95日目 『夢の中では全てが正常』


 君は日々の眠りの中で、どれくらい夢を見るだろうか。


 わたし?


 わたしはかなり頻繁に夢を見る。


 楽しい夢が見られることもあるが……


 どちらかと言えば、あまり楽しくない夢のほうが多い。


 何か恐ろしいものに追いかけられている夢。


 何か取り返しのつかない失敗をしてしまう夢。


 誰か大切な人を失ってしまう夢。


 それ以外にも高いところから落下する夢とか、部屋の中に大量に虫が湧き出る夢とか……


 そういう類の夢を見た後に目覚めたときの気分はなんとも形容し難いものだ。


 夢の中で生じた不快感はまだ残っている。


 その一方で、夢の中で体験した望ましからざる出来事が、現実でなかったことへの安堵。


 それらが混じり合い、快とも不快ともつかない気分が駆け巡る。


 とはいえ。夢によって生じる精神への影響というのは長くは続かない。


 数時間もすれば消えていく。


 ただ、わたしが見てきた夢の中で本当に厄介な夢というのは、こういう不快な体験や現象と遭遇するたぐいのものではない。


 本当に厄介な夢。


 それは“目覚める夢”だ。


 睡眠から目覚めて起床した場面。


 それが夢に出てくる。


 夢の中で、目覚めたわたしはいつも通りの起床後の行動をとる。


 ベッドから這い出して洗面台に向かい、顔を洗い、寝間着を着替える。


 その後も何気ない日常が続いていく。


 そしてどこかのタイミングで、わたしはもう一度目を覚ます。


 そしてわたしはこう思う。


 ――今のわたしは、本当に目を覚ましているのか?


 ――今も“目覚めた夢”を見ているだけなんじゃないのか?


 とね。


 一時期、この手の夢を頻繁に見る時期があって、その頃は精神的にもだいぶ不安定だった。


 自分が眠っているのか目覚めているのかわからないのだ。


 こうなるともう、何もかもが疑わしくなってくる。


 確たるものが存在しないように思えてくる。


 あの頃は、殆どノイローゼのような状態になっていた。


 今?


 今はもう問題ない。


 夢と現の境で混乱し続ける日々を送る中で、わたしはあることに気づいたからだ。


 それは、ということだ。


 思い返してみてほしい。


 夢の中ではどれだけ突飛なことが起こっても、それは正常なものとして感じられるだろう?


 何が起こっても、それは当然のこととして受け入れられる。


 昨晩、わたしは巨大な蜘蛛と格闘する夢を見たのだが……


 その最中で、“こんな巨大な蜘蛛がいるだろうか?”といった疑問は欠片も生じなかった。


 つまり、こういうことだ。


 夢の中では“疑う”という行為は封じられている。


 その世界で起こることは全て、正常なものとして処理されていく。


 だから、逆に言えばだ。


“疑う”という行為が可能ならば、それは夢ではなく現実だということだ。


 これに気づいてから、わたしは夢と現の間で混乱することから解放された。


 自分が目覚めているのか、それとも夢の中にいるのか。


 そのような“疑い”が生じたということが、わたしが夢でなく現実の世界にいることの証明になる。


 もし君も、自分が今見ている世界が現実なのか夢なのかわからなくなったらこれを思い出してほしい。


 そうすれば、自分が現実にいるということが確かな実感として把握できるはずだ。


 ……ちょっと長々と喋りすぎたかな。


 なにか冷たい飲み物でも飲もうか。


 普段は、胃腸によくないので冷たい飲み物はあまり飲まないようにしているんだけど。


 今日はだいぶ暑いからね。


 まあ、たまにはいいだろう。


 それにしてもここ最近、暑い日が続いて参ってしまうな。


 十八月は太陽が二つ出るから仕方ないけれど。


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