58日目 『発言権』


 一人の男が、わたしの目の前に落ちてくる。


 場所は駅近くの大通り、著名なシティホテルの真ん前の位置。


 わたしは落ちてきた男に駆け寄って声を掛ける。しっかりしてください。意識はありますか?


 男は言葉にならない呻きを漏らす。わたしは男の頭部に顔を近づける。大量の出血。鉄の匂い。今にも息絶えそうな中で、男はわたしの耳に口を近づけてこう告げる。



 ……妻が俺を殺した……



 そこで男は力尽きる。同時に、その生命も。





                 ◆◇◆




 それからわたしは警察に呼び出される。


 あなたが第一発見者ということになりますので。警察は言う。事情聴取を受けて貰う必要があります。形式的なものです。そう時間は取らせませんので。


 わたしは警察署に出向く。待合室で待機するよう命じられる。そこからいつまで経っても、事情聴取とやらが始まらない。わたしは近くを通りがかった職員に訊ねる。あの、事情聴取っていつ始まるんですか? 職員は答える。もうしばらくお待ち下さい。我々も色々と忙しいんです。他にもやることが沢山あるんです。


 わたしは言われたとおりしばらく待つ。そこに、見知らぬ女性が話しかけてくる。死んだ男の妻だと、その女性は語る。


 ――この度はどうも。

 ――これはこれは。ご愁傷様です。


 形式的な挨拶をやり取りした後、女性が不意に言う。


 ――あの人、最後に何か言い残していましたか?


 わたしは答える。


 ――ええ、“妻が俺を殺した”と言ってましたよ。


 ええっ! と女性が急に素っ頓狂に声を荒立てる。


 ――そんな、わたし、やっていません。


 ――でもあの人は最後にそう言ってましたよ。


 ――聞き間違いじゃないですか?


 ――いやあ、確かにそう言ってたはずですが。


 女性は腕を組んで、何か難しい表情で考え込むような様子を見せる。それから少しして、このようなことをわたしに告げる。


 ――それって、“妻が俺を殺したのではない”と言おうとしてたんじゃないですか?


 わたしは言う。いや、それは、どうなんでしょう。


 ――でも、その可能性はありますよね?


 わたしは言う。まあ、可能性はありますね。





                 ◆◇◆




 女性が去った後、今度は見知らぬ男性がわたしに話しかけてくる。

 すいませんちょっといいですか。男性は言う。新聞記者だと、そう名乗ってくる。


 ――あの方の死ぬ直前に話をされたと聞きましたが。


 ――そうですね。


 ――聞くところによると、あの方は亡くなる直前に“妻が俺を殺したのではない”と言ったそうですね。


 ――いや、正確にはちょっと違うんですが。


 男性は言う。ちょっと違う? では、大部分は合ってるということですか?

 わたしは言う。いや、結構違ってます。

 男性は言う。では半分くらいは合ってるということでいいですか?

 わたしは言う。いや、半分と言われましても。

 男性は言う。文字数で換算したらどうなります?

 わたしは言う。文字数で換算すれば半分以上は合ってます。

 男性は言う。わかりました。ありがとうございます。




                 ◆◇◆




 それからようやく事情聴取が行われる。

 警官がわたしに訊ねる。


 ――被害者は最後に何と言っていましたか?


 ――“妻が俺を殺した”と言っていました。


 ――その後に続く言葉は?


 ――ありませんでした。


 ――その後に続く言葉があったかもしれないとは思いますか?


 ――あったかもしれないと言われると、まあ、あったかもしれないですね。


 ――ご協力ありがとうございました。





                 ◆◇◆



 その夜、テレビのニュースでその事件が取り沙汰される。


 わたしは知らなかったが、死亡した男は財界では有名な資産家だったらしい。

 死亡直前、男はつい先日結婚したばかりの妻と二人でホテルの最上階の一室に宿泊していた。室内には二人きりだった。鑑識によると、男の着ていた上着の背面には、妻の手の跡が両手分はっきりと付いていた。背後から突き飛ばした際に付いた可能性が疑われるものだった。男の死によって、莫大な遺産が妻に相続されることになる。動機も充分。状況証拠は一通り揃っている。ですが、とニュースキャスターが言う。


 ――ですが、氏は亡くなる直前に“妻が俺を殺したのではない”と発言していたということです。


 それからその男の妻、わたしがあのとき話した女性の映像が映し出される。何本ものマイクを向けられて、女性は涙ながらに語り出す。


 ――自分が死んだら、妻であるわたしが真っ先に疑われる。主人は死の間際にそう考えて、わたしを庇ってくれたんだと思います。


 コメンテーターたちは、口々に死亡した男への称賛の声を上げる。自分が死のうとしている中で、最後まで奥さんのことを案じていた、素晴らしい人物だ。これこそが夫婦愛だ。


 それから、警察がこの件を事故の線で捜査する方針であるという発表がなされ、話題は次に移る。



 ――この度、動物園でパンダの赤ちゃんが――





                 ◆◇◆




 それからしばらくして。


 わたしがテレビを見ていると、あの女性が出演者席の一角に座っているのに気づいた。


 特に珍しいことではなかった。


 あの女性は、あれからすっかり有名人になっていた。

 例の事件んぼ直後に出版された彼女の自伝はベストセラーになった。様々な報道番組やバラエティ番組にゲストとして駆り出された。彼女は非常に口が達者で、いかなる状況でも当意即妙な受け答えを見せた。


 そのとき彼女が出演していたのは、討論番組だった。戦時中、どこどこの国が何とかという都市の市民を虐殺したという事件が、実際にあったのか、なかったのかという問題について論じていた。


 ――じゃあ、誰か意見のある人は?


 そう司会者が言う。

 出演者の内、何人かが挙手をする。

 司会者が、その中から一人を指名する。


 そうして、あの女性に発言権が与えられる。

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