52日目 『耳を求めて』


 わたしの家に、見知らぬ男が訪ねてくる。


 耳をくれ、と男は言う。

 わたしに銃を突きつけながら、男は言う。

 耳をくれ。

 アンタの耳を、俺にくれ。


 わたしは男の顔を見る。

 その頭部には右と左に、ちゃんと一つずつ耳が付属している。

 ちゃんと付いているじゃないですか、とわたしは言う。

 耳なんて、二つあればいいでしょう。二つで充分ですよ。


 俺の耳はもう駄目なんだ、と男は言う。

 もう汚れちまって駄目なんだ。


 わたしは耳かきとウェットティッシュを用意すると告げるが、男はいい顔をしない。


 そういうことじゃない、と男は言う。

 俺の耳はもう長いこと、汚い言葉ばかり聞かされて、それで駄目になっちまったんだ。


 汚い言葉って何です? とわたしは言う。

 ○○○○とかですか? 

 具体例を提示して、わたしは訊ねる。

 ××とかですか? それとも△△△とか?


 そういうんじゃない、と男は言う。

 あれだよ、馬鹿とか、阿呆とか、のろまとか、役立たずとか、そういうのだ。

 そういうことばっかり聞かされてきたんだ、俺の耳は。


 もう嫌になったんだよ、と男は言う。

 だから代わりに、アンタの耳を俺にくれ。



 その手の言葉なら、とわたしは言う。

 わたしだって、これまで散々言われてきましたよ。



 わたしはそう伝えたが、男は納得しない。


 そんなわけない、と男は言う。

 だってアンタはこんな立派な家に住んでるじゃないか。

 こんな家に住んでるヤツは、馬鹿にされたりしないに決まってる。



 わたしは自分の半生をかいつまんで要約し、男に語って聞かせる。


 それでも男は納得しない。

 そんなのは全然だ、と男は言う。

 俺の人生のほうがずっとひどい。



 じゃあ教えてください、とわたしは言う。

 あなたの人生は、どのようなものだったんです?



 そこで男は、口を閉ざしてしまう。



 どうしたんです? とわたしは言う。話せないんですか?



 ちょっと待ってくれ、と男は言う。話をまとめるのに時間がかかる。



 わたしは言われたとおり待ち続ける。


 しばらくして、男がぽつりぽつりと語り始める。



 まず俺がガキの頃に――



 男の話は驚くほどたどたどしく、まとまりに欠け、要領を得ない。

 このような形で、自分の人生を語ったことなど、恐らくは一度もないのだろうということが、その話しぶりから伺い知れる。

 それでも理解できるのは、男が長い間、必死で孤独と苦痛に耐えてきたという、その一点だった。



 話し始めてからしばらくして、男の目から涙が零れる。


 理由?


 わたしにはわからない。

 辛い反省を回想することで悲壮な気分になったのか、あるいは思うように上手く話すことが出来ないことがもどかしいのか。


 わたしは男に訊ねる。

 どうして泣いているんですか?


 男は答える。

 俺にもわかんねえよ。


 わたしは男を玄関先から家の中に上げる。

 居間に通してソファに座らせる。

 しばらくの間、男は泣き続ける。


 ゆっくりでいいですよ、とわたしは言う。

 話せるようになったら話してください。


 それからしばらくして、男は話を再開する。

 男の話は、相変わらずたどたどしく、まとまりに欠け、まるで要領を得ない。

 それでも男は話し続ける。

 ときおり涙声が混じり、ときおり休止時間が入るが、それでも男は話を続ける。




 長い時間。




 わたしはそれを聞き続ける。

 長い時間、その男のためだけに、わたしの耳は使用される。






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