42 宇都宮さんは離れたい (イ付)



その週末、ツバサプリンセスの美月を応援するため東京に行った。土曜日の公演のあと、夕方に美月は友だちとあそびに行く予定だったから、空いていたので宇都宮さんに会いに行った。品川のお洒落なカフェで彼女は好きなホットココアを頼むといつものように私に奢った。テーブルにすわると長くしゃべったが、急に彼女は話したいことがあると言った。「なんですか」

  春だからか、明るい色のセーターとロングスカート姿で、宇都宮さんはいつものように清楚な見かけだった。そして彼女は言った。「彰と会って私は嬉しいけど、今からちょっと会えなくなるけど、大丈夫?」

  「どういうことですか?」

  宇都宮さんは少し考えた。「うん、多分最近私はよく彰に連絡をとったね。もし私と電話しなければ……もっと勉強する時間があるかな」

  その勉強はちょっとぬれぬれのことじゃないですか。「いいです。宇都宮さんは忙しいのに、こんなにしゃべってくれて感謝してますよ」

  「いえ。ねえ、彼女とは大丈夫?」

  「はい?」

  「私のことって」

  見合うと、私は答えた。「彼女は知りませんが、宇都宮さんのこと」

  「本当?怒ってるかと思ったの」

  「いえいえ」

  「なら、彼女に言ってもいいね」

  少し考えると言った。「……今からメッセージ、宇都宮さんに送ってもいいですか」

  「いいよ!……彰、えっと、変かな」

  「はい?」

  彼女は笑うと言った。「いつも彰は『宇都宮さん』って言って、私は教師か、仕事をしてるみたいって感じね。休みの日なのにさ。だから、私を『楓』と呼んでもいい?」

  「……楓さん?」

  「それでもいいよ。私の友だちはみんな楓って呼ぶね。『でん』も呼ぶけど」

  「でも恥ずかしいですよ。私は全然友だちじゃないのに」

  宇都宮さんは首を振った。「彰はそんな感じだからね」

  

  カフェからしばらく一緒に歩いて、七時くらいに山手線の電車に乗ると混んでいた。宇都宮さんとドア近くに立っていても私たちはなにも話さなかった。たまに目が合うと彼女は微笑んでくれたが。

  彼女の最寄りの浮間舟渡駅は私のホテルのある目白駅の次で、乗り換えないといけなくて着くまでに二、三十分くらいかかった。私が慣れない帰宅ラッシュの時間帯で、電車が止まるたびに乗車する客がどんどんと入ってきて、気づいたら私たちの間のスペースがほとんどなくなって身体が少しぶつかった。「すみません」

  私は囁くと、彼女はまた少しうなずいた。

  近くにいたせいか、彼女は視線を逸らしてただ私の後ろのおじさんを何度もチラッと見た。彼女は百六十センチくらいでその顔が私の目線の下あたりだった。彼女の髪の毛を美しい色だと長いこと見ていると、彼女ははっきりと言わなかったが、もう会わないのか……彼女も、今なにか思っているかな。

  この香り、私は覚えた。近くにほかの女の人がいるが、宇都宮さんの香水だと自信があって、だが今まで、なんという名前の香りか聞く勇気がなかった。少し下にいる彼女のセーターに目をやるのは自然のことだけど、そこにはっきりした形があるのでだめだと思うと彼女の顔を見ようとしたが、なぜか目線はそこに戻った。宇都宮さんは気づかないか、私のやばい目線を。

  

  キスしたい……


  私は、なにを思っているのか。


  もし私が彼女の髪の毛を美しいと言って、さわっても彼女はそんなに気にしないじゃないか。どうせもう会わないから、聞いてもいいかな。彼氏が彼女の話を聞かないとこの前言ってたけど、私はもっと聞くという意味?多分、宇都宮さんは……


  だめ、だめだ。


  その唇を見ながら、電車が駅で止まると出入りする多人数に私と宇都宮さんの身体が一緒に押された。不便なのは今私のそこはもうしょうがない状態になった。なぜこんなときか。ちょっとではなく、かなりきつかったけど。彼女と距離を保ったが後ろから押されたせいでうっかりと彼女のももにぶつかって、そんなところを……じゃないか。


  大変。


  一回だけでなく、電車が揺れるときに後ろの人に押されてまたぶつけた。大丈夫、笑顔で宇都宮さんはそう言ってくれると期待したが、彼女は全然私を見なかった……気づかれたんじゃないか。

  彼女と、こんな別れなのか。満員電車なので私は降りるときになにも言えなくて、振り向くとスーツ姿の会社員しか見えなくて、発車メロディーが鳴るとそのまま電車が走っていった。



二週間後、私はまた東京に来た。


  実は来る予定ではなかったが、三日前に美月は主役として出演するドラマ『白いままに走る』の矢野哲平監督にブランチに誘われたから、彼を鑑定することを頼まれた。「え、この前写真で見たでしょ。彼の映画も観たよ」

  美月は私に答えた。「わかるけど、本人を見ると君はもっといろいろわかるじゃない。あと墨田さんも参加するかも」

  「主役の人?」

  「うん。お願い、旅費は私が払ってもいいよ」

  その週はツバサタウンの仕事はなかった。ブランチは日曜日で、土曜日に同じ事務所の先輩の米沢宏子を紹介したいと美月に数回頼まれて私は会うことを受け入れた。金曜日に到着して、遅くまで美月のマンションで携帯ゲームをして過ごし、次の日の昼は新宿で待ち合わせをした。

  その日、米沢さんが美月と同じ演技のワークショップに参加した。通りすがりの人が多く五、六階建てのビルの下にしばらく待つと、出て来たほかの若い人のなかに彼女たちの姿が見えた。まだワークショップの参加者たちと親しそうにしゃべって、別れると美月は来た。「彰くん、こっち!米沢さんです」

  後ろにいた米沢さんは会釈した。彼女が年下の私に先に会釈したのは恥ずかしかったが。私は言った。「松島彰です。よろしくお願いします」

  「私は米沢宏子です。よろしくね」

  前に米沢さんの写真と出演したドラマを見たことがあった。彼女は主役ではないが目立った役が少なくなくて、本人を見ると意外と素直な印象だった。彼女は美月の三つ上の十九歳で、細い、いえ、こんなスレンダーな体型ってフィギュアスケート選手のことを思い出した。しばらく一緒にいると、彼女の素振りもしなやかな感じだった。

  そのあと私たちは近くにあるファミレスに行って、彼女たちが早くオーダーできたのは二人とも常連なのかと思っていると、米沢さんは美月からよく私のことを聞いたと言った。「……どんなことですか」




―――――――――――――――――

美月の事務所の先輩、女優の米沢広子はどんな人なのでしょうか。

毎話彰も変なことをするのに事欠かないらしい……



宇都宮楓が先に使ったソーセージのスタンプのイラスト

https://kakuyomu.jp/users/kamakurayuuki/news/16817330651299717666


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