第57話・2分だけでもいい

 視界を覆う世界樹に呆然と立ち尽くしていると、樹上から一匹のリスが降りてきた。

「にゃはっ、可愛いにゃあ〜」

「こいつ、可愛げのある奴じゃないわよ」

 目をハートにするミアとは裏腹に、ルチアはリスに冷めた視線を送っている。こいつが世界樹行きを躊躇わせた原因なのか、そう疑問に思っていると、生意気そうな声でリスが喋りだした。


「おやおや、幽霊が世界樹に来るなんて、どういう風の吹き回しだい?」

 そうか、こいつには俺が見えるのか。天界と冥界をつなぐ世界樹に住まうのだから、不思議はないのかも知れないな。

「俺たちは樹液を取りに来たんだ。どこなら取れるんだ?」


 リスはキキッと嘲笑ってから、小さな指で樹上を指した。

「そうかい、樹液かい。あの雲が流れているあたりだよ。魔女さんの箒でひとっ飛びだろう?」

「ありがとうにゃ! ルチアさん、飛ぶにゃ!」

 嬉々としたミアが箒に跨り、噛んだ唇をもぐもぐするルチアを早く早くと促した。渋々ルチアが箒に跨ったので、俺も眉をひそめつつあとに続いた。


「ルチアが世界樹行きを渋っていたのは、あいつのせいか?」

「ラタトスク? う〜ん……それもあるけど……」

「ラタトゥイユ? どこにあるにゃん?」


 木肌に沿って上昇し、ちらりほらりと枝葉が横に伸びてきた。それを避けて飛んでいると、ぶっとい腕が突然伸びて、俺たちはまとめて掴まれた。


「何!? いきなり何なのよ!?」

「レイジィ! 助けてにゃあああ!」

「すまん! 今回は俺も掴まれているんだ!」


 ゆっくり引き寄せられた俺たちを、巨大な鷲の目が凝視していた。その身体は人間のもの、背中には翼が生えている。


「ぎにゃあああ! 食べられちゃうにゃあああ!」

「こいつはフレースヴェルグよ。死体しか食べないから安心……」

 ルチアがそこまで言いかけると、硬い表情で俺を見つめた。いやいや、俺は最初から幽霊だから身体なんて、どこにもないぞと、首をぶんぶん振る俺をフレースヴェルグがつまみ上げた。


『何故、幽霊がここにいる! 貴様の身体は、死体はどうしたんだ!』


 やべぇ……メチャメチャ怒ってる。食えるはずの死体がないから、機嫌が悪くなったのかな。

 必死に弁明しようとした、その瞬間。ラタトスクが駆け上がってきて、フレースヴェルグに耳打ちをした。

「ニーズヘッグの差し金じゃあございませんか? 冥界から送り込んだに違いありません」


 おい、お前は何で明後日なことをふきこむんだ。お陰でフレースヴェルグが激怒したじゃないか。

「違うって、俺はこことは違う世界から」

『おのれ、卑しい蛇ニーズヘッグめ! 幽霊だったら幽霊らしく、冥界から出てくるな!!』

「だから違うって、俺の話を聞けえええええ!!」


 弁明むなしく、俺はフレースヴェルグに振り下ろされた。ルチア以外にぶん投げられるのは、はじめてだ。

 なんて、悠長なことを言っている場合じゃない。ものすごい高さまで上がったから、いつまでもいつまでも落下していく。


 地面が急速に迫ってきた、叩きつけられて死ぬ、いいやもともと死んでいる、それでも地に足をつけられる、死んでいるのに俺は死ぬ、もう助からない南無三と目をギュッと閉じると、俺は地面へ沈んでいった。


 世界樹の根を横目に地中を潜り、産み落とされるように落っこちたのは冥界だった。それが証拠に、生きながらにして地獄に落ちたルデウスが、悪魔にムチで叩かれてヒィヒィと悲鳴を上げている。

 ヤバい、早く地上に戻らないと、そう焦って浮上を試みたが、もう遅い。


『貴様、どこから来た』

 そう言った蛇が、俺をパクッとくわえた。こいつがフレースヴェルグが言っていた、ニーズヘッグという蛇だろう。

「どこからって……俺はこことは違う世界から」

「フレースヴェルグの差し金に違いありません」

 ラタトスク! 余計なことを言うんじゃねぇ!


 ニーズヘッグは俺を離して、睨みをきかせる。今なら、恐ろしくて微動だに出来ない蛙の気持ちが、よくわかる。


『貴様! 生前の記憶がないではないか!』

「だって俺、はじめから死んでるんだよ」

『おのれフレースヴェルグめ、面倒な幽霊を冥界に押しつけおったな!? 許せん!』

「だから、俺の話を聞けええええええええええ!」


 ニーズヘッグは再び俺をパクッとくわえて、ブンと鎌首を振り上げた。俺は地中を通り抜け、世界樹に沿って舞い上がり、箒に跨るルチアの前でピタリと止まった。


「ああ……助かった。ひどい目に遭ったよ」


 ルチアは俺をパシッと掴んで、地面めがけてぶん投げた。


「ルチアさあああああああああああああああん!?」

「あ、ごめん。つい癖で」


 俺は地面を通り抜け、再び冥界へと堕ちた。

『また貴様か! フレースヴェルグに言っておけ、冥界の邪魔をするなとな!!』

「いや、これはフレースヴェルグじゃなくて……」

 ニーズヘッグは俺をくわえて、天界めがけて鎌首を振った。とんでもない速さで世界樹そばを飛んでいき、再びルチアに掴まれた。


「ひどいじゃないか! 助かったと思ったのに!」

「ごめんごめん、投げるのが癖になっちゃった」

 謝るルチアの後ろでは、ミアとラタトスクが喧嘩をしていた。

「バーカバーカ、獣人のバーカ。ベロベロベー」

「あたしバカじゃないにゃ! シャ─────!」


 何なんだ、このリスは。こっちではフレースヴェルグを煽り、あっちではニーズヘッグを煽り、更にミアまで煽っている。

「こいつ、争い好きの煽り体質なのよ」

「ルチアは振りかぶって、第二球を投げた!」

「やめろやめろやめろやめろやめろやめろ!」

「あ、ごめん」


 ラタトスクに煽られて、ルチアは俺を再び地面に投げた。

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