第31話・ブラレイジィ

 女神様が生じさせた誤解を解いたら、すっかり陽が傾いてしまった。夜を飛ぶのは慣れているルチアであったが、箒一本にルチアとミア、ふたつのトランクはなかなか重荷だ。俺が重さのない幽霊というのが、せめてもの救いになっていた。


「おさかにゃ、おさかにゃ、美味しいおさかにゃどこかにゃあ」

「水場、水場、幽霊といったら水場」

 真っ暗闇の空の中、ルチアとミアは適当な水場を探している。俺も幽霊であるせいなのか、やたらと夜目が効いてよく見える。


 町に寄り添って広がる草原や、ルチアが暮らした深い森から何となく予想はしていたが、さっきまでいた町は内陸なんだと気づかされた。広場にあった噴水も町のみんなが使う水も、潤沢な地下水脈から井戸で汲み上げている。


 あの水が湧き出している断層がどこかにあるはずと、テレビ番組で得た知識を活用して大地を睨む。

 ……大学で得た知識ではないんだなぁ。こそこそせずに、もっと勉強しておくんだった。


 眼下の茂みに、一直線に横たわるわずかな段差を見つけた。断層だ、あのどこかから水が湧き出し、川がはじまっているはずだ。

「ルチア、段差があるのはわかるか? あの段差に沿って飛んでくれ」

「段差ね?」

「うにゃ?」

 俺が指示したとおりにルチアがグイッと旋回すると、ミアがバランスを崩して箒から落ちた。


「うにゃあああああああああああああああああ!!」

「「ミアアアアアアアアアアアアア─────!!」」


 再び箒を急旋回、地面へと落下するミアを追う。声も出せない、呼吸も出来ない速度で飛んで、ミアに追いつきその手をルチアが掴み取る。

「やった!」

と、幽霊だから呼吸などは関係ない俺だけが、歓喜の声を上げられた。ルチアは歯を食いしばり、細腕一本だけでミアを引き上げようとする。ミアも箒を掴もうと、もう片方の手を振り上げて爪を出す。


「痛い痛い痛い痛い痛い!」

 ミアは、掴まれている手の爪も出していた。

「ごめんにゃさああああああああああ!」

 ルチアはたまらず手を離し、ミアを再び落としてしまった。

「「ミアアアアアアアアアアアアア─────!!」」

 手を掴めない、ミアに声も届かない、回復魔法も死んでいるから使えない、俺は虚しく叫ぶだけ。力になると言いながら、結局何も出来やしない。

 無力さが恨めしく、爺さんでもゾンビでも身体があればと自分を呪った、そのときだ。


 ドパ──────────────────ン!!


 ミアが落ちたのは滝壺だった。ルチアが手を掴んだお陰で怪我をするほどの高さでもなく、しばらくすると魚をくわえてゴキゲンのミアが顔を出した。

「ああ、よかった……水脈探しが功を奏したな」

「ごめんね、ミア。引き上げるから手を伸ばして、爪を立てないでね」


 ルチアは箒を水面ギリギリまで下ろし、立ち泳ぎするミアに手を差し伸べる。ミアは爪が刺さらないよう、手首をルチアに掴ませた。

「じゃ、せーので引き「ふんにゃ!」

 合図の確認だったはずが、ミアはそれが合図だと思い込み、全体重をルチアにかけた。ルチアと俺は箒を軸に反転し、仲良く滝壺に落っこちた。


 幽霊の俺は、滝壺に沈んでも苦しくない。地上に上がれば濡れてヒタヒタするのかも知れないが、今はそんな感覚がなく水中を漂っているだけだ。

 水面を見上げてみると、ルチアとミアはトランクを浮き袋の代わりにしていた。ふたりともずぶ濡れだが、無事なようで何よりだ。


 水面に浮き上がると、ルチアは渋い顔で黒髪から水をしたたらせていた。

「とりあえず、服を乾かしたほうがいいな。今夜はここでキャンプしよう」

「私、野宿なんてしたことない」

 さすがMHK総裁のお嬢様、屋根のないところで寝たことがない。そういう俺もキャンプなんてしたことがないし、バーベキューも上げ膳据え膳で焼くだけの温室育ち、名ばかり冒険者。


 俺たちの冒険は、これからだ!


 こういうときは、元冒険者のミアだけが頼りだ。

「ミア、岸に上がって服を乾かそう。今夜はここで泊まろうって、レイジィが言ってるけど……」

「やったにゃ! お魚いっぱい食べるにゃあ!」

 せめて力になれればと、俺はルチアの手を引いてふたりを岸へと寄せていく。


「これ、レイジィが引っ張ってるのかにゃ?」

「そうよ、私もちょっとは泳いでるけど」

「レイジィを感じられて嬉しいにゃ」

 滝壺に浮かぶ月明かりを浴び、ミアの潤んだ瞳が輝いていた。やれやれ罪な男だね、とルチアは悪戯っぽくニヤついていた。

「ルチアさんのお陰にゃ、ありがとうにゃ」

 ルチアはルチアで礼を言われて、耳まで真っ赤になっていた。やれやれツンデレは大変だねぇ、と俺も悪戯っぽくニヤついた。


 岸に上がって滝を見る。こういう世界の滝といえば、と俺ひとりでふよふよと滝壺を越える。

「レイジィ、どこに行くのよ!?」

「ちょっと偵察に。ふたりとも、今のうちに着替えなよ?」

 飛沫を上げる水のカーテンの向こう側、ここにはきっと──。


 思ったとおりだ! 異世界は、こうでなくっちゃね! 喜び勇んで、俺はふたりのもとへと戻る。

「ルチア! ミア! 滝の裏側に隠し通路があったんだ! 明日、探検してみよう!」

「バカレイジィ! 死ね!」

 俺はルチアにぶん殴られた。

 ふたりとも、着替えの真っ最中だった。

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