97日目 『贖罪の山羊』
ある日、わたしが玄関先を掃除していると、一日の山羊が行き倒れているのを発見する。
――もしもし?
わたしはしゃがみ込んで山羊に声を掛ける。もしもし? どうされたんですか?
山羊は息も絶え絶えの様子で、飢えと渇きを訴えかけてくる。
わたしは山羊を家の中に招き入れる。
水と食事を与えると、山羊は貪るように摂取していく。
それからしばらくしてようやく山羊は活気と落ち着きを取り戻す。
――ありがとうございます。おかげで助かりました。
食後のコーヒーを片手に頭を下げる山羊にわたしは言う。
――何かあったんですか?
それから山羊は自身の身の上に起きたことを語り始める。
――自分ねぇ、スケープゴートにされたんですよ。
山羊が言うには、山羊が以前住んでいた地域には一つの変わった風習があった。
それは、年に一度“贖罪の日”という祭日を設け、その日、選ばれた一匹の山羊に、その一年間で人々が起こした罪を全てその山羊に背負わせて、荒野に追放するというものだ、と。
――なんのためにそんなことを?
わたしの質問に、山羊は苦々しい顔で言う。
――誰かひとりに悪いことを全部押し付けたから、他の皆はもう大丈夫。そうやって救われたような気になれる。まあ、そんなとこでしょうな。
わたしは言う。あなたがその一匹に選ばれたのは、何か正当な理由からなんですか?
山羊は言う。正当な理由? まさか、そんなもんありゃしません。
――くじですよ。
山羊は言う。くじ引きです。それで、自分が当たっちまったんです。ただそれだけで、こんな目に合わされて……
それから山羊は、追放された後の苦難の道のりを長い時間かけてわたしに語って聞かせる。
――で、お宅の前まで来たっていうわけなんですわ。
それはそれは。わたしは言う。大変でしたね。本当に。
それからしばらくして、ようやく山羊は帰り支度を始める。
――随分と世話になってしまいましたな。
玄関先で山羊を見送りながらわたしは言う。
――いえいえ、困ったときはお互い様ですから。
◆◇◆
それから何日か後、山羊がわたしの家を訪ねてくる。
――このあいだはどうも。
山羊は言う。ええと、実はですね、またちょっと食べ物が手に入らなくて……
わたしは言う。あら、そうですか。構いませんよ。ちょっと前に特売で野菜を買いすぎて余らせてたので。
――いやあ、助かります。……おおい!
山羊が後方に向かって、誰かを呼ぶような声を出す。
すると、後方からもう一匹の山羊が顔を出す。
わたしは言う。――そちらの方は?
山羊が言う。――こいつねえ、別の年に選ばれたスケープゴートなんですよ。
もう一匹の山羊がわたしに向かって軽く会釈する。
――ちょっと前にこのへんで知り合いましてね。すいませんが、こいつにも食い物を……
わたしは言う。ええ、まあ、構いませんよ。
◆◇◆
その後も山羊は度々、わたしの家を訪れる。
訪れる度、山羊は言う。
――ああ、こいつですか? また別の年のスケープゴートでして……
山羊は毎回新しい山羊を連れてくる。
二匹から三匹、四匹、五匹。
そして二桁に達する頭数で山羊たちが訪れたとき、わたしは言う。
――ええと、この数だと全員に与えられるだけの糧食は蓄えてなくてですね。
山羊たちは言う。どれくらいならもらえますか?
わたしは山羊の頭数を数え、備蓄の食料を確認した後に言う。
――ちょっと一匹分は足りないですね。
山羊たちは角を突き合わせて議論を始める。誰が食料を受け取り、誰が諦めるのか。
議論は白熱する。俺は最初にこの家に来たんだぞ。俺はこの中で一番年長だ。スケープゴートに選ばれたのは俺が一番古い。おいおいそれを言うなら俺だって……
議論はまとまる気配を見せぬまま加速し、次第に口論へと移り変わり、混沌が渦を巻いていく。
どこかで誰かが“くじで決めよう”と言い出す。
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