46日目 『加えられた力に対して』


 棒の両端に円盤を一つづつ取り付けると、車輪ができる。


 その車輪にまっすぐな力を加えたとき、二つの円盤が同じ大きさをしているなら、その車輪はまっすぐ転がって進む。


 だがもし、二つの円盤がそれぞれ異なる大きさをしていたら?


 まっすぐに力を加えても、その車輪は自然と曲がった方向に進むことになる。




 話を元に戻そう。






                 ◆◇◆






 その男と初めて会ったのは、わたしの自宅の前だった。


 その日、わたしが買い物から帰ると、わたしの家の塀に、ひとりの男が左手を付いて寄りかかっているのを発見した。

 ひどくやせ細った男だった。息は荒く、疲労している様子に見えた。


「もしもし?」わたしはその男に声を掛けた。「どうされました?」


「あっ、すいません」男は言った。「何でもないんです。すいません」


 わたしが声をかけると、男はすぐにその場から動いた。

 そのままどこかに歩き去っていったが、その間も、ずっと左側にある壁や塀に左手を付いた状態で歩いていた。





                 ◆◇◆





 それから2週間か3週間くらい後だったと思う。


 駅からの帰り道で、再びあの男を見かけた。


 道端の自販機に片手をついていた。以前と同じように、疲弊した様子が伺えた。



「もしもし?」わたしは後方から近寄ってその男に声を掛けた。「大丈夫ですか?」


「あっ、すいません」男は言った。「何でもないんです。すいません」



 男はすぐにその場を離れようと寄りかかっていた自販機から手を離したが、そのとき、バランスを崩して転倒しそうになった。

 わたしは咄嗟に、倒れかかったその男を後ろから抱えるようにして支えた。


 そのとき、わたしの体幹に、妙な違和感が駆け抜けるのを感じた。

 それが何だったのか、検証して答えを出すより先に、男はわたしから体を離した。


「しっ、失礼しました」


 ひどく慌てた様子だった。

 何か、重大な失敗を犯してしまったような、そんな空気があった。


 そのまま、男はわたしから逃げるようにして早足でそのばを立ち去っていった。


 以前と同じように、片手を壁や塀に寄り掛かるように押し当てながらの歩みだった。


 ただ、以前と違ったのは、付いていた手が左手ではなく右手だったということだ。







                 ◆◇◆





 その日の夜。


 なかなか寝付けなかったわたしは、ベッドの上に横たわって暗闇の中で目を閉じながら、その男のことについて考えていた。


 あのとき、倒れかかった男を受け止めたときに引っ掛かった違和感がなんだったのか。

 わたしはその瞬間を何度も脳内で繰り返し記憶を再生し、その前後でわたしの感覚器がキャッチした情報を一つ一つ検分していった。


 それからしばらくして、わたしは一つの結論を出した。


 あの男には重力の掛かる方向にズレが生じていたのだ。


 抱きかかえた瞬間、予想していたのとは違った角度に力が加わっていた。それはあの男の重量が、地球の中心方向ではなく、幾らかずれた方向にベクトルを向けていたためだろう。

 その方向というのは、あの男の右手側だった。

 ずっと右手を何かに押し当てて体重を預けるようにしていたのも、身体の重みが真下方向ではなくやや斜めに掛かっている都合上、そうしないと身体を支えていられなかったのだろう。


 そこまで考えが進むと、最初に会った日と二度目に会った日で、付いている手が違う理由も推測できた。


 最初に会った日に左手をついていた方向と、二度目にあった日に右手をついていた方向は、東西南北で考えると、どちらも東側だ。

 恐らく重力の掛かる方向が真下方向からやや東側にずれている。そういった体質の持ち主だったのだろう。


 そこまで思考が進んだ辺りで、わたしの意識はようやく眠りへと向かってゆっくりとまどろんで、そして沈んでいった。




                 ◆◇◆





 話を元に戻そう。



 つまり、ある一方向に力を加えたとしても、その対象がまっすぐそれに沿って進むとは限らないわけだ。


 力を加えたときにどういう方向に進むのかは、その相手がどういう形をしているのかに依存する。


 これは車輪に限ったことではない。


 人間でもそうだ。


 その人間の形によって、同じように力を加えても、動く方向というのは違ってくる。


 人を動かすときは、そのことをまず意識しておかなければならない。

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