99日目 『クリフハンガー』


 ある日、わたしが崖にしがみついていると、機械仕掛けの神がわたしに話しかけてくる。


 ――おやおや、どうしたのかね? こんなところで一人で崖っぷちにぶら下がって。


 ――いやあ、吊り橋を渡ろうとしたら、わたしが乗った途端に橋が崩れてしまいましてね。ギリギリのところで手が崖の淵を掴めたんですけど……


 崖の僅かな出っ張りを震える手で掴みながら、わたしは答える。


 この状態になってから、既に結構な時間が経過している。


 全体重を支える役目を負わされた両腕は、肉も、骨も、疲労と苦痛に喘ぎ続け、いつ限界が訪れてもおかしくないように思える。


 ――はは、それはそれは。


 機械仕掛けの神が言う。


 ――しかし、あれだな。ここで物語が終わったら、お手本のようなクリフハンガーが作れそうだ。


 クリフハンガー? わたしは言う。なんですかそれは。


 知らないかね? 機械仕掛けの神が言う。作劇方法の一種だよ。


 機械仕掛けの神は説明する。まあ、簡単に言うとだな、主人公が絶体絶命のシーンで話を終わらせる、というものだ。他にも色々パターンはあるんだが、一番オーソドックスなのはこれだな。


 わたしは言う。ああ、ドラマとかで時々そういう終わり方するの、ありますよね。


 ――主人公が絶体絶命の場面で、その後にどうなったか示さずに話を終える。そうなると、観客は想像するわけだ。主人公はこのあと助かったのか? それともそのまま死んでしまったのか? とね。


 ――確かに、わたしもそういう経験あります。


 で、だ。機械仕掛けの神が言う。一つ君に相談なのだが。


 はい。わたしは言う。何でしょうか。




 ――君の物語を、ここで終わらせてみないか?




 それから少しの間、沈黙が流れる。


 具体的にどれくらいの時間だったかはわからない。


 どこかのタイミングで、わたしが先に口を開く。


 ――そんなこと出来るんですか?


 ――そりゃできるとも。わたしは機械仕掛けの神だからね。


 機械仕掛けの神は言う。ここで物語が終われば、人々は想像するだろう。君の辿った結末を。一人ひとりの中に、異なる結末が想像され、君は無数の可能性の集合となり、人々の心の中に深く根付いて、存在し続けることが出来る。悪くない話だとは、思わないか?


 なるほど。わたしは言う。確かにそれも悪くないかもしれませんね。


 ――だろう? では……


 ――ですが


 わたしは言う。


 ――ですが、お断りします。


 機械仕掛けの神は面食らったような顔でわたしを見る。


 ――ほう、それは何故かな?


 わたしは言う。まあ理由は色々とあるんですが……


 ――物語が本当に終わるときというのは、死んだときだけしかないだと思うんですよ。


 つまりですね、誰かと結ばれたとか、結婚したとか、憎い相手に復讐を果たしたとか、仕事で成功したとか、あるいは誰かと別れたとか、失敗して落伍したとか、そういうところで終わる話っていうのは多いですが、実際のところ、その後も主人公の人生は続いていくなら、本当はそこでは終わってなんていないんですよ。


 わたしの言葉に、機械仕掛けの神は何やら考え込むような仕草を見せる。


 ――つまりあれか? 君の物語のエンディングは、君の死という結末以外には認めないと?


 ――まあ、そういうことですね。


 機械仕掛けの神は、やれやれ、といったふうに苦笑する。


 ――そう言うんなら、わたしも無理にとは言わないよ。


 そう言って、機械仕掛けの神はこの場から退場する。


 ……次に会うときは、君が完全に死んだときだな……


 そして、わたしは一人、崖っぷちに残される。


 わたしは大きく息を吸い込み、歯を食いしばり、もう一度、渾身の意志を腕に込める。


 既に枯れ果てたように思えたわたしの両腕は、驚くべき力でそれに応える。


 ゆっくりと、わたしの身体が持ち上がっていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る