04日目 『狙苦心仏』
先日、久しぶりにスナイパーを見る機会があった。
その日は長い雨続きの中で訪れた久々の快晴で、わたしは家の外壁にモップがけをしていた。
一通り磨き終えた後、この機会に屋根も掃除しておこうと思い、梯子を掛けて屋根の上に登った。
そこにスナイパーがいた。
かなり若いスナイパーだった。
片膝を立てて座り、立てた膝の上に肘を置いてライフルを支える座射の姿勢。観測手なし。単独で屋根の端に陣取っていた。
わたしは懐かしさを覚えた。
一昔前は、このようなスナイパーの姿がそこかしこの民家やビルの屋上で見られたものだったが。
◆◇◆
取り壊しが決まった廃ビルの屋上で、解体作業員が発見した“それ”が世間に与えた衝撃は相当のものだったと記憶している。
“それ”は一言でいえば死体だった。
ひとりの男性の死体。
だがそこには幾つもの特異な点があった。
まず、腐敗していなかった。
纏っていた衣服の変色と擦り切れの具合から死後それなりの日数が経っていることが伺えたが、肉体は腐敗せず、乾燥して干からびた状態だった。
そして、手にはスナイパーライフルを握っていた。
正確に言うなら、座射の姿勢をとりスナイパーライフルを構えた状態で死んでいた。
発見した作業員が死体に触れずに警察を呼んだため、どこに銃を向けていたのか、という疑問については早い段階で答えが出た。
死体が構えていたスナイパーライフルの銃口は、数百メートル先にある邸宅の三階の角部屋の窓に正確に照準されていることが割り出された。
その邸宅の家主というのが、かねてから詐欺まがいの強引な手法で厄介な法案を通しにくることで知られている著名な政治家だった。
世間からかなりの批判を浴びていて、多くの人から恨みを買っていて、にも関わらず政界の中心に長らく居座り続けていて、誰も手が出せない、そのような人物だった。
警察の出した結論はこうだった。
死体として発見された男性は、件の政治家を狙撃しようとしていた。ポジションを定めて機会を待った。しかしなかなか好機が訪れない。
それでも男性は待ち続けた。
飲まず食わずの状態でその場に待機し続けた。
次第にその体から水分が抜け落ち、脂肪が根こそぎ消費され、筋肉が糖分として分解され尽くすまで男性はその場に座してじっと狙撃のチャンスを狙い続けた。
そして、その状態のまま凅れるようにして死んでいった、と。
このニュースは世間の注目を一身に集めた。
その後の調査で男性の身元が判明し、軍人や傭兵でない一般の会社員だったことが明らかになると、話題性はより高まった。
一介の市民でありながら国を変えるために命がけで立ち向かった勇者と称賛され、同時に政権に対しては“一市民を修羅へと変えさせた地獄政治”と非難が集中した。
それから少しして、件の政治家が辞職を発表すると、男性は英雄として祀りあげられるようになった。
その男性の名前はよく覚えていない。
というか、当時からその男性が本名で呼ばれることは殆どなかった。
誰かがその男性(正確にはその男性の死体)を
狙苦心仏は人間が持つ不屈の精神の象徴となった。
権力の横暴に立ち向かう市民のアイコンとなった。
そして多くの人がそれに倣った。
スナイパーブームが到来した。
スナイパーライフルの専門店が次々とオープンし、沢山の人々がスナイパーライフルを所有して、各々の考える社会の敵へと狙いをつけた。
多くの人の恨みを買うようなやり方で社会的地位を向上させ、下層の人間から搾取して私腹を肥やしている、そのような人間だと捉えられる人物は大勢いた。
彼らにはそこかしこの民家やビルの屋上から四六時中に渡って銃口が向けられることになった。
実際に弾丸が発射されることがなくとも、そこには無言の圧力があった。
標的となった人々は次第に態度を改めるようになっていった。
無数のスナイパーたちの力によって、世の中が望ましい方向に変わっていっていると多くの人が語った。
そんな中、あるときこのような意見が出た。
「例の狙苦心仏ですけど、ぶっちゃけあの人って実際はなんもしてないですよね?」
その意見を発したのは、若くして幾つもの会社を所有する青年実業家で、前々から歯に衣着せぬ物言いでマスコミに注目されている人物だった。
「狙苦心仏も他のスナイパーたちもそうですけど、ただその場にじっとしてるってだけじゃないですか。そんな奴らを持て囃してる世間の人たちはマジでセンスないですよね。本気で世の中変えたいならじっとしてないで動けよって言いたい」
この発言をきっかけとして、狙苦心仏を英雄視する風潮にゆらぎが生じた。
事実として、狙苦心仏の彼は狙撃を実行して成功させたわけではない。
狙撃しようとしていた、それだけだった。
反対意見としては、そのやろうとしたということが大事なんだ、とか、不運にも狙撃チャンスに恵まれなかっただけでその行動は称賛されるべきだ、というものが多数あった。
だがその後の調べにより、件の政治家は狙苦心仏の銃口が向けられていた三階の角部屋には日頃から頻繁に出入りしており、換気のために自ら窓を開閉することも度々あったということが明らかになると、状況は一変した。
撃てるチャンスは充分あったにも関わらず腰が引けて撃てなかったのでは?という声が多数派を占めるようになった。
そもそも数百メートル先の標的に命中させられるような射撃の技術を一般の会社員であった狙苦心仏が有していたのか?という疑問も投げかけられた。
そのうちに、新興のスナイパーたちに狙われていた政界・財界の大物たちは、銃口を向けられたとこところでどうせ実際には撃てないし撃ったところで命中させる技術もないだろうと考えるようになり、以前のような横柄な態度へと戻っていった。
スナイパーたちは自分が銃を構えたところでもはやなんの影響力もないことを悟り、次々と離脱していった。
大量のスナイパーライフルがそこかしこに不法投棄された。
スナイパーライフルを処分するときは部品ごとに分解して木製の部分は可燃ごみ、鉄製の部分は資源ごみに出すよう行政から支持が出ていたが誰も守らなかった。
スナイパーライフル専門店は軒並みベルギーワッフル専門店に入れ替わった。
それからしばらくして、件の政治家は議員選に再出馬して再当選を果たした。
スナイパーブームは、終わった。
◆◇◆
今となっては狙苦心仏が話題にのぼることなど滅多に無いし、当時スナイパー活動をおこなっていた人々もそのことを進んで話そうとする人は殆どいない。
しかし、中には狙苦心仏の行動に心からの共感を示し、今でも現役でスナイパー活動を続けている人もごく少数ながらいるとは聞いていた。
目の前にいるこの若いスナイパーもそういった中のひとりなのかもしれない。
誰を狙っているのかはわからないが、自分なりの考えで本気で世の中を変えようとしてこの場にいるのかもしれない。
わたしはそのスナイパーの傍らに歩み寄った。
「あの」
わたしは言った。
「そこモップがけしたいんで、どいてもらえますか?」
スナイパーは「あっ、すいません」と言ってその場を離れた。
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