06日目 『聖なる杯』
昔、このような話を本で読んだことがある。
主人公は修行中の和菓子職人。
あるとき主人公は、師匠から「これまでにない斬新な和菓子を作れ」という課題を与えられる。
主人公は様々な形で「斬新な和菓子」のアイデアを捻出する。
通常なら和菓子には使用されないような素材を大胆に投入して試作を繰り返す。
そうした試行錯誤の末、これだと思えるものを作り上げた主人公は喜び勇んで師匠のもとに向かう。
しかし、下された判定は失格だった。
なぜ、何がいけなかったんですか。
そう詰め寄る主人公に師匠がこう告げる。
「これはもう和菓子ではない。洋菓子になっている」
わたしはこの話を読んだとき、深い感銘を受けたのを覚えている。
究極を求めるという行為は、時として枠組みからの逸脱を招く。
そして枠組みから逸脱してしまうとその価値は究極どころかゼロの地点まで落ちる。
そうした世界の真理がここには描かれていると感じたからだ。
わたしはあるとき不意にこの話を思い出し、そこでふと、「そういえば和菓子の定義とは何だったか」という疑問を生じた。
この話の作中で、和菓子と洋菓子を明確に区分する定義が記されていた。
記されていた筈なのだがそれがどうしても思い出せない。
緊急で答えを知る必要があるかと言われれば勿論ちがう。
だが一度気になるとこの疑問が頭から離れなくなってしまった。
そうなるともう他のことが手に付かない。
題名や作者名も失念してしまったため、書籍を確認することもできない。
どうしたものかと考えたわたしは、和菓子屋に直接出向いて質問してみれば良いのではという結論に至った。
今すぐ行こうと財布をポケットに入れて玄関を開けた。
そこに見知らぬ男が立っていた。
「あっ、すいませーん」
男が言った。
「世論調査にご協力いただけますか?」
「ええと」
わたしは言った。
「今ちょっと急いでまして」
「そんなこと言わずにお願いしますよぉ」
男は開いたドアから強引に中に入ってきた。
「俺いま回答者数0人でぇ、このままじゃ帰れないんすよぉ」
男があまりにも気の毒そうな様子を伺わせたので、わたしは許諾した。
「ありがとうございますぅー」
男が紙とペンを取り出した。
「じゃあ最初の質問なんですけどぉ」
そこから男はわたしに幾つかの質問をした。
名前、年齢、家族構成、
月収はいくらほどか、支持している政党はどこか、
軍が過去に行っていた脳改造実験についてどう思うか、といったことを。
「へぇー、そうなんですかー。わっかりましたー。じゃ、次の質問なんですけどぉ」
手元の紙を捲りながら男が言った。
「何でも願いを叶えてくれる聖杯があったとしたら何を願いますか?」
わたしは「今抱えている疑問に対する答え」と言った。
◆◇◆
「いやー、どうもありがとうございました」
全ての回答を終えると、男はわたしに小さい箱を差し出した。
「これ回答者さんに渡してる粗品なんでぇ、よかったら使ってくださーい」
男が立ち去ると、わたしは箱を開け中身を取り出した。
中には古風なデザインの器が入っていた。
湯呑茶碗だろうか。
湯呑茶碗。
そこでわたしは思い出した。
あの物語の作中で記されていた和菓子の定義を。
それは『日本茶に合うかどうか』というものだった。
主人公が苦心して作り上げた品は、菓子としての出来は素晴らしいものだった。
見た目も味も美しく仕上がっていた。
だが、日本茶と一緒に食べたときに味や香りが調和しない。
その一点で失格を言い渡されたのだった。
わたしはこの話を最初に読んだとき、日本茶という外的要因に適合できるかどうかによって自らを定義される和菓子という存在に、言いしれぬ悲哀を感じたことを思い出した。
わたしは頭が晴れてスッキリした気分になった。
折角だからこの湯呑茶碗でお茶でも飲もうかな、と、
わたしがそう思ったとき、
わたしの手の中で湯呑茶碗が粉々に砕け散った。
一瞬の出来事だった。
わたしは湯呑茶碗が入っていた箱の裏面を見た。
そこにはこう記されていた。
『使用回数:一回まで』
◆◇◆
その後、わたしは愛用しているマグカップにコーヒーを淹れて飲んだ。
一緒に食べた洋菓子はコーヒーとよく合い、とても美味しかった。
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