84日目 『出生許可』
ある日、わたしが庭を掃除していると、聞き慣れない物音がわたしの耳に入る。
わたしは箒を動かす手を止めて、耳を澄ます。
呻き声が聞こえる。場所は生垣の向こうの道路から。
わたしが様子を見に行くと、ひとりの女性が腹部を手で押さえて蹲っている。
その腹部は、全体的な体つきからは不釣り合いに膨らんでいる。
「もしもし」とわたしは声を掛ける。「どうされました?」
女性は苦しげな声でこう答える。
「う、産まれる……」
◆◇◆
わたしは女性を家の中に運び込み、ソファーに寝かせる。
「今救急車を呼びます」わたしは言う。「どうか辛抱してください」
わたしは救急番号に電話を掛ける。
コール音が20回ほど鳴った後、男性の声につながる。
『火事ですか? 救急ですか?』
わたしは「救急です」と答え、事情を説明する。
『わかりました。これから救急車を向かわせます』
電話口の男性が言う。
『ですが、現在救急車が全て出払っている関係で、そちらに回せるまで幾らか時間が必要になります』
わたしはソファーで仰向けになっている女性の様子を横目で確認する。
その顔は苦痛に歪んでいて、かなり切羽詰まった状態であることが伺える。
わたしがそれを伝えると、電話口の男性が言う。
『では、今からそちらで出産をおこなってください』
「えっ」わたしは言う。「ここでですか?」
『わたしが電話口で指示しますので、それに従って子供を出産させてください』
「どのようにすればいいんでしょうか?」
『はい』電話口の男性が言う。『まず、対象となる子供から出生の許可を取ってください』
「出生の許可?」わたしは言う。「なんですかそれは?」
『ご存じないんですか?』電話口の男性が言う。『この世に産み落とされることへの同意ですよ。本人の同意がなければ出生は執り行えません。そういう法律があるのをご存じないのですか?』
わたしは言う。――いや、初めて知りました。
『ですので、お腹の中の子供と話して、許可を取ってください。口頭で構いません』
わたしは受話器を一旦、手放して台の上に置き、ソファーの上で身悶えている女性の元へ向かう。
「あー、すいません」
女性の膨らんだ腹部に向かってわたしは声を掛ける。
「お腹の中のお子さん、ちょっとお話いいですか?」
少しの沈黙の後、女性の腹部から股下あたりの部分から声が聞こえてくる。
「ああ、はいはい。あなた係の人?」
「ええと」とわたしは言う。「まあ、そういうことになると思います」
「もしかしてもう、産まれるかどうかって決めなきゃなんない時期?」
「はい」
「実を言うとねえ、まだちょっと決めかねてんすよ」
「えっ」わたしは言う。「なんでですか?」
「何ていうかねえ、ぶっちゃけそっちの世界って、実際どうなんです?」
「どう、と言いますと?」
「産まれてくるだけの価値がある世界っすか?」
しばらくの間、わたしと子供の間に沈黙が流れる。
母体である女性の呻き声が沈黙を強調する効果音のように響き続ける。
わたしはソファーの前を離れて電話機の前に行き、繋がったままの電話から向こうの男性に状況を伝える。
「――といった質問をされたんですが」わたしは言う。「どう答えればいいんでしょうか?」
『それについては、あなたの考えをそのまま伝えてください』
電話口の男性がわたしに言う。
『あなたはこの世界が、産まれてくるだけの価値があると思っていますか?』
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