17日目 『惑わせる星の人』


 その年の夏のことは今でもよく覚えている。


 その年の夏は直近十年以内で最も平均気温の高い年だった。

 わたしは冷房の風が苦手な質なので、普段はあまりその手のものは使用しないのだが、その年の夏は、わたしも一日中エアコンを点けっぱなしにして過ごしていた。


 そしてエアコンが故障した。

 修理を呼んだが、家に来られるのは一週間後だと言われた。


 わたしは物置から古い扇風機を持ち出して、それで暑を凌ぐことを余儀なくされた。


 出力を『強』に合わせた扇風機の風を間近で浴びながら、わたしは思わず、ふと、「暑いな」と呟いた。

 その声は扇風機から発せられた風によって不自然な形に波長を歪められ、普段とは全く異なる声色を作り出した。

 わたしは「あえいうえおあお」と言ってみた。同様に声色には奇怪な歪みが掛けられた。この世のものでないような、外宇宙的な響きが感じられた。


 わたしは次に、「我々は宇宙人だ」と言った。


 その時だった。

 部屋の隅で、カリッという何かを引っ掻くような音が聞こえた。

 視線を向けると、そこには一匹のネズミが鎮座していた。

 わたしが視線を向けているにも関わらず、ネズミはその場を動かなかった。


「まさか」ネズミが言った。「同胞か……?」







                 ◆◇◆





 それから一悶着をこなした後、わたしはチーズを一切れ、小皿に乗せてネズミに差し出した。


「先程は失礼しました」わたしは言った。「ちょっと誤解を与えてしまったようで」


「いや、こちらこと早合点だった」ネズミは言った。「よくよく考えれば、仮に君が宇宙人だったとしても、わたしと同じ惑星の出身である可能性は限りなく低かったな」


 そう言って、ネズミはチーズを齧り始めた。


「宇宙人のひとを見るのは初めてなんですが」わたしは言った。「外見はネズミにそっくりですね」


「ああ、この身体はこの惑星の現生物のものを借りているんだ」ネズミは言った。「脳に人格を転写させている。本来のわたしの身体は全く別のものだ」


「何故そのようなことを?」


 わたしがそう訊ねると、ネズミはチーズを齧るのを止め、天井に目を向けた。

 いや、恐らく天井を見ているのではないのだろう。その目はもっと先の上空の、更にその彼方に広がる空間へ向けられているように見えた。

 ネズミは言った。


「長い話になる」






                 ◆◇◆





「……で、今ここにこうしているわけだ」


 ネズミは話を終え、大きく息を吐き出した。


 わたしは窓から外の景色を見た。

 ネズミが話を始めたときはまだ昼前だったはずだが、窓の外の景色は夕焼けで朱に染まっていた。


「本日は貴重なお話をどうも」わたしは言った。「今後の参考にします」


「ああ。君も今後ロケットに乗るときがあったら、ハッチの締め忘れには充分に注意したまえ」ネズミは言った。「では、失礼するよ」


 ネズミが立ち去ったあと、わたしはチーズを提供した小皿を台所に持っていって洗った。

 そのとき、聞き慣れない声が聞こえた。


「あんた、すっかりやられちまってたな」


 見ると、台所の片隅に一匹のネズミがいた。

 先程のネズミではない。もっと若い個体だ。


「さっきの爺さんがしてた話だけどよ」ネズミが言った。「あれ、全部ウソなんだぜ」


「えっ」わたしは言った。「そうなんですか」


「あの爺さんもうトシだからよ、ちょっと頭がボケちまってんだよ」

 ネズミが言った。

「それでも妙に話がうまいから真に受けて信じちゃうやつも結構いるんだ。ま、俺はすぐに作り話だってわかったけどな」


 それだけ言って、そのネズミは冷蔵庫の下に潜り込み姿を消した。






                 ◆◇◆





 その日の夜。


 わたしはベッドの上に仰向けになり、天井の暗黒を見つめながら、日中にネズミから聞いた話を思い返していた。

 もっとも、話が長すぎて殆どの部分は忘れてしまっていた。覚えていたのは、話の序盤のある一部分だけだった。


「で、わたしがその惑星にいられなくなった理由なんだが」ネズミは言った。「簡単に言えばわたしがそのとき保有していた『ちから』が原因でね」


ちから、と言いますと?」


「これがとにかく説明するのが難しいものなんだ」ネズミは言った。「ざっくり言えば、『そこにいるだけで、周囲の者に“ちからを加えられた反応”を引き起こすちから』ということになるかな」


 わたしは「ええと」と言った。


「例えばだな、誰かに暴力を加えたとするだろ? 殴るとか蹴るとかしてだな。そうすると暴力を加えられた者は何らかの反応を起こすことになる。屈服したりとか、逃走したりとか、あるいは抵抗して反撃してきたりとかだな。そういう“力を加えられた際の反応”を、そこにいるだけで、何もしていないのに周囲の者に引き起こしてしまうんだ」


「そんなことあります?」


「それがあるんだよ。わたしがただそこにいるだけで、ある者は突然わたしに膝を屈して、服従の意を示してきた。ある者はわたしから距離を取り、徹底的にわたしを避けようとした。他のある者は、わたしに抵抗してきた」


「何もしていない相手にどうやって抵抗できるんですか?」


「やり方は色々あったが、一番多いのはわたしの存在を貶めようという動きだな。わたしのことを悪党だとか、詐欺師だとか、実際は全然大したことないやつだとか、そういったことを喧伝する者が多かった。恐らく彼らなりに、わたしを“無力化”しようとしていたんだろうね。あるいは、殴りかかってくる者もたまにいたよ」


「何もしていないのに殴られたんですか?」


「そうだ。もっとも、向こうからしたら“わたしが先に力を加えてきたら、反撃として殴った”という認識なのだろうけどね。ともかくそんなようなことが続いて、わたしにはその惑星にいられなくなったというわけだ」


「ははあ」わたしは言った。「それはそれは」


「わたしの出身惑星では、この力は『ちから』と呼ばれていた」


?」


「鬼、妖怪、化物、といった存在の総称だよ。要するにそういった、よくわからない、謎めいた、怪しい存在が持つ邪悪な力、といった意味合いだね」


「他の惑星にも鬼とか妖怪という概念があるんですか?」


「そりゃあ勿論あるさ」

 ネズミは言った。

「どこまでいっても、よくわからないものっていうのはあるんだよ」






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