75日目 『鵺』
ある日、わたしの家に
玄関のドアを開けたわたしに、鵺がこう言ってくる。
――わたしが何なのか、わかりますか?
わたしは答える。
――ええ、鵺ですよね。
わたしの答えを聞いた鵺は、大きく肩を落とし、深くため息をつく。
――ああ、またか……
そのような呟きを漏らす。
わたしは何か間違った回答をしてしまったのだろうかという不安に駆られる。
もしかして、鵺ではない?
人違いをしてしまったのだろうか?
わたしは改めて、目の前の相手を見る。
猿のような頭に、狸のような胴体部。
尾は蛇で、手足は虎を思わせる。
わたしの知る、伝説上の鵺の姿に相違ない。
わたしは恐る恐る訊ねる。
――もしかして、鵺ではないのでしょうか?
――いや、合ってますよ。
――ああ、良かった。
わたしは言う。あなたの伝説、有名ですよ。わたしもよく知ってます。
すると、鵺はまたしても大きく肩を落とし、またしても深くため息をつく。
不満の色が、より一層濃く顕れる。
――いったいどうされたんです?
わたしが訊ねると、鵺はぽつりぽつりと語り出す。
――わたしはねえ、有名になんてなりたくなかったんですよ。
鵺は言う。わたしはねえ、“何者なのかわからない”ってのが売りだったんですよ。本来はね。何者なのかわからないから、人々はみんな、わたしを恐れた。二条天皇だってそうですよ。わたしが何者なのかわからなくて、それで不安になって、身体をやられたわけですよ。でも今となっちゃ、みんなわたしのことを知ってる。顔かたちが割れて、鵺という名前が付けられて。正体不明な存在から、正体明確な存在になってしまった。
鵺は言う。まあ、要するに負けたんでしょうな、わたしは。人間たちに、負けたんでしょう。
わたしは言う。いや、それは違いますよ。人間っていうのは、よくわからないってことに耐えられないんです。耐えられないから、名前を付けたり、ああだこうだとそれっぽい理屈を付けたりして、わかったような形にして、それで安心してるんです。あなたの“何者なのかわからない”という性質に、人間のほうが負けたんです。
鵺はわたしの言葉を聞いて、ううん……と、考え込むような表情を見せる。
鵺は言う。そうは言ってもねえ、現状がこれでは……
わたしは言う。でも、あなたについて、知らないこととか、不明なことは、まだ沢山ありますよ。
――例えば?
――例えば、ええと、あれですよ。ほら、好きな音楽とか。
わたしの言葉を聞いて、鵺が吹き出す。いや、あなた、好きな音楽って。
わたしは鵺に訊ねる。――何が好きなんです?
鵺は答える。――さあ、何だと思います?
わたしはしばらく考えてみるが、まるで検討もつかない。
鵺の好きな音楽? なんだろう。カントリーソングとかだろうか? それともロカビリーとか?
まるで答えを出せないわたしを見て、鵺が「ヒョッ、ヒョッ」とよくわからないニュアンスの声を発する。
黒い煙が、足元から立ち上ってくる。
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