42日目 『ゆる』


 もう結構昔のことになるのだが、商店街の福引で一等を当てたことがある。


 係員が「おめでとうございます」と言った。それから何かの儀式のようにカウベルのような道具を振り回してガラガラと音を立てた。そして景品の封筒をわたしに手渡しだ。

 わたしは旅行券か、あるいは商品券あたりなのだろうと思っていた。

 家に帰って封筒を開けてみると、そこにはこう書いてあった。


『赦免権利証』


 その下には、何らかの公的証明書特有の堅苦しい文章が長なと記されていたが、簡潔にまとめると以下のような内容が明示されていた。


“あなたには全ての人に赦しを与える権利が保証されます”






                 ◆◇◆





 確かその3日後か4日後だったと思う。


 見知らぬ男性がわたしの家を訪ねてきた。玄関先で顔を合わせるなり男性はこう言ってきた。


「赦しを与えてもらえますか」


 その後も、男性は自分の身の上話らしきことを持って回った、どことなく言い訳がましさを感じる口調で語り始めたが、わたしはその前日に全く寝付けなかった関係で頭がはっきりせず、殆どの部分は要点を掴むより先に忘却の彼方に消え、わたしの認識下に置かれることはなかった。


「どうでしょう」男性は言った。「赦してもらえますか?」


 わたしは反射的に「はい」と言った。あまり深く考えずにそう発言した。


「やった!」

 男性は拳を握りしめて、喝采を叫んだ。

「赦された! 俺は赦されたんだ!」


 至近距離で発せられた雄叫びの声は、寝不足の頭には随分響いた。





                 ◆◇◆




 確かその翌日だった。


 見知らぬ女性がわたしの家を訪ねてきた。玄関先で顔を合わせるなり女性はこう言った。


「あの男を赦したっていうのは本当ですか?」


 その日のわたしは寝不足で頭がぼんやりしていて、一瞬なんのことなのかよくわからなかったのだが、昨日にわたしに赦しを乞うてきたあの人物の話なのだということが、途中から朧気ながら理解できた。

 わたしが「本当です」と告げると、女性は表情を急変させた。


「どうしてあんなやつを赦したんです!?」女性は言った。「あいつがわたしに何をしたか知ってるんですか!?」


 わたしが「それは知りませんが」と伝えると、女性は顔を手で覆って泣き出した。


「ひどい!」女性は言った。「あんなやつが赦されていいはずがないのに!」





                 ◆◇◆




 その後も似たようなパターンが幾度となく繰り返された。


 見知らぬ誰かがやって来て、わたしに赦しを求めてきた。

 わたしが赦しを与えると、その人物は意気揚々と帰っていくのだが、後日、別の人物が現れて、“何故あのような者を赦したのか”とわたしを責め立てた。


 そんなことがしばらく続いたので、わたしは赦しを乞う人が現れても、赦しを与えないようにしてみた。

 そうすると、今度はその人物のほうがわたしを責め立てた。何故赦しを与えてくれないのか。あなたにはその権利があるのに。自分があなたに何か迷惑を掛けたというのか。

 確かにそのとおりだった。彼ら彼女らは誰もわたしに対しては迷惑を掛けてなどいなかった。迷惑を掛けられた相手は、恐らくどこか別の場所にいる別の誰かなのだろう。


 わたしは、そういった人々に「わたしにではなく、あなたが直接迷惑を掛けた相手に対して赦しを求めたほうが良いんじゃないでしょうか」と提案してみたが、誰も聞き入れるものはいなかった。直接迷惑を掛けた相手は、とてもじゃないが自分を赦してくれそうにない。だから代わりにあなたが赦しを与えてくれ。


 わたしは、詳しい事情を聞いた上で赦すかどうか判断したいという申し出を出してみたが、それも大半の相手からは拒否された。そのあたりは極めてプライベートな内容になるので話したくないと言われた。あなたにそこまで聞く権利があるのか?とも言われた。


 その通りだった。他人のプライベートに立ち入る権利は、わたしは所有していない。わたしが所有している権利は、ただ赦しを与えるということだけだった。





                 ◆◇◆




 そんなことが毎日続いて、わたしもいい加減に嫌気が差してきた頃だった。


 見知らぬ男性がわたしの家を訪ねてきた。玄関先で顔を合わせるなり男性はこう言ってきた。


「あなたが持っている赦免権利証を、譲ってもらえませんでしょうか?」



 男性の提案に、わたしは一も二もなく同意した。

 男性は金額について交渉したいと申し出てきたが、わたしはタダでいいからすぐに持っていってほしいと伝えた。

 男性が証書を受け取って立ち去るとすると、わたしは巨大な荷物が背中から降ろされたような爽快感と虚脱感を覚えた。


 その日の夜は、久方ぶりに深い眠りにつけたことを覚えている。






                 ◆◇◆




 時々、テレビでニュース番組などを見ていると、あのとき赦免権利証を引き取っていった男性のことを思い出すことがある。


 あの男性は、今でもどこかで誰かを赦したり、あるいは赦さなかったりといった判断を下しているのだろうかと。


 報道を見ていると、全く同じようなことをしているのに、ある人物は罪に問われ、別の人物は罪に問われないこと、ある人物は激しいバッシングが何日も続き、別の人物は殆ど触れられないということが、度々起こる。


 そういったケースに触れると、もしかしてあのときの男性がそういった処遇を決定しているのではないかという考えが不意に浮かんでくることがあるが、推論の粋を出ず、決定的な論拠も入手できない題目であるため、わたしの頭はすぐにそれを『検証不要』の棚に置き、また別のことを考え始める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る