90日目 『罪と石』
ある眠れない夜。
わたしがベッドに腰掛けて本を読んでいると、このような場面に差し掛かる。
時代と場所は古代の神殿。
神殿にて、主人公が民衆に向かって何かしらの教えを説いている。
そこに、一人の女性が連れてこられる。
その女性は姦淫の現場を押さえられ、それが原因で勾留されたと連行者が話す。
この話の作中世界では姦淫が大きな罪であるらしく、被疑者は投石による死刑に処される決まりであるという話が出る。
ある人物が、主人公に向かって聞く。
“こういう女は石打にすることが決まっているのですが、あなたはどうお考えですか?”
しかし、主人公は指で地面に何かを書き記すことに夢中になっていて答えようとしない。
周囲の人々は執拗に問い続ける。
彼らの声は段々と大きくなり、怒号となっていく。
それが頂点に達するか否かというところで主人公が立ち上がり、こう言う。
“あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい”
主人公がそう言うと、周囲の人々は誰も石を投げることができず、ひとりまたひとりと神殿を去っていった。
わたしはこのエピソードにいたく感銘を受ける。
もし、自分が同じような場面に遭遇したら、この主人公と同じように振る舞おうと心に決める。
◆◇◆
ある日。
わたしが海沿いの道を散歩していると、浜辺で数人の人が集まって誰かに向かって石を投げているのを目撃する。
わたしは浜辺へと降り、石を投げている人々に訊ねる。
――その人はなぜ石を投げつけられているんですか?
わたしは、恐らく何かしらの罪を犯し、それに対する裁きとして石をぶつけられているのだろうと予想を立てる。
人々はこう答える。
――その人?
――何言ってんの?
――あれ、人じゃないよ。
わたしは改めて、投石の対象に目を向ける。
亀が一匹いる。
わたしは予想が外れ、次に言うべき言葉を見失う。
人々は亀の甲羅に向かって石を投げ続ける。
わたしは、あれこれと言うべき言葉を考え、人々にこう告げる。
――あなたがたのうちで亀でない者が、石を投げなさい。
人々は一瞬動きを止め、互いに顔を見合わせる。
そしてまた全員が投石を再開する。
――ああ、いや。わたしは言う。ええと、そうじゃなくてですね。
その後、悶着を三回か四回ほどこなした後、最終的にわたしがその亀を買い上げるという話で合意がまとまる。
――えっ、マジで?
――やった、ラッキー。
――みんなで駄菓子屋行こうぜ。
わたしから代金を受け取り、人々は足早にどこかへと立ち去っていく。
わたしは亀に近寄って様子を伺う。
亀は頭と両手両足を甲羅の中にしまい込んでいる。
――もしもし? わたしは亀に向かって言う。大丈夫でしたか?
しかし、返事がない。
わたしは考える。もしかして、投石の衝撃で昏倒して、意識を失ってしまったのだろうか?
わたしは頭部が納まっている甲羅の穴に顔を近づけて大きな声で亀に声をかける。
しばらくの間、呼びかけを続けると、ようやく亀が甲羅から頭を出す。
――おいおい、なんなんだようるさいな。
――気持ちよく寝てるときに邪魔してよ。
不機嫌さをあらわにしながら亀が言う。
――ええと。わたしは言う。大丈夫でしたか? 石を投げられていましたが。
――石ぃ? 亀が言う。なんだそりゃ。知らねえよ。
わたしは考える。どうやら、頑丈な甲羅によって投石のダメージは一切なく、石をぶつけられていることに気づいてすらいなかったらしい。
――わけわかんないことで睡眠の邪魔しないでくれよ。なんのつもりだか知らないけどよ。こちとらここ最近不眠症気味でよ、ようやくちょっと前に眠れたとこだったのによ。
亀はその後もわたしを糾弾し続ける。
わたしは亀に平謝りする。
しばらくの間、それが続く。
解放された頃には、もうすっかり日が暮れている。
わたしは憔悴し、とぼとぼとした足取りで家路につく。
疲労のせいか、足取りがひどく重い。
わたしは、自分が大きく老け込んだように感じる。
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