第12話・お爺ちゃん、死んだでしょ?

 俺を眠りから覚ましたのは、わずかな木漏れ日とルチアの弾んだ声だった。

「レイジィ! 来て来て!」

 俺の手を引き箒を掴み、玄関先からフワッと真上に飛び上がり、緑色の滝を抜ける。風にうねる枝葉の波の遥か遠く、やつれた魂がふよふよ浮かんで、ほのかな光を放っていた。


「あれって……幽霊?」

「そう! 昨日の夜に死んだばっかり、生まれたての幽霊よ!」

 死んで生まれたての幽霊って、何だ! ルチアの言語感覚に、頭がおかしくなってしまう。

 いや、待てよ? 昨夜に死んだばかりということは……。


「ルチア、もしかして……」

「新鮮な死体があるわ。行きましょう、レイジィ。新しい身体に憑依して、お爺さんとして生きるのよ!」

 ヤバいぞ、言語感覚はおろか倫理観までぶっ飛んでいる。さすがにそれはマズイんじゃないかと、理屈抜きではばかる俺を無視してルチアは飛んだ。


 向かった先は、死にたてで生まれたての、漂っている幽霊だ。その姿は半透明の爺さんだから、亡くなったのも爺さんだろう。

「ねぇ、お爺さん。もう身体はいらないの?」

「ああ、わしはもう十分に生きた。名残惜しいが、悔いはないわい」

「お爺さんの身体はどこにあるの? 墓場?」

「墓場の前に、葬式じゃ。今はあの教会にある」


 教会かぁ……と、ルチアは苦々しく爪を噛んだ。魔女だから、教会に入れないのだろう。ということは、この計画は中止かな? どうか、そうであってくれ。

「ルチア、そんなに急がなくてもいいよ。また今度にしよう」

「ダメよ! 新鮮な死体よ? そんな簡単に諦めていいの!?」


 やめたほうがいいって、と言うより先にルチアは教会へと急いでしまった。荘厳な扉の前でふわりと着地し、俺をボールみたいにガシッと掴む。

「私は教会に入れないの。でも、幽霊のあなたなら扉をすり抜けられるでしょう?」

「ちょっと待った、何を考えている」

「見えないけど、狙いは奥の真ん中ね。レイジィ、うまく憑依はいってね」

「いや、ヤバいって、やめろ、やめとけって、あのルチアさぁぁぁぁぁん!?」


 俺はルチアにぶん投げられて、扉をスルリと通過して、参列者の頭上を飛び越え、遺族が囲む棺に落下し、爺さんの身体へと沈んでいった。


 久しぶりの、まぶたを開くこの感覚。しかし景色は真っ暗闇で、手足の自由はほとんどない。顔や手をくすぐる感触と、鼻を突く芳醇な香りは、爺さんと一緒に納められた花だとわかる。

 視覚も触覚も嗅覚もある、窮屈な中で腕を曲げて胸に手を当てれば鼓動している、俺は確かに生きている、死んだ爺さんの身体を借りて。


 すすり泣きが響く中、沈ませた男の声が棺の隙間を縫って届いた。

「それでは、出棺です」


 待て待て待て待て。生き返ったそばから、俺は棺ごと埋められるのか。墓が浅ければゾンビみたいに出てこられるが、そうでなければ生き埋めで酸欠になって俺は死ぬ。チートを活かして墓を破壊──。


 いやいや待て待て。ここは西洋じゃない、異世界だ。どんな葬式だかわからないぞ。


 これが火葬だったらどうしてくれる? 水系魔法で火を消すにせよ、表だったら効果はあるが、日本みたいなガッチリした火葬場なら逃げ場がない。


 棺ごと宙に浮かんだ俺は、しばらく揺さぶられて着地した。浅い、ヤバい、燃やされる。

 棺の蓋を動かそうにも、重くてちっとも持ち上がらない。きっとこれは、爺さんの衰えた身体だからだ。パワー系のスキルやアイテムはどこなんだ。


「マッソー」


 棺を妙な空気が覆った。死んだ爺さんが納められているのに、爺さんがパワーアップのスキルを詠唱したからだ。

 そんなこと、構ってられるか。生き埋め丸焼きは勘弁だ。棺の蓋を殴って飛ばし、身体をミシミシと起こしていく。


「ぎゃああああ!」

「生き返った!」

「奇跡だ……」

 遺族参列者は大騒ぎだが、この身体をもって俺はチートスキルで活躍する……。


 いや、やっぱりマズいだろ、この状況は。子供は泣いて、女は倒れ、男は尻尾を巻いて逃げている。


「いやあああああ! お義父さぁぁぁぁぁん!」

 さんざん苦労させられたのか、嫁と思しき女は悲壮感たっぷりに絶叫している。おい爺さん、あんた何をやったんだ。


「生き返ったんだ、うちの畑はお前らにやらん!」

 長男と思しき男が、よく似ている男たちに啖呵を切った。これはヤバい、財産分与のやり直しが発生してしまったらしい。


 そのときだ、俺の視界が大きく振られて魂が身体から離れようとした。

「貴様、何だそのステータスは。わしに人生をやり直させろ」

 死んだ爺さんの魂が、チート目当てに帰ってきやがった。


「これは俺のステータスだ。あんたが身体に帰っても、元の爺さんに戻るだけだ」

「バカを言うな、わしはこのステータスを活かしてハーレム生活を満喫するんじゃ」

「いい歳こいてハーレムとか言ってんじゃねぇ!」


 これらの会話は、俺と爺さんの魂が爺さんの身体を奪い合った状態で行われている。だから爺さんの口から俺の台詞と爺さんの台詞、そのどちらも放たれて落語みたいなひとり口論になっている。


 身体と魂の合致には敵わず、俺は爺さんから弾き出された。そうして俺は幽霊に戻り、爺さんはただの爺さんとして息を吹き返した。

「ステータスが、わしのハーレムがあああああ!!」

「いやあああああ! お義父さぁぁぁぁぁん!」

「おい親父! 勝手に生き返ってんじゃねぇよ! 畑はどうすりゃいいんだよ!」


 だからやめろって言ったのに……。せめて死んで惜しまれる人なら、こんな騒ぎにはならなかったのだろう。人選は慎重に行わなければならないな。

 まぁ、ひどい目に遭ったから、次にはいいことがあるはずだ。その場をこっそりと去って、ルチアのもとに帰って……。

「あれ……? ルチア……?」


 ルチアは、姿を消していた。

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