第48話・おひとり様ご招待

 賑わいを控えて静寂に鎮まる、港の倉庫街。その中に、ルデウスのアトリエが埋没していた。

 喧騒の真ん中にあっては、創作など困難だろう。そう思われたが、騒がしいのは漁船が帰ってセリがはじまる朝と、船の出入港のときだけだから、創作に集中出来る時間は案外多いのかも知れない。


「ルデウスさぁん、ルデウスさぁん、ご用事にゃ」

 ミアが声を掛けてノックをしても、ルデウスからの返事はない。

 まだ寝ているのかとあきらめたとき、のそのそと床を踏む音がかすかに聞こえて、かったるそうに扉が開いた。


 ゲッソリやつれた青い顔、落ちくぼみ焦点が合わない目玉、ボサボサに固まった髪、ひどい猫背の男がルチアの上から下までを舐めるように見て、乱雑に吐き捨てた。

「誰? あんた。何? その格好」


 朝早くから呼び出され、それがフリフリフリルの【アイドルのドレス】をまとった美少女とあれば、誰だって警戒するだろう。

 ルチアはそれにハタと気づいて、慌てて俺を頼りにしてきた。

「レイジィ、装備を変えて!」

「(これよりスカートが長ければ、いいだろう? いでよ【学びの服】!)ワン! ウゥゥワン!」


 天に向かって手をかざし、アイテムを呼び出したものの、何も起きない。片方の前足を宙に浮かせてワンワン鳴いただけである。

「はい、お手。レイジィ、お利口さんにゃ」

 ミアは、俺の前足を掴んで撫でた。


「ワン! ワン!(違うんだ、ミア。俺はアイテムを呼び出したかった、それだけなんだ。犬の鳴き声では、アイテムを呼び出せないのか……。ならば、詠唱しなければ発動しない魔法もスキルも使えないのか!? これでは、カンストもチートも無意味じゃないか……。犬である俺は、みんなの役に立てるのだろうか)クゥ〜ン、クゥ〜ン」


 俺がキャンキャン鳴いているのが、ルデウスのしゃくに障ったようだ。苛立ちガシガシと頭をかいて、歯をギリギリと噛み鳴らしていた。

「朝っぱらから、うっせぇよバカ犬! 絵を描く気にならねぇだろうが!」

「(バカとは何だ、俺は哲学的な命題に取り組んでいる。稀代の芸術家などとおごり高ぶるな、おこがましい)ウゥ〜ガルルルル……ワン! ワンワン!」

「レイジィ、ステイステイ」

 激昂した俺をルチアが諌めた。俺はシュンと大人しくしたが、これでは心まで犬ではないか、しかし犬だから下等であるとは限らぬと、揺れる自我に俺は再び苦悩した。


 呆れたルデウスが扉を閉める。

 すんでのところでルチアが足を突っ込んだ。

「何だよ、変な服のお嬢ちゃん。俺にいいことでもしてくれんの?」

「そうね、私はあなたのために来たのよ?」


 ルチアが不敵な笑みを浮かべ、それにルデウスが釣られると、辺りの壁も床も景色さえも奈落の底に落ちていき、俺もミアも、ルチアもルデウスも虚無の闇の中に浮いた。


「うわぁ、何だ!? 何だよ、これ!?」


 ルチアがスッと手を伸ばし、虚空に浮かぶ木の根の杖を掴み取る。俺たちの足元に、紫色の光を放つ魔法陣が広がった。しかしそれは、漂うルデウスに届かなかった。


「ルデウスに問う。あなた、悪魔と契約したわね」

 闇の中から現れた黒い手が、歯を鳴らすルデウスの頬を鷲掴みにした。

「ふぃまひは! 芸術へーひゅふはまひいひまひは!」

「ルデウスに問う。『家庭の魔術』は、今どこ?」

 黒い手の長く鋭い爪が、ルデウスの薄い頬に突き立てられる。

「欲ひいほは芸術へーひゅふらへ、はび途中ほひゅうゆひゅひまひは!」


 あの火事は、ファイアードラゴンの召喚は、ルデウスが原因だったのか。そうとわかると、ルチアは杖をルデウスに向けた。頬を掴んだ黒い手は、顔を這ってこめかみを握りしめる。


「どっちつかずの契約履行は迷惑なのよ。あなたが描いた絵、中途半端で気味が悪いわ。ま、そのせいで女神様も気づかなかった、そういうわけね」

「やめろ! やめてくれ! 殺さないでくれ!」

「(お前のせいで火事が起きて、子供が危ない目に遭ったんだ! 画家を目指していた子供も、生命を落としたんだぞ!)ウウ〜ワンワン! ワン!」


 クソッ! 俺が犬でいるせいで、緊張した場面がちっとも締まらない。ミア、代わりに啖呵を切ってくれ。

「みんなをひどい目に遭わせて、ひどいにゃあ!」

 概ね合ってる、だが締まらないのは変わりない。この場はルチアに任せよう。


「あら、殺されるのがお望み? 残念ね、あなたの願いを叶えられなくて」

 ルチアは杖を紫煙に消すと両の拳を突き合わせ、肘をゆっくりと広げていった。

「ルデウス、あなたに裁きを言い渡す。MHK契約違反、黒魔術および魔術書漏洩、魔族および黒魔術不正使用の罪で、懲役56億7千年の刑に処す」


 ルデウスの足元に穴が空き、闇より暗い奈落の底に落とされた。

「ああ、あ、ああ、あああ、あああああああああああああああ!!……」

 魔法陣の隅に屈んだルチアは、悲鳴が止まぬ奈落の底を覗き込んでニッコリ笑った。

「安心して、生命だけは助けてあげたから」


 ミアは思わず後ずさり、青ざめた顔を引きつらせながらルチアの足元を指差した。

「ルチアさん、ルデウスは……どうなったにゃ?」

「生きながらにして無間地獄に堕ちたの。生命も死も選んだから、どっちも味あわせてあげるのよ」

 ピッタリでしょ? と、ルチアは屈託のない笑顔を振りまいた。俺とミアは、未来永劫まで続く恐怖に震えた。


「あ、レイジィがおしっこ漏らしたにゃ」

「ああっ! 魔法陣がびしょびしょじゃない!」

「(違うんだ! これは身体が勝手に! 犬の身体のせいなんだ!)キャインキャイン!」

 俺もまた、恥辱の地獄を味わった。誰でもいい、誰でもいいから、早く俺を救ってくれ。

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