77日目 『濃霧の有無』


 雑貨店で買い物をした帰りに、わたしは濃霧に遭遇する。


 出入り口の間近に来たところで、わたしは初めてそれに気づく。


 外に濃い霧が立ち込めている。


 数十センチ先すら見通せないほどの濃い霧が。


 わたしは首を傾げる。


 一体いつの間に、このような霧が出てきたのだろう。


 家を出て、店に来るまでは、霧など出ていなかったのに。


 他の客たちも、同様に首を傾げている。


 ――ちょっと、いつからこんな霧が出てたの?


 ――天気予報じゃ、霧なんて言ってなかったのに。


 多くの客が、出入り口の間近で足を止め、愚痴をこぼす。


 退店しようとしていた人たちが店内に引き返していく。


 わたしもその流れに混ざって引き返す。


 店内の一角に、購入済みの商品を抱えた人間の一団が出来上がる。


 ――やあねぇ、ホント。


 ――いつ晴れるのかしら。


 そこに、今しがた買い物を終えたばかりの男性がやってくる。


 ――皆さんは何故ここに固まってるんですか?


 男性が怪訝な顔で訊ねてくる。


 ――霧が出たせいで帰れなくなったんですよ。


 一団のひとりがそう答え、窓の外を見るように促すジェズチャーをする。


 男性は窓の外に一瞬視線を向けて、こう言う。


 ――霧なんて、出てないじゃないですか。


 一団の間に流れていた空気が一変する。


 最初は困惑。それに続いて緊張した空気が一団の中に生じる。


 もしかして、この男性は何かおかしいのでは?


 おかしな人間と関わってしまったのではないか?


 しかし、男性はあくまで平然とした態度を崩さない。


 堂々とした態度には、自信と威厳すら感じさせる。


 ――霧なんて、出ていませんよ。皆さんしっかりして下さい。僕は帰りますよ。


 男性はそう言って、平然と出入り口から外に出ていく。


 すぐにその姿は霧の中に埋もれて見えなくなる。


 残された一団はざわつき始める。


 ――何だったんだ? あの人。


 ――ちょっとおかしい人だったんじゃない?


 ――でも話し方とかはまともそうだったしな……


 その内に段々と、このようなことを言う人が現れ始める。


 ――なんか、霧なんて出てないような気がしてきたな。


 他の人もそれに続く。


 ――あれ、よく見ると霧なんてなくないか?


 ――あ、ほんとだ。霧なんて出てないな。


 ――俺たち何やってたんだろうな。


 ――早く帰ろうぜ。


 店の一角に溜まっていた一団は続々と出入り口をくぐって外に出ていく。


 そしてその姿は濃い霧の中に入ってすぐに見えなくなっていく。


 そうして、その一角に残ったのは二人だけになる。


 わたしと、もうひとり見知らぬ老人がひとり。


 老人が言う。


 ――あんたは行かないのか?


 わたしは答える。


 ――だって、霧が出てるじゃないですか。


 老人は頷く。


 ――その通りだな。


 それからしばらくの間、無言の時間が続く。


 わたしは購入していた針金を曲げたり伸ばしたりして手慰みをしながら時間をつぶす。


 老人はただじっとしている。


 それからしばらくして、ようやく窓の外で、霧が晴れていく。


 遠くの景色がはっきりと見て取れるようになる。


 わたしは針金をしまって出入り口に向かおうとする。


 老人が言う。


 ――あんた、どうしたんだ?


 わたしは言う。


 ――いや、家に帰るんですが。


 老人は首を傾げる。


 ――まだあんなに濃い霧が出ているのにか?


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