13日目 『サパーシング・ビューティー』
時刻は深夜の2時か、3時ころだったと思う。
その日はなかなか寝付くことができず、わたしは長い間ベッドに仰向けになったまま、闇の中で意識が沈むことを願いながら時間を浪費していた。
そんなときだった。
ノックの音が聞こえたのは。
小さな音だった。もし眠っていたなら、まず気づくことはないような微かな音だ。
もし眠っているなら気づかなくていい、でももし起きているのなら、気づいてほしい。そのような意志が音に滲んでいるようだった。
わたしはベッドから起き上がり、玄関まで行ってドアを開けようとした。
だが、ドアが開かない。
なにか強い力で、反対側から押さえつけられているような感触があった。
「すみません」ドア越しに、声が聞こえた。「ドアは開けないでいてもらえますか?」
わたしはドアノブから手を離した。
「ありがとうございます」
ドアの向こうの誰かが言った。
「申し訳ありません。このような夜分に」
不思議な声だった。男性が無理やり高い声を出しているようにも聞こえたし、女性が無理やり低い声を出しているようにも聞こえた。
「どちら様ですか?」
「ええと、その……」
ドアの向こうの誰かは言った。
「わたしはその、教会の神父をしておりまして」
「はあ」わたしは言った。「本日はどういったご用件で?」
「ええ、実はですね、その……」
ドアの向こうの誰かは少し口ごもった様子を伺わせた。
「告解をさせて頂きたいのです」
「告解?」わたしは言った。「それって神父さんが教会でやってるやつですか?」
「ええ、その通りです」
ドアの向こうの誰かは言った。
「神父が告解する側に回りたいなど、非常識な申し出だとは重々承知しております。ですがどうしても、誰かに話を聴いて頂きたく」
「別に構いませんよ」わたしは言った。「そういう日もあるでしょう」
ドアの向こうの誰かは「ああ、ありがとうございます」と言った。
それから間を置いて話し始めた。
「わたしは普段教会で告解の聴罪役をしております。
日頃から様々な人物から罪の告白を受けていまして」
「はい」
「そんな中で、つい先日、このようなことが――」
このような話だった。
あるとき、神父の元にこのような告解者が現れた。
告解者が語るところによると、何でもその告解者はひどく醜い外見をしているらしい。
その醜さ故、長い間誰もその告解者に近づいたり、手を差し伸べたりすることをしなかった。
告解者はなんとか自分の外見を変えることができないかと、様々なことを試した。
だが、その告解者の身体は生まれつき非常に奇怪な形状をしていて、どうやってもその醜さを払拭することが出来なかった。
どうしようもなくなった告解者は、最終的にある邪法に手を染めることを決意した。
「邪法?」
わたしは言った。
「何ですかそれは?」
「その告解者が言うにはですね」
ドアの向こうの誰が言った。
「それは人の精神を操る術だ、と」
告解者はこのように考えた。自分の外見を変えることが出来ないのなら、周りの人間の精神の方を変えてしまえばいい。
自分の外見が変わらずとも、周りの人間が自分を美しいと感じるようになれば、それで問題は解決する。
そしてその告解者は禁じられた術を用いて、人々の精神に干渉し、その感覚や認識を作り変えてしまった。
それにより、告解者は多くの人々から愛されるようになった。
時には「君こそが美の化身だ」と崇められることすらあった。
その告解者も、当初はその状況を喜んだ。ようやく、望むものが手に入ったと。
しかし、時が経つにつれて、段々と虚しさが生じるようになってきた。
それと同時に、自分がしていることへの罪悪感が募ってきた。
「それでその告解者は言ったのです」
ドアの向こうの誰かが言った。
「自分はこの術を解くべきなのでしょうか? と」
「それで」
わたしは言った。
「あなたは何と答えたんです?」
「それが……」
ドアの向こうの誰かは言った。
「実を言うと、何も答えられなかったんです」
それからしばらくの間、沈黙があった。
具体的にどれくらいの時間だったかはわからない。
でも先に口を開いたのはわたしの方だった。
「わたしだったら、そのままでいい、と言うでしょうね」
「……それは、何故ですか?」
「だってその術を解いたら、何かを見て“綺麗だな”って思う機会が、一つ減るということでしょう」
わたしは言った。
「それって損じゃないですか」
そう言った直後、わたしの口から大きな
ようやく眠気がわたしの元にやってきてくれたようだ。
「すいません、ちょっと眠くなってきちゃったんで話を切り上げてもらっても構いませんか?」
「え、ええ。ええ。勿論です。こちらこそこんな時間に付き合わせてしまって」
ドアの向こうの誰かの挨拶を背中で聞きながらわたしは玄関からベッドに移動した。
そのままベッドに倒れ込むと、意識が一瞬で闇に落ちた。
◆◇◆
その翌朝のことだ。
わたしが起床後に生垣の手入れをしていると、指先に軽い痛みが走った。
棘が刺さったような感触だった。
見ると、密集する草葉の陰に埋もれるようにして、一輪の小さい薔薇の花が咲いているのを見つけた。
こんなところに薔薇なんて咲いていたっけ? とわたしは思った。
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