29日目 『ドラゴンの象徴』


 もう結構昔のことになるのだが、ドラゴンと一緒に暮らしていたことがある。


 その頃、わたしの住んでいる地域では大規模な経済政策が行われており、その中の一つに『民家の空き部屋を賃借物件として活用する』というものがあった。

 わたしの家にも、市の職員を名乗る人物がやって来た。一通り家屋の利用状況を確認した後、使われてない部屋が一つあるので、間借りさせるよう提言された。


 その頃のわたしは特に経済的に困窮しているということもなかったので、最初は断った。

 断ったが、引き下がられた。

 まぁそう言わずに。そこを何とか。お願いしますよ。今日中に一件契約取れないと上司がですね――


 最終的に、部屋の貸し出しが決定された。

 サインした書類を渡すと、市の職員は満面の笑みでそれを受け取った。

 賃借人が決まったら連絡しますので、と告げて去っていった。

 職員が帰ったあと、わたしは本当にこれで良かったのかなと思った。

 少し考えた後、とりあえず誰かを笑顔にしたのだから良いことだったのだろうと解釈することにした。


 それから何日かして、賃借人が決まったという連絡があった。

 これから連れていきますと言われた。一時間ほどして、市の職員が賃借人を連れてやって来た。


 その賃借人というのが、ドラゴンだった。





                 ◆◇◆





 ごく一般的なドラゴンだった。

 鱗に覆われた、爬虫類的な姿をしていた。

 顔は蛇のような蜥蜴のような形状で、頭部には角が生えていた。背中には翼があり、二足歩行だった。


 小脇に米袋ほどの大きさの木箱を抱えていた。

 アンティーク風のデザインで、金属のビスがそこかしこに打ち込まれている。

 物々しい大型の錠前で蓋が閉じられていた。


 それ以外に荷物らしい荷物はなかった。


 市の職員はわたしとドラゴンを引き合わせると、「では後はよろしく」と言って早々に退出していった。


 わたしとドラゴンは二人きりで部屋に残された。


 とりあえず挨拶をした。はじめまして、お名前は?


「あー、それがですね」ドラゴンは言った「自分、固有の名前がまだないんスよ」


「と言いますと?」


「オレたちってなんかこう、伝説残さないと固有の名前ってつかないんスよ」ドラゴンは言った。「オレ、まだドラゴンとしちゃ駆け出しで」


 わたしは「はあ」と言った。


「名もなきドラゴンのままでいいって奴も地元じゃいっぱいいるんすけど、オレとしちゃやっぱ、ドラゴンに生まれたからには伝説作りたいってのがあって、それで山から降りてきたんスけど、やっぱなかなか部屋貸してくれるとこがなくて、どうすっかなーってとこだったんスよね。そしたらここがオッケーだって言われて」


 わたしは契約書にサインする時、『賃借人の条件』という項目で『特になし』にチェックを入れたことを思い出した。


「いやマジで助かりましたよホント。これからよろしくっス!」


 ともかくこのようにして、わたしとドラゴンの共同生活は始まった。






                 ◆◇◆




 共同生活と言っても、実際のところわたしとドラゴンが日々の生活の中で接点を持つことは殆どなかった。


 家にいるとき、ドラゴンは貸し与えられた自室から殆ど出てくることがなかった。何日間も閉じこもりきりになることもよくあった。時折ふらっと出掛けていって、一度出かけると今度は何日も戻らないことがざらにあった。居間と台所は自由に使っていいと伝えていたが、食事はいつも、外で済ませてきているようだった。出かける時、ドラゴンはいつも、あの木箱を持って出ていった。恐らくあの木箱の中に、ドラゴンの所収する全ての財産が入っているのだろう。どうやって生計を立てていたのかは謎だった。それでも家賃は毎月きちんと支払われ続けた。


 そんなある日の、ある夜だった。


 わたしは深夜になっても一向に寝付くことが出来ず、寝室から出て、居間でハーブティーを飲んでいた。リラックス効果があり、睡眠導入が期待できるという触れ込みの品だった。

 わたしが三杯目を飲み干して四杯目を入れようかどうか迷っている時、ドラゴンがそっと玄関を開けて帰宅した。2日ぶりの帰宅だった。

 いつもなら、ドラゴンは帰ってくると「うっす」と一言だけ挨拶して自室に直行するのが常だった。ただ、その日は「ういっす」と言った後、自室ではなく今の方にやって来た。わたしの座る席の対面に、ドラゴンは腰掛けた。見たところ、酒が入っているようだった。


 そこから、どちらともなく会話が始まった。


 今となっては、どんなことを話したのかもよく覚えていない。大半の部分は、他愛もない雑談だったように記憶している。覚えているのは、ドラゴンが自分の将来の夢について語ったときのことだ。



「オレねぇ、何かの『象徴』になりたいんスよね」


「と言いますと?」


「いや、やっぱぁ、ドラゴンに生まれたからには何かの象徴になってこそってのあるじゃないスか」


「例えばどういったことのです?」


「例えばほら、水害とか、疫病とか」ドラゴンは言った「あーでも一番はやっぱ『破壊』とか『憤怒』みたいな概念の象徴になることスかねぇ」


「なるほど」わたしは言った。「確かにドラゴンっぽいですね」


「まーでもオレみたいなのにはそこまでは高望みしすぎスかね~」


「いやいやそんな」わたしは言った。「なれますよ、きっと。何かしらの象徴に」






                 ◆◇◆





 ドラゴンがわたしの家に間借りするようになってから、5ヶ月か6ヶ月ほど経った頃だったと思う。


 わたしが、夕食後の食器を洗っている時、玄関をノックする音が聞こえた。


 わたしは、うっかり合鍵を自室に置き忘れたまま出ていったドラゴンが帰宅した知らせかなと思った。以前にも、同様のことが2度ほどあった。


 わたしは玄関に行ってドアを開けた。


 見知らぬ男がそこに立っていた。


 男は警察手帳をわたしに見せながら「一緒に来てもらえますか?」と言った。





                 ◆◇◆




 現場の様子は凄惨な有様だった。


 所々に血が飛び散っていた。粘つく赤色が、ライトの光を反射して鈍く輝いていた。。まだ真新しい、鉄の匂いがした。


 わたしは警官に促されて死体の顔を確認した。


「はい」わたしは言った。「わたしの家に間借りしていた賃借人で、間違いないと思います」


 死因については、直接的な原因ははっきりしなかった。

 全身が大型の刃物でめった切りにされていて、どの傷が致命傷なのかを判別することは困難だった。失血死というのが妥当な線ではないかと、警官たちは話していた。わたしは木箱のことを話した。あのドラゴンが常に持ち歩いていたもの。現場には、残されていなかった。「じゃあ強盗目的ですかね」と、警官の一人が言った。





                 ◆◇◆




 翌日の昼頃、市の職員を名乗る人物がやって来た。当初の契約に従い、賃借人が契約期間中に死亡した場合の取り決めを云々とか、そういった話をしていたと思う。書面上の手続きが終わった後、「次の賃借人が決まったらまた連絡します」と言って、どこかに消えていった。


 しかし、結局次の賃借人がやってくることはなかった。


 ちょうどこの翌日だった。

 この政策を推し進めていた市議会の議員が、汚職だか横領だかの容疑で逮捕された。

 細かいことはもうよく覚えていないのだが、民家の間借りビジネスには不透明な金銭の流れがそこかしこに見られていたとか、田舎から出てきた者を不法な労働に斡旋していたとか、反社会勢力への人材流入がなんとかかんとかで、ともかくこの一件によって政策自体が打ち切られることになった。



 あのドラゴンが住んでいた部屋は、今でも空き部屋のままになっている。





                 ◆◇◆




 街を歩いていると、様々なところでドラゴンの肖像を目にする。


 絵本の表紙、ファンタジー小説の表紙、CDのジャケット、Tシャツの柄、キーホルダーやシルバーのアクセサリーが模した形状。


 それらを目にする度、わたしが思い出すのは一体のドラゴンだ。


 僅かな間だが共に暮らした、固有の名前を持たない、固有のドラゴン。




 どこかでドラゴンという概念に触れるたび、あのドラゴンのことをわたしは思い出している。

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