第76話・水を貴ぶとは、これ如何に

 町を歩くと張り巡らされた水路があって、大理石の噴水があって、プールも大浴場も作られていて、そのどれもが枯れていた。

「ここは、オアシスだった。船やキャラバンを相手に水を売っておったのだが、水が干上がり人も船もキャラバンも町を去ってしまった。今この町におるのは、生まれ育った港町を終の棲家すみかとした、わしのような働けぬ年寄りばかりなのじゃ」


 最後にたどり着いたのは、薄っすらと水が張った広大な泉だった。これがオアシスの水源らしい。

「樽の中身が水であれば、それを呼び水にしようと思うとった。泉の精霊が水脈を、そして人々を戻すのじゃ」

 本当にそんなことが起こるのか疑問だが、ここは異世界だ。この町に生まれて永く暮らした爺さんが言うのだから、そういう可能性もあるのだろう。


 ルチアは表情を曇らせて、L字に曲がった金属棒を二本取り出し、猫背になって肘を曲げ、前向きに握りしめた。

 どうやら、得意のダウンジングをするらしい。

「確かに、水脈が細くなってる。尽きることはないけど、港町を支えられる豊富な水は、奇跡でも起こさないと到底無理ね」

「水を注げばいいのか。水系魔法はどうだ?」

「魔術なんてやったら、精霊なんかは逃げるわよ」

 爺さんに聞こえないよう耳打ちされて、俺はガッカリと落胆した。そうだよな、精霊は女神様や教会側なんだろうな。


 ミアが眉間にしわを寄せ、首を傾げて港のほうを指差した。

「すぐそこに水がいっぱいにゃ」

「それでは海の精霊を呼んでしまう、潮混じりではいかんのじゃ。今、わしらの生命をつなぐ水まで、飲めなくなってしまうではないか」

 なるほどね、精霊にも縄張りみたいなものがあるのか。泉の精霊に来てほしければ、真水を捧げろというわけだ。


「じゃあ、貯めればいいにゃ」

「これだけしか湧かぬのじゃ。精霊に捧げるだけの水が貯まる前に、わしらが渇きで死んでしまう」

 わがままだにゃあ、とミアは猫耳をぺったり寝かせた。しかし、わずかな水しか湧かなくなった泉を見れば、爺さんが言っていることも理解出来る。

 更に、全体的に乾いた町だ。貯めた水は、あっという間に揮発する。


「お船から水をもらえばいいにゃ」

「こんな港に来る船など……」

「あたしたち、お船で来たにゃ」

「何ぃ!?」

 爺さんはガバッと顔を上げ、痩せ衰えた脚を必死に振り出し、よぼよぼと港へ走った。


「もう行っちゃったにゃ」

「どうして留めてくれんのじゃ!」

 知らんがな。人っ子ひとりいなければ、港に用事などないのが漁船だ。昼寝していた自分を怨め。

 とも言っていられなかった。爺さんは力なく膝をついて両手をついて、ぽつりぽつりと乾いた地面を濡らしていた。


「寄港する船を、港を目当てにするキャラバンを、来る日も来る日も待っておった。だが、虚しく過ぎゆく日々の長さに、わしは疲れた。この町と、港とともに消えようと覚悟を決めた。希望の光を見逃すほどに……」


 すっかりあきらめてしまった、そんなときに漁船が寄港してしまった、そういうわけだ。不幸だった運が悪かった、それだけでは済まされない。

 爺さんは、いつ来るかわからない船かキャラバンが来るまで、自責の念に苦しめられることだろう。


「お船に帰ってきてもらうにゃん!」

 ミアの提案にルチアが乗って、爺さんにバレないよう水晶玉を取り出して、魔女船長を呼び出した。

『おや、西の港に行く気になったのかい?』

「そうじゃないの、東の港に樽に詰めた水を届けてほしいのよ。干上がった泉を復活させるのに必要なんだって」


 水晶玉の魔女船長は眉をひそめ、目線を進路へと上げた。ああ、これはダメなやつだと理解して、肩をすくめて話を聞いた。

『精霊を呼べっていうのかい? あんた、廃業する気?』

 うぐっ……とルチアはうめいて唇を噛んだ。精霊に関わるのは、魔女の禁忌に触れるらしい。せめて悪霊だったらよかったのに、と呟いている。そんな悪霊いねぇだろ。


『人のことは言えないけどさ、変わった仲間と一緒に旅をして、大事なことを忘れちまったんじゃないかい? あんたは鍛え直さなきゃあ、だからサバトには必ずおいでよ。じゃあね!』

 ルチアへの説教だけで、魔女船長との交信は絶たれてしまった。再度交信しようにも、協力は得られそうにない。


「砂漠の旅の備えをしたいが、これじゃあ話にならないな」

「……何とかならないかしら。西の港には行けないし……」

 ルチアが行きたくないだけだろう、というセリフは飲み込んだ。


 そもそも西の港に行ったのは、チア✕チア☆ダブルチアとしてデビューさせられ、火消しのドサクサに西へ西へと飛んだからだ。樹液の樽を持つ今は、飛べないから遠回りがしんどい。

 ここから南下するのが最短ルート、キャラバンが来ていたのだから道はあるはず。

 精霊でも何でもいいが手っ取り早く泉を、港町を復活させられるのなら、それが距離も時間も装備を整えるにも一番早い。


 突然、ミアの猫耳がピンと立った。その猫手には水晶のスマホ、それをじっと見つめた末に、肉球で画面をぷにぷになぞった。

「ミア、どこに電話するんだ?」

「まさか女神!? あんなの使えないわよ!」

 しかしミアは「フフンにゃ」と不敵な笑みを浮かべていた。はじめて目にするその顔に、俺もルチアも呆気にとられた。


 そしてミアは、得意になって言い放った。

「違うにゃ。エルフのいすゞさんにゃ」

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