92日目 『ゆるゆる』


 雑誌を読んでいると、このような記事がわたしの目に入る。


 “やらなければならないことを先延ばしにしてしまう癖、その原因と対策”


 そこには以下のようなことが書かれている。


 やらなければならないことを先延ばしにしてしまう癖、その原因は「」によるものである。

 まず、やらなければならないことがあるけれども、それを面倒に感じて後回しにしてしまうということは、殆どの人間に起こりうる現象である。

 そうした中で、自分を赦す能力が不足している人は、先延ばしにした自分を過度に責めてしまう。

 そうした自責行動によってエネルギーが消耗され、やるべきことに向かう力が失われてしまい、更に自責行動によって「自分はちゃんと罰を受けた」という感覚が生まれ、それが先延ばしを正当化させてしまうことにも繋がる。

 これによって、先延ばしが更なる先延ばしを生むという悪循環に陥る。


 こうした状況から抜け出すためには、自分を責めるのをやめて、自分を赦すことが必要になる。


 先延ばしをしてしまった自分を赦すことは勿論、普段からミスをしたときなどにも自責行動をやめて、その都度、自分を赦すようにし、それを繰り返すことで自分を赦す能力を高めていく。

 これによって、自分を赦す能力が高まった人間は、先延ばし癖が大きく改善されることが研究によって明らかになっている。


 わたしはその記事に大きな感銘を受ける。


 何かを先延ばしにし、先延ばしにした自分を責め、それによって更に先延ばしが発生する。


 こうした事態はわたしにも数え切れないほど思い当たる節がある。


 わたしは、早速今日から自分を赦す能力を高める訓練を始めようと思い立つ。


 しかし、自分を赦すとは、具体的にどのような形式で行えばいいのだろうか?


 そもそも赦すという行為は、“赦す側”と“赦される側”の二者がいなければ行えないのでは?


 わたしは考える。


 考えた末、わたしは自分の目の前に、もうひとりの自分が立っている姿を思い描く。


 目の前に立っているわたしに向かって、わたしは言う。


 ――あなたを赦します。


 赦されたわたしは微笑みながらわたしに言う。


 ――ありがとう。


 一連の流れを終え、わたしは大きく息を吐きだす。


 どこか、胸のつかえが下りたような、爽やかな気持ちが自分の内に生まれたように感じる。







                 ◆◇◆








 それ以来、わたしは日々、わたしを赦すことを始める。


 例えば、公共料金の支払いを忘れて、電気が止められてしまったとき。


 わたしはもうひとりのわたしに言う。


 ――ここしばらくは多忙な日々が続いたし、忘れてしまったのも仕方ありません。赦します。


 赦されたわたしは微笑みながらわたしに言う。


 ――ありがとう。次からは気をつけるから。





                 ◆◇◆





 例えば寝坊をして、大事な約束に遅刻してしまったとき。


 わたしはもうひとりのわたしに言う。


 ――昨日は夜遅くまで起きていたし、寝坊してしまったのも仕方ありません。赦します。


 赦されたわたしは微笑みながらわたしに言う。


 ――ありがとう。そう言ってもらえると、気が楽になる。







                 ◆◇◆





 そして今日も。


 わたしが帰宅し、冷蔵庫を開けると、取っておいたハーゲンダッツのアイスクリームがなくなっていることに気づく。


 わたしは赦される側のわたしに言う。


 ――もしかして、食べました?


 赦される側のわたしが言う。


 ――すまない、君のだったとは知らなかったんだ。


 申し訳無さそうな顔で頭を下げる赦される側のわたしにわたしは言う。


 ――知らなかったのなら仕方ありません。赦します。


 赦される側のわたしは微笑みながらわたしに言う。


 ――君ならそう言ってくれると思っていたよ。

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