43日目 『エキサイトのサイト』


 眠れない日が何日も続くと、思考や生活がどんどん単純化されていく。


 睡眠不足にさらされた脳は複雑な思考をおこなうことが半ば不可能になるため、思考は必要最低限のことのみに向けられる。まず、生命の維持。それが叶ったら、あとは緊急度の高い作業を順に遂行していくのみ。ある意味では、一個の機械になったような感覚すらある。欲求というものも、極限まで削られる。最終的には、「眠りたい」という以外の望みは枯れ果て、湧き出ることがなくなっていく。


 その夜も、わたしが望み、願い、欲するものは、ただ一つだった。全ての明かりを消し、暗闇の中で横たわりながら、眠気が訪れることだけを、ただ待っていた。


 そしてその真夜中、寝室のドアに控えめなノックの音が鳴ったとき、“ああ、ようやく『眠気』がやって来てくれたか”と思い、安堵した。


 だが、結論から言うと、それは勘違いだった。


 やって来たのは『興奮』だった。






                 ◆◇◆




「突然すまない」興奮が言った。「今夜ひと晩、一緒にいてもらえないだろうか」


 わたしはベッドの上で上半身を起こした。わたしが申し出に対して承諾、あるいは拒否の返答をするより先に、興奮はベッドに腰掛けてわたしのすぐ隣に身を寄せた。


「あんたが俺を歓迎してないことはわかってる」興奮は言った。「でもここしか行く場所がなかったんだ」



「ええ」わたしは言った。「わかってます」


 わたしは、訪れた『興奮』を受け入れた。

 心臓の鼓動が高まり、胸に手を当てたりせずとも、その脈動を感じ取れた。血液は凄まじいスピードで体内を循環した。三日月ほどにしか開いていなかった瞼は、立待月か十六夜月のごとく見開かれた。全身の神経が励起していた。今まで捉えられなかった音や匂いが、つぶさに感じ取れた。わたしはそこで初めて、外で鈴虫が鳴いていることに気がついた。


 もはや睡眠は不可能だった。


 わたしはベッドから立ち上がり、居間に向かった。興奮はわたしのすぐ傍らにピタリと寄り添って随伴してきた。

 こめかみの辺りがズキズキと痛んだ。


 わたしが湯を沸かしてハーブティーを淹れ始めると、興奮が横から茶々を入れてきた。


「うわっ、あんたこんなの飲んでんのかよ」興奮が言った。「変わっちまったな。前はコーヒーばかり飲んでたのに」


「コーヒーは今でも飲んでますよ」わたしは言った。「ここ2~3日は控えていますが」


 わたしがソファに座ってハーブティーを飲み始めると、興奮が「俺にも少しくれ」と言ってきた。カップを口に当てて啜らせると、興奮は最初の一口で顔をしかめた。


「あー、こりゃ駄目だ」興奮は言った。「俺には合わねえわ」


 わたしはその後もハーブティーを飲み続けた。興奮はその匂いが趣味に合わないらしく、わたしのそばから少し離れた。こめかみの痛みが段々と引いていくのを感じた。



「なんていうか」興奮は言った。「さっさと帰ってくれ、って言いたそうだな」


「そこまでは思ってませんよ」わたしは言った。「あなたに傍にいてほしいと思うときだってありますし」


「でも今は違うんだろ?」



 その通りだった。



「俺だって、できればあんたの望むときだけ一緒にいられりゃあなと思うよ」興奮は言った。「でもそういうわけにもいかねえんだ。わかるだろ?」


「ええ」わたしは言った。「わかってますよ」


「心配しなくても明け方くらいには出ていくからよ」興奮は言った。「もし帰りがけに『眠気』と会ったら、早くあんたのとこに行くよう伝えてやるから」


 わたしは「助かります」と言って、窓の外を見た。

 外は真っ暗な闇が広がっていて、夜明けはまだずっと遠くにあるように感じられた。



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