。あなたが歌えば全Bayが泣くでしょう』

 ミアがスマホを取り出して、動画アプリを開いて「おにゃ!」と目を丸くした。

「本当だにゃ! たくさん見られてるにゃ!」


 扉の影のルチアにスマホを見せると、沸騰しそうなほど赤くなり、唇をワナワナと震わせた。

「削除! 削除! 削除─────!!」

『ファーストライブだけではないのですか?』

「(許可なく上げるなって言っただろう!)キャンキャン!」

「きくらげ揚げるなって言ってるにゃん!」


 頑張って訳してくれるのはありがたいが、ミアの誤訳が状況をややこしくしてしまっている。お願いだから、わからなければ黙っていてくれ。


「とにかく! 私は歌わないからね!? それも削除して! 私の歌を広めないで!」

 ルチアが激怒していると、女神様はシュンとして設定から動画を削除した。これでもう、アイドルとしてのルチアは終了だろう、と思われたが……。


『チア✕チア☆ダブルチアは、多くの人を感動させました。その影響は計り知れません』

 スクリーンの隅にある虫眼鏡のマークを選択し、女神様が「ルチア」と入力すると、ルチアは言葉にならぬ叫びを上げた。


 ありとあらゆる人により投稿されたルチアの動画が、無数に表示されていた。どれもこれも好意的なタイトルで、伝説のアイドルとしての地位は揺るぎないものだと確信出来た。


「Ж‰∅∉∬∝∀Ю⊇Щ(゜Д゜)Щ─────!!」

「ルチアさん、どうどうどう、にゃ」

「(何てことをしてくれるんだ、ポンコツ女神!)ワンワンワンワン!」

「うーんと、えーっと、豚骨メガ盛りにゃ!」

 聖なる光りに包まれて、メガ盛り豚骨ラーメンが降臨した。ミアも女神様も、話をややこしくさせるんじゃない。そして何で俺は骨だけなんだ、チャーシューくらいつけてくれ。


「私は絶対に歌わない! 葬式が終わったら、この町を出るんだからね!? 私たちは世界樹に行くんだから!」

『世界樹ですって!? まぁ……世界樹ライブ全世界配信……』

 ルチアはブチ切れた。涙目を吊り上げ歯を剥いて地団駄踏んで、声にならない叫びを上げた。


「ルチアさん、どうどうどう、にゃ」

 ミアは暴れるルチアの脇を抱えて、ずるずると町を引きずった。俺もそれについていく。

「こんな町にいたくない! 葬式なんか待っていられない! もう世界樹行きの船に乗る!」

「どうどうどう、船がいつ出るか確かめるにゃ」


 世界樹を遥かにのぞむ港へ行って、出港はいつなのかを尋ねてみた。が、そこで俺たちは重大な問題に直面した。


「犬は船に乗れないよ、置いていってくれ」

「レイジィは、お留守番にゃ」


 何てこった、俺だけが世界樹に行けないのか。

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