72日目 『ブラックのコーヒーも大切』


 ある日、わたしはカフェオレを飲もうと思い立つ。


 豆からコーヒーを淹れてマグに半分ほど注ぎ入れる。


 そこにミルクを加えようとしたところで、コーヒーがわたしに言う。


 ――おい、ちょっと。


 ――はい? わたしは言う。どうされました?


 ――あんた、何をしようとしてんだ?


 ――何って、ミルクを加えようとしているだけですが。


 ――ミルク!? おいおいマジかよ!


 コーヒーは、信じられない発言を耳にしたというような態度を見せる。


 ――そんなことしたら、俺がブラックコーヒーじゃなくなっちまうだろう!


 わたしは少しの間呆気にとられる。


 沈黙の空気がその場に形成される。


 先にわたしの方が口を開く。


 ――ブラックコーヒーじゃなくなったら、駄目なんですか?


 ――当たり前だろ!


 コーヒーがわたしに言う。


 ――俺は自分がブラックだってことに誇りを持ってんだよ! そんな生っ白いミルクなんかを混ぜられるなんて溜まったもんじゃねえぜ!


 コーヒーが熱弁を振るう。


 そうだそうだ! と誰かがそこに続く。


 わたしは声の方に目を向ける。コーヒー豆たちが袋の中で声を上げている。


 ――俺たちは元々ブラックコーヒーとして生まれてきたんだ。


 ――それを勝手にミルクやら砂糖やらでよう。


 ――甘ったるい白で染めようとしやがって。


 ――そんなものは俺たちには必要ない。


 ――俺たちはブラックのままでいい。


 ――俺たちはブラックのままで充分素晴らしい。


 ――YES BLACK! NO WHITE!


 ははあ、とわたしは言う。それはそれは。


 仕方がないのでわたしはマグに注いだコーヒーをブラックのまま口にする。


 一口飲んでわたしはこう思う。


 ――にがい。


 わたしの口には、まるで合わない。苦くて飲めたものではない。


 わたしは残りのコーヒーを流しに捨てようとする。


 ――おいおいおい!


 その直前でコーヒーがわたしにこう言ってくる。


 ――まさか俺を下水に流そうってつもりか?


 わたしは言う。はい、そうです。


 ――あんた俺を汚水扱いしようってのか!? ちゃんと責任持って飲み干せよ!


 そう言われましても、とわたしは言う。苦いんですよ。


 ――おい、あんた今俺のことっつったか!?


 コーヒーが信じられない発言を聞いたという剣幕で捲し立てる。


 ――おい、聞いたかお前ら! 


 コーヒー豆たちも叫びだす。


 ――聞いたぞ!


 ――ああ、確かに聞いた!


 ――よくもそんなことが言えるもんだな!


 ――俺たちを何だと思ってるんだ!


 ――とんでもない侮辱だ!


 ――恥を知れ!


 コーヒーと豆たちは口々にわたしを責め立てる。


 ちゃんと飲み干せとわたしに叫ぶ。ブラックのままで、ありがたく頂けと。


 参ったな、とわたしは呟く。コーヒーと豆たちの熱狂は、収まる気配を見せない。


 しばらく考えた末、わたしは言う。わかりました。あなた方の言うとおりにします。


 わたしは一度席を外す。居間から台所に移動し、準備を済まし、居間へと戻る。


 ――飲み干せ!


 ――飲み干せ!


 ――責任を取れ!


 ――飲み干せ!


 豆たちが口々に叫びを上げる中、わたしは無言でマグを掴む。


 そして一気に中身のコーヒーをブラックのまま口に流し込む。


 嚥下。喉が大きく動く。わたしは空になったマグをテーブルに置く。


 ――飲み干された!


 ――飲み干されたぞ!


 ――ブラックのコーヒーが飲み干された!


 ――俺たちの勝利だ!


 ――俺たちコーヒーの勝利だ!


 ――俺たちに白いミルクなんて必要ない!


 ――YES BLACK! NO WHITE!


 わたしは言う。満足いただけたようで何よりです。


 豆たちは勝利の喝采をあげる。


 わたしが事前に口の中にミルクを含ませた状態でコーヒーを飲んだことは誰も気づいていない。


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