15日目 『隠れ潜むは彼らの得手』


「そういえばこんな話を知ってるかな」


 男は言った。


「ある女性が深夜、仕事からの帰り道、黒い服を着た男が走っていく姿を目撃するんだ。

 その翌日、女性がテレビ番組を見ていると、自宅の近くで殺人事件があったことを知る。同じ日、制服の警察官がやって来て“この近所で殺人事件があったのをご存知だと思うのですが、その件に関して何か心当たりはございませんでしょうか”と聞いてくる」


「初めて聞く話ですね」わたしは言った。「それからどうなるんですか?」


「じゃあ続きを話そう。女性が“何も知らないです”と返答すると、警官は、“また後日、同じ時間にお尋ねしますのでその時に、もし何か思い出した事がございましたらどんなささいな事でも構いませんので教えてください”と告げて去っていく」


「はい」


「で、翌日も、翌々日も、その翌日も、決まった時間にその警官はやってきて、“何か思い出したことはありますか?”と聞いてくる」


「仕事熱心な方ですね」


「女性はずっと“思い出したことはない”と答え続けてたんだが、あるとき事件当日に黒い服の不審な男を見た事を思い出す。次に警官が来たら、その事を話そうと女性は思う」


「はい」


「そして次の日の朝、女性がテレビを見ていると、例の事件の犯人が捕まったとのニュースが流れる。そこで、女性は犯人の写真を見て驚愕する。なんと捕まった男は、自分の家に聞き込みに来ていた警察官その人だったんだ」


「ええと」わたしは言った。「ということは、つまり」


「つまり犯人が警察官に扮装し、女性が自分の事を思い出さないか監視してたってわけさ」

 男は言った。

「日々の訪問の中で、何かを思い出して話したら口封じに殺害しようとしていたんだ」


「ははあ」わたしは言った。「それはそれは」


「恐ろしい話だろ? 僕は初めてこれを聞いたときはしばらくの間、家のドアがノックされるたびにビクついていたくらいだよ」


 男はそう言って、ティーカップを口に運んだ。


「ああ、そういえばこんな話もあるんだけど知ってるかな。一人暮らしをしている女性の部屋に友人が遊びに来てね。部屋にはベッドが一つしかないので、自分はベッドに寝て、友人は床に布団を敷いて寝させることにしたんだが、そこで友人が――」






                 ◆◇◆





 その男は突然家にやってきた。

 突然すいません、自分、この近所に住んでる者なんですけど、と男は言った。


「どういったご用件でしょうか?」


「ええ、そのですね」

 男は言った。

「今朝のニュースで、逃亡中の殺人犯がこの近くに潜伏している疑いがあるという話をしていたんですが、ご覧になりました?」


「いや、見てないですね」

 わたしは言った。

「今朝はちょっとバタバタしてて」


「その、自分、あれを見ていたら何だか独りでいるのが怖くなってきまして」

 男は言った。

「不躾なお願いですが、少しのあいだ一緒にいてもらってもいいですか?」


「別に構いませんよ」

 わたしは言った。

「ちょうどお茶を淹れたところだったんで、よかったら」



 わたしは男を居間に通し、紅茶を提供した。

 初めのうちは男も緊張したような様子を伺わせていたが、少し会話をしたらすぐに態度が和らぎ、旧知の仲のような親しげな態度を見せるようになった。

 男は非常に話題が豊富で、何時間ものあいだ、尽きない話を延々わたしに聞かせてくれた。


「――で、その友人は血相を変えて彼女にこう言ったんだ。“ベッドの下に斧を持った男がうずくまっていた”、とね」


「ははあ」わたしは言った。「それはそれは」


「恐ろしい話だろ? 僕は初めてこれを聞いたときしばらくの間、下に空間があるベッドで寝られなくなったくらいだよ」


 男はそう言ってティーカップを口に運んだ。


「この紅茶、すごくおいしいね。高級品なのかな?」


「いえ、近所の店で買ったものですよ」

 わたしは言った。

「ほら、あの十字路の近くにある店です。この辺じゃ結構有名ですけど、ご存じないですか?」



「ああ、その」男は言った。「まだこの辺には越してきたばかりなんだ」



「そうなんですか。じゃあ知らなくても仕方ないですね」

「今度行ってみるよ。あ、ちょっとトイレを貸してもらってもいいかな?」


 わたしは「どうぞ」と言い、男は席を立った。

 わたしは点けっぱなしになっていたテレビの方に目を向けた。

 そこで、画面が切り替わった。



『逃亡中の殺人犯の件で、続報が入りました』






                 ◆◇◆




 トイレから戻ってきた男はソファに腰掛けると「ふぅ」と息をついた。


「逃亡中の殺人犯、どうなったのかな。早く捕まってくれるといいんだけど」


「それでしたら今ちょうどテレビでやってますよ」

 わたしは言った。

「ついさっき、捕まったそうです」


「えっ、本当に!?」

 男はかじりつくような勢いでテレビに顔を向けた。

「……うわっ、捕まった場所、このすぐ近くじゃないか!」


「この近くに潜伏してるって話は事実だったみたいですね」


 男は「うわあ」とか「マジか」といった言葉をしばらくのあいだ延々呟いていた。






                 ◆◇◆





 それから少しして、男は帰宅した。


「本当に今日はありがとう」

 去り際に男が言った。

「独りじゃとても恐怖に耐えられなかったよ。いや、それどころか家に独りでいたらあの殺人犯に襲われてたかもしれない」


「いえいえ」わたしは言った。「何事もなくてよかったですね」




 男が立ち去ったのを確認すると、わたしは玄関を施錠し、寝室のドアを開けた。



「さっきの男の人ですけど、今帰りましたよ」



 わたしはそう告げたが、返事はなかった。

 見ると、寝室はいつの間にか、もぬけの殻になっていた。

 寝室内を見渡すと、閉じていたはずの窓が開けられていることに気づいた。


 もしかして、窓から出ていったのだろうか。今日最初に、わたしの家にやって来た、あの男は。二番目にやって来た男とわたしがお茶を飲んで会話しているあいだに。


 不思議な男だった。

 朝も早いうちに訪ねてきて、血のついたナイフを見せながら「中に入れろ」と言ってきた。

 お茶を勧めても飲もうとしないし、「そのナイフ、汚れてますけど洗いましょうか?」とわたしが言ったら、信じられないものを見るような目でこちらを見てきた。

 二番目の男が訪ねて来たときは、「俺のことを話したらぶっ殺すぞ!」と言って、寝室に隠れていった。


 しかし、なぜ出ていったのだろう? 今はまだ午後4時だ。確か、外が暗くなるまでは出ていかないと言っていたはずなのだが。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る