37日目 『この日に生まれて』


 ああ、その写真か。


 

 もう何年も前に撮ったものでね。



 詳しく話すと少し長くなるんだが……



 つまり、こういうことなんだ。





                 ◆◇◆





 その頃は、持ち前の不眠症がかなり悪化していた時期だった。


 まとまった睡眠が取れないまま一週間、二週間が過ぎていくようなこともざらにあった。

 そのような状態になると、日々の生活の中で記憶のつながりというものが失われることがある。

 ある時ふと、自分は何でこんな場所にいるのだろうか? とか、何でこんなことをしているのだろうか? と、前後の文脈が断たれたような状況に放り出されることがある。


 その日、わたしはカレンダーを見たときに、あることに気がついた。

 今日の日付のマスに、メモが記されている。


『誕生日』


 この三文字の周囲を、重要度を示すかのように花丸で囲んである。

 更にその下には、『お祝い 19時~』と『プレゼントを用意しておくこと』と書かれていた。


 わたしは首を傾げた。このようなメモを書いたかどうか、全く思い出せなかったからだ。

 その頃は、似たような事象が立て続けに起こっていた。買った覚えのない品が部屋の中に置かれていたり、作った覚えのない料理がテーブルの上に置かれていたり。

 それらのどれも、状況証拠を調べた限り、自分が寝不足の朦朧とした意識の中で行っていたことを裏付けていた。

 だから、このメモも忘れているだけできっと自分が書いたに違いないのだろうと、そう考えた。


 しかし、今日がいったい誰の誕生日なのか? 

 少なくともわたし自身の誕生日ではない。思い当たる知人もいない。

『お祝い 19時~』と書かれているが、場所が書かれていないということは、もしかしてこの、わたしの家で祝いの席を設けるということなのだろうか?


 あまりにも不明瞭なことだらけだったが、唯一はっきり言えるのは、今日中に『プレゼントを用意しておくこと』が必要だということだった。







                 ◆◇◆




「いらっしゃいませ」百貨店の店員が言った。「何かお探しでございますか?」


「誕生日プレゼントを買いたいんですけど」わたしは言った。「何を買えばいいのかちょっと迷ってまして」


「かしこまりました。どうぞこちらへ」



 百貨店の店員は、そう言ってわたしをギフト用品売り場の一角に連れて行った。




「プレゼントのお相手はどのような方でいらっしゃいますか?」店員が言った。「男性ですか? 女性ですか? ご年齢はおいくつほどで?」


「いや、それがですね」わたしは言った。「そのへんのことがよくわからない相手なんですよ」


「で、ございますと、あれですかね? ご友人の友人とか、お知り合いお知り合いのような、遠い関係の方の誕生パーティーに招待されてしまった、といったような状況でございますか?」


 わたしは「概ねそのような感じです」と言った。


「それでしたらこちらなどはいかがでございますか?」



 店員はそう言って近くにあった写真立てを手にとった。



「こちらのフォトフレームなんかは老若男女を問わず贈れる品として人気がありまして」店員は言った。「その日のパーティーの様子をカメラにとって一緒に渡すなどすると非常に喜ばれますよ」


「ああ、それはなかなか良さそうですね」わたしは言った。「それにします」


 店員は「お買い上げありがとうございます」と言った。







                 ◆◇◆




 それからわたしは、使い捨てカメラを一台を購入し、それから念の為にケーキと、パーティー用のオードブルを作るための食材を購入して帰宅した。


 この時点で16時を回っていた。


 わたしは急いで支度に取り掛かった。いつ来賓がやって来てもいいように備えた。

 だが、17時を回っても、18時を回っても、玄関のドアがノックされることはなく、家の電話が鳴ることもなかった。


 そして全ての支度を終えて迎えた、19時。


 訪れたものは、誰もいなかった。


 わたしは首を傾げた。こうなると誕生会の開催場所が、ここではないのにそれを書き忘れた、ということなのだろうか?

 あるいは、記入する日付を間違えたという可能性もある。

 でなければ――




「じゃあそろそろ始めましょうか」




 わたしは、突然聞こえたその声に反応して周囲を見回した。



「ちょっと、何キョロキョロしてんの?」カレンダーが言った。「始めるって言ってるでしょ」


「ええと」わたしは言った。「今日って誰の誕生日なんですか?」


「そんなの決まってるじゃない」カレンダーが言った。「わたしのよ」








                 ◆◇◆





 カレンダーが言うには、その日のちょうど一年前が、自分が刷り上がった日だったらしい。

 カレンダーはその日を自分の誕生日と定め、それをわたしに伝えるために、そのような表示を自ら出していた、ということだと。


「じゃああのメモは」わたしは言った。「わたしが書いたものではなくて」


「そう」カレンダーが言った。「わたしが自分で浮かび上がらせたものよ」


「そんなこと出来るんですか?」


「インクを動かせばそれくらい簡単よ」


「ああ、言われてみると何かこのページだけ全体的に印刷が薄くなってますね」


「そんなことより」カレンダーが言った。「何か言うことがあるでしょう?」


「ああ、はい」わたしは言った。「お誕生日おめでとうございます」




 それからわたしとカレンダーは二人で、ささやかながら誕生会を執り行った。

 用意したケーキもオードブルもカレンダーが食べなかったので、わたしが一人で全部食べる羽目になった。



「『プレゼントを用意しておくこと』としか書いてなかったのに、何でケーキや料理まで用意したわけ?」カレンダーが言った。



 わたしは「まったくですね」と言った。




                 ◆◇◆




 つまり、こういうことなんだ。


 その写真立ては、その誕生会でわたしがカレンダーにプレゼントしたもの。


 そこに入っている写真は、そのときに撮ったものだ。


 それが、『壁に掛けられたカレンダーの写真』を、写真立てに入れて飾っている理由だよ。


 納得してもらえただろうか?

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