第66話・M

 高い燭台に灯された蝋燭が照らす総裁の間。その中央に鎮座する黒い机に、妖艶な女が細くて長い舌をチロチロと伸ばしていた。机の陰からはみ出している緑のうろこ、とぐろを巻く長い下半身、こいつが何だかがひと目でわかった。


「……ラミアだ」

「ルチアさんのママだにゃ!」


 うん、どっちも間違いではない。下半身は大蛇であるが、透きとおるような白い肌、整った顔立ち、軽く吊り上がった目が、ルチアにそっくりだ。

 ルチアは、母親似だったんだなぁ。


『おかえり……いいえ、久しぶりね、ルチア。どういう風の吹き回し?』

「ちょっとね、お願いがあって来たんだ」

「殺せ! ダメだ! 殺せって! ダメだって!」

「あのね、こいつを殺して」


 ゲイスは腰を抜かして震えた。それが目当ての俺は、立ち上がってノーガード。ルチアの母の攻撃を待つ。

「魔女め、ハメやがったな! 安心しろ、殺されるのは俺だけで、ゲイスはゲイスとして生きるんだ。嫌だ嫌だ死ぬのは嫌だ、チートスキルで活躍して、英雄になってウハウハするんだ! 俺のスキルをお前なんかに使わせるか!」

 ゲイスは身体から逃げようとしたが、魂との合致で抜け出せない。俺はゲイスを生かすように、彼の魂を覆い隠した。


 事情のわからないルチア母は、ひとりで喧嘩している俺たちに、すっかり呆れ返ってしまった。

『ルチア、変なのを連れてこないでくれる?』

「んー。変なのだから、なるべく早く殺して欲しいの。本当は、お父さんがよかったんだけど……」


 ルチア母は手をふわりと広げ、瘴気を集めてムチを出現させて、脅しに鳴らした。


 ヒュッ! ピシッ!


『なるべく早く、ですって? そんなの、もったいないじゃない? あたいがたぁ~っぷり可愛がってあ・げ・る♡』


 やべぇ、ドSだ。これならルチアのグーパンチ、あるいはミアの樽で死んだほうがマシだった。

 今度は俺が腰を抜かして、ぶるぶると震えながら恐れおののき後ずさる。

「やめろ、やめてくれ、ひと思いに殺してくれ」

『お黙り! その鎧を脱ぎなさい!』


 バカ言うな、鎧を脱いだら網のようなミミズ腫れを作らされる、そんなことをしてなるものか。

 ……ってゲイス、どうして裸になるんだ。鎧だけでいいんじゃないのか。

「ミアは見ちゃダメよ」

「うんにゃ」

 ルチアに言われて、ミアは大きな目を閉じた。


 スパン! スパン!


『汚らしい身体を見せるんじゃないわよ!』

「ち、違う! これはゲイスが! 痛ぇ! 痛ぇ! 痛……くない……?」

「ミア、聞くのもダメよ」

「うんにゃ」

 ルチアに言われて、ミアは猫手で耳をふさいだ。


 どうもおかしい。丸めた身体を恐る恐る起こしてみると、俺に覆いかぶさったゲイスがひとりでムチを受けていた。

 共有している身体をゲイスが動かす。ルチアの母を見上げると、犬のように吐息を漏らした。


『こんなのが嬉しいのかい? あんた、どうしょうもないクズだね! こんなのは、どう? 裸じゃあ寒いんじゃないかい?』

 ルチア母は燭台から蝋燭を掴み取り、溶けた蝋をポタポタと背中に垂らした。

「嬉しくないって、だからやめてくれっての。ぎぃやあああああ!……あああ? 熱くない。ハァハァハァ……」


 ルチア母に背中を攻撃されては、背後のゲイスが死んでしまう。

 これではダメだ、俺はゲイスの身体はいらない、先に死ぬのは俺なんだ。

 ゲイスに覆いかぶさって、受けたくないダメージを食らう。


 ピシッ! ピシッ! ピシッ!


「痛え! 痛え! 痛ぇ……おい、ゲイス。俺の上に回り込むなよ……ハァハァハァ……もっと激しいのをください」

『豚が喋るんじゃないよ! 鳴け! 鳴くのよ!』

「ぶひぃ、ぶひぃ、ふんごふごふご」


 俺がすべてを理解した、その瞬間。ゲイスが俺を弾き飛ばして、ゲイスの身体はゲイスだけのものになった。

 てんてんてんと転がった俺は、ルチアの足に止められた。


「おかえり、レイジィ」

「ただいま、ルチア。頼みがあるんだが、ゲイスの請求書を見せてくれないか」

 剥ぎ取られた鎧の下に積み上がっている請求書、それをルチアと吟味する。


「これが『豚小屋』で、これは『私の女王様』で、こっちが『スパンキングハウス』だって」

「ドMかよ」

 俺とルチアは、ハァハァハァとあえぐゲイスに凍てつくほどの視線を送った。ゲイスはそれに気づき、ルチアを潤んだ瞳で見つめた。


母娘おやこ女王様……ハァハァハァ」

「うわっ、きっしょ。星に帰れ」

「ルチア。公序良俗に反さないなら、人の趣味嗜好をさげすんではいけないぞ。借金までするゲイスの場合は別だけど。あ、あとブレイドもだ」


 さて、俺はゲイスから脱出し、ゲイスはゲイスに戻ったのだから、これで任務は完了だ。

 しかしルチアは、ゲイスをスパンキングしている母のもとへと向かい、普通じゃない状況で普通じゃない母娘の会話を普通にはじめた。


「ねぇ、お母さん。こいつから私たちの記憶を消し去れない?」

『いいよ、ルチア。やってやんよぉ』

 スパンスパンと平手打ちを賜って、ゲイスは恍惚の表情を浮かべている。


「お母さんって、記憶消去術を使えるの?」

『あたいのムチで、すべてを忘れさせてやんのさ』

 ピシッ! ピシッ! と眼前でムチを振るわれ、ゲイスは舌を出して荒い吐息を漏らしている。


「あとね、こいつ借金があるの。気が済んだら返済させて」

『いいよ。さんざんおもちゃにした挙げ句、そこら辺に捨ててやる』

 ギリギリギリ……と縛り上げられ釣り上げられて、ゲイスは天にも昇るような気持ちになった。


「ありがとう、お母さん。じゃあ、お願いね」

 ルチアの母はゲイスをしばくのに夢中になって、娘の旅立ちには気づかない。ルチアとしては、後ろめたさから逃げられるのが、好都合だったようだ。


「ルチア、ひとつ確かめたいんだが……あれ、バハムート・レイラーにもやっているのか?」

「やってないよ? 何で?」

「いや、ちょっと安心したかったんだ。うん、安心したよ」

「安心? まぁ、いっか。ミア、もう終わったよ。行こうか」


 ルチアに肩を叩かれて、ミアが耳をピンと立て、吊り目を丸く見開いた。

「にゃにゃん!? ゲイス、亀さんみたいにゃ!」

「あんまり見ちゃダメだよ、早く行こう」

「そういえば、いかがわしいお店って、どんなのかにゃ?」

「「ミアは知らなくていい!」」


 樽を担いだミアを箒に乗せて、俺を肩にくっつけて、ルチアは窓から飛び立った。

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