94日目 『迷宮のただ中にて』
ある日、わたしが迷宮の中を歩いていると、通路の一角でミノタウロスと遭遇する。
――はぁ……
ミノタウロスは通路の壁際にしゃがみ込み、頬付を付いて大きなため息を漏らす。
――もしもし?
わたしはミノタウロスに話しかける。
――どうされました? 随分と元気がないようですが。
ミノタウロスは、気まずそうな、あるいはどこか恥ずかしがっているように指先で顔を掻きながらこう言う。
――ちょっと、人生に迷っちゃいまして。
わたしはミノタウロスの傍らに腰掛ける。
――わたしで良ければ、話を聞きますよ。
ミノタウロスは少し口ごもったような様子を見せ、それからぽつり、ぽつりと、自分の生い立ちについて話し始める。
――俺、生まれたときからずっとこの迷宮の中にいるんですよ。
――ずっと? とわたしは言う。ここから出たことがないんですか?
――そうなんです、とミノタウロスは言う。まあ、いわゆる、引きこもりってやつですね。
ミノタウロスは言う。食事とかは、親が定期的に差し入れしてくれるんで、生活には困ってないんです。ただ、その、もう自分も子供って歳じゃないし、ずっとこのままでいいのかなって、最近考えちゃうんですよね。
――なるほど。
わたしは言う。でしたら、外に出てみてはいいのでは?
――いやまあ、そうなんですけど……
ミノタウロスは言う。でもほら、俺って、顔がこんなじゃないですか。
ミノタウロスはため息をつく。
わたしは、別にそんな変な顔じゃないですよ、と言うが、ミノタウロスは納得しない。
――昔ねえ、この迷宮に入り込んできた女の子が、俺の顔見て悲鳴あげて逃げたことがあるんですよ。
項垂れるミノタウロスに、わたしは言う。まあ、小さい女の子って、ちょっとリアクションが過剰なところ、ありますからね。
ミノタウロスは言う。あれが結構トラウマでしてね。それで、外に出るのはどうしても気が引けちゃって……
――でも、外に出たいって気持ちもあるわけなんですよね?
わたしの言葉に、ミノタウロスは押し黙り顔を俯かせる。
――つまり、安全な場所にこもっていたい気持ちと、外の世界に飛び出してみたい気持ち、両者が拮抗していて、それで迷っているというわけですか。
わたしの言葉に、ミノタウロスは小さく頷く。
わたしは言う。でしたら、こう考えてみてはどうでしょうか。
――とりあえず外に出て、嫌になったらすぐ帰ってくればいい、と。
ミノタウロスは顔を上げる。――そんな程度で、いいんでしょうか?
わたしは言う。とりあえずやってみて、嫌になったらやめればいい。新しいことに手を付けるときは、それくらいでいいんですよ。何かを始めてすぐやめると、三日坊主とか言って批判する人もいますけど、一度始めたらやめずに続けなければいけないという重圧があると、なかなか始めることすらできない。それだったら、いつやめてもいいというくらいの気持ちで始めたほうがいい。
わたしの言葉に、ミノタウロスは何か考え込むような仕草を見せる。
わたしは言う。とりあえず、最初は最寄りのコンビニに行って帰ってくるくらいから始めてみてはどうですか?
ミノタウロスは、ずっとしゃがみっぱなしだった身体を立ち上がらせる。
――わかりました。一度、外に出てみようと思います。
わたしはミノタウロスの言葉に頷き、そしてこう質問する。
――ところで、この迷宮を出るための道筋はご存知なんですか?
――ああ、それなら……
ミノタウロスはそう言って、どこからか糸玉を取り出す。
糸玉は半分ほど解けた状態で、片一方の糸が垂れて、それが通路の端まで達し、曲がり角を曲がるように伸びている。
――それは何です?
――これね、何年か前にここに来た男が持ってきたんですよ。糸の先端を外に結びつけてから迷宮の中に持ってきたとかで。
わたしは言う。じゃあ、その糸を辿っていけば外に出れるわけですね。
ミノタウロスは頷く。
――じゃあ早速行きましょう。
ミノタウロスとわたしは、並んで通路を歩き始める。
歩きながら、どこかのタイミングでミノタウロスが言う。
――今までずっと、迷ってばかりで同じところを堂々巡りしているような気分でしたけど、あなたと会えて、ようやく出口が見えたような感じですよ。
わたしは言う。
――わたしも同じ気持ちです。
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