10000PV記念の感謝書き(という名の手抜き)

 なんだかんだで続けてきた紹介させてくださいはいぱぁ〜。


 10000PVを達成致しました。


 なんかこう、本当にありがとうございます!


 なんだかんだでやはりPVが増えていくのは嬉しいものでして、見て頂けるからこそがんばれるんだなーと思います。


 一人だけで何かやっても限界があり、やはり人の力って大切だと感じます。

 誰かのためになんてことは言えませんが、自分のために誰かがいることって本当に大切なんです。


 まあ正直、小説で達成したかったという思いはありますけどね!(マジトーン)


 その目標はいずれ、やり続ければいつかきっと……多分達成できることと信じましょう(段々と弱気)


 これだけ見ていただいているのに、小説を書いていてちょっと停滞していることを申し訳なく思います。本末転倒感ありますけど、やっぱりどっちかに集中しないと進まないので、終わるまではこちらをがんばります。


 それでさすがに今日はなんか更新しようと思い、まだ読み終えていないのでお茶を濁すことにしました←言わなきゃいいのに。


 いや、大丈夫です駆け足気味ではありますが読んでます。明日には感想を書きます。


 まあそんなわけで今回は感謝をテーマに










 やーりません!←久々に殴るチャンスですよ。







 終わり目前にして箸休めです。


 企画にすら関係ない、思っていることをとりあえず書きます。


 様々な媒体で物語は表現されていますが、今すげえおもしろいって思っているものがあります。


『ヒナまつり』ってアニメがすげえ面白いんです。


 金を稼ぐことに命を燃やすインテリヤクザの新田のところに、楕円形の箱に入った少女がなんの前触れもなく現れます。


 少女はどうやら未来からやってきたみたいで、いわゆる超能力が使えます。手を触れずにものを動かす能力をつかっているので、いわゆるテレキネシスというやつですかね。


 テレキネシスを使える少女が、極普通の現代に現れたのですから、それはもう無敵です。未来の世界では殺戮の道具として使われていたことが伺えます。


 そんな少女ヒナに脅されて、新田とヒナとの奇妙な共同生活が始まります。





 この物語を見ていて思ったことがですね








 面白い物語って、設定の時点ですでに面白いんだなーということです。


 物語ってもちろんテンプレとなる型があって、色々な要素を組み合わせて表現していくいていくものですが、


 その中身に触れる前段階、設定だったり表紙的な時点で面白い物語って、やっぱり当たる可能性はたかいんだなあというのが私の感想でした。


 ヤクザと超能力少女ってなんだよと。どんな物語になるんだよ。もうその時点でツッコまされたら負けたようなもんです。


 で、設定やタイトルだけが面白くても、中身が伴っていなきゃ意味がない、という最もな意見も出ることでしょう。


 それはそのとおりだと思います。


 でもですよ、この物語過多の時代で、最初の入り口で興味をそそらせる力。それだけで最初の振るいで生き残っていると思うのです。そこにかからないともう見向きもされないのが実情です。


 でも、堅実に続けていることで、後から見直されて評価されるパターンもあるでしょう。それもごもっともです。


 ただそういった意見について思うことが、どうして奇跡にも近い例外のようなものを引き合いに出すのか、ということです。


 大体の世に出ているものって、初めから輝く何かを持っているように思います。


 まあもちろん、世に出すことを目標としない、趣味の範囲のものについてとやかく言う気はありません。趣味で小説を書くなんて、素晴らしいです。


 この考えに至った時、私は反省しました。反省の虫です。具体的にいうと反省のせみです←鳴いて死ぬ。


 なんで反省したかというと、自分の物語を例に出しますと、読んで頂いたことでタイトルの意味に通じたりとか、魅せたい部分を漠然としか表現しなかったことです。ウリの部分を隠して、もし触れて頂いた時に何かがわかった時に効果を発揮する可能性のあることを意識していたように思います。これもまた手法ですし、別に悪いことじゃないんですが、そもそも読んでもらいたいという目標にはそぐわないのかなあと感じました。まず読んでもらう気になってもらわなきゃいけない。そういった努力を怠っていたようにも感じました。





 ヒナまつりのダイマとして(隠さない)、表現が天才的だと感じた部分は、痛々しいシーンの表現についてが一つです。


 超能力を使って他人を傷つけたりやっつけるシーンがあります。当然本来な怪我をしたり血も出たり、下手すりゃ死人も出て、とても重苦しいシーンとなるはずです。


 でもですね、面白い部分があって、ふっとばされたりボコられたりした人には共通しているセリフがあります。


 どれだけボコボコにされても、「あいったー」しか言わないのです。


 ヤクザの親分も、暴走族も、一般人ですら痛い目にあっても「あいったー」とふざけたことしか言わないのです。

 凄惨で痛々しい暴力シーンを、すべて「痛い」だけで済ましているのです。本来あるであろう細かい怪我とか血が出たりとかの表現を、そのセリフ一つで緩和しているのです。あくまでギャグが主体の物語なので、そういった嫌悪感を催すシーンを軽い感じで見せているのです。


 これってものすごく画期的な表現だと思いました。これだけで笑えますもん。原作でもこうなのかはわかりませんが、今度買ってみて確かめようと思います。


 もう一つ似たような例を出します。


 アニメ斎木楠雄のΨ難において、完璧美少女の照橋さんというキャラがいます。


 彼女は神に愛された設定上は完璧な美少女です。老若男女問わずに魅了するといった、ある意味チートキャラです。サキュバスとインキュバスが合体したような感じです。無敵かよ。


 で、そんな照橋さんに魅了された人々は、みんな同じリアクションをします。






「おっふ」って言います。







 マジです。


 照橋さんの美少女オーラにあてられたことで、通常の精神が耐えきれず、人はおふるのです。


 たった一言で照橋さんの魅力を説明できる(説明はできてない)、「おっふ」という言葉のインパクト。


 力のある物語には、こういった象徴づける一言といった工夫があることもあると思います。


「あいったー」には残酷なシーンをギャグに変えるという意図が込められています。


「おっふ」には照橋さんというキャラクターを印象付ける効果を発揮しています。


 なんにせよ、なんらかの意図を込めた工夫の力はすごいのです。












 それで、企画の終了ぐらいに、今回ご参加頂いた物語の中で、良いところが際立っていたと感じた物語については改めて語りたいと思います。


 なのでその試みは後の楽しみにとっておくとして、今回はカクヨム内ですでに際立ってるなあと思うものをまた勝手に取り上げたいと思います。


 ちなみに、大体読んだことないです(オイ)


 何がしたいのかというと、読んだことないにも関わらず、すでにすげえと思わされているところに注目したいのです。


 読んだことないので、内容やタイトルすらうろ覚えでいきますが、そういった緩さをウリにします。余興ですし。



 一つめ。タイトルすらうろ覚えなのですが『屋上は今日も閉鎖されている』みたいなタイトルで、ジャンルはラブコメか現代ドラマだったと思います。


 まずタイトルを見て、どういうこと? って疑問を抱き、キャッチフレーズも見ます。


 たしか『ハーレムを作ろう。そう言ったのは彼女だった』みたいな感じです。


 ラブコメにおいて、学校の屋上はなぜか開かれているものですが、そういった物語上のお約束を現実的な形に落とし込もうとした意図を感じました。


 そしてキャッチフレーズの見事さ。ハーレムを夢見るのは男性の性ですが、どういう理由かわかりませんが、女性の方からハーレムを認めようとしているということなのでしょう。普通は嫌悪感を抱くような展開のはずですが、どうしてそんなことをするんだろうと疑問がわいてきます。率直に気になってしまうのです。


 タイトルではお約束を否定しつつ、キャッチフレーズでは気になる謎を残す、入り口としては見事だと思いました。



 二つめ。これも読んでいないのですが、『横浜駅SF』。


 横浜駅という、誰しもが知っているものを提示しながら、SFってなんなのでしょうか。あらすじすら知りませんが、たった5文字のタイトルで疑問を抱かせるタイトル、秀逸ですね。


 意味深なタイトルって、塩梅がとても難しい。わけわからなすぎると読んでもらえないからです。


 わかるものの中にわからないものも混ぜ込む。シンプルにして芸術的です。




 三つめ。例のごとく読んでいないのですが、『限界集落オブザデッド』。


 むしろ作者名が気になりました。ロッキン神経痛ってなんだ。マキシマムザホルモンのファンなのでしょうか? それともそういった単語があるのでしょうか。


 まあ特徴的な名前はともかく、限界集落でジジババが暴れる話っぽいですが、限界集落という舞台、老人が主役という斬新さを面白そうだと感じました。




 四つめ。読んでないのに好き勝手いうシリーズ。『偏差値10の俺が異世界で知恵の賢者になれたわけ』。


 正直こういったタイトルは好きではないきらい♡ですが、それでも気になったので負けです。


 そもそも偏差値10ってなんだということと、そんだけバカなら小説を紡ぐことすら難しそうだとすら思ってしまいますが、タイトルの時点で内容がわかりやすい上に、真反対の要素が疑問を誘います。


 バカなのに賢者。文明レベルの差だとか、魔法が発達しすぎて科学的な視点がないからすごく見えるとか、おそらくそういった設定なのかもしれませんが、今のトレンドなんだろうなあと納得はさせられます。




 五つめ。自分でもいつまで続けるんだと思います。『彼女が好きなのはホモであって僕ではない』


 タイトルですでに切ねえ。いわゆる腐女子に恋しちゃった男の子の話なんだろうと思いますが、タイトルで物語の方向性を定めた上に、恋愛だったとしたら叶えることが難しいことを予測させる表現。これは気になります。



 六つめ。タイトル全振りシリーズ(失礼)。『父さんな、デスゲーム運営で食ってるんだ』


 自分の父親がデスゲーム運営側で携わってたら、人格歪みそう。デスゲームという一定の人気ジャンルを別視点で描いた物語だと思います。タイトルは軽めなので、運営とはいえ細かな気遣いの部分や、舞台設置に係る苦労なんかをおもしろおかしく語るのでしょうか。それともガチ目にクズなやつなのでしょうか。気になります。




 七つめ。キリがいいのでこれで最後にします。日本人は7という数字が大好きです。777なら大抵はビッグボーナスですし、7777ならウェスカーモードです(バイオハザード)。


『ワキヤくんの主役理論』


 この物語だけは一巻分は読みました。物語の主役になるためにどういったことをすればいいかということをまとめ上げた主役理論に基づいて、人生という物語を楽しむ主役を目指す物語だったと思います。


 脇役人生を歩んできた主人公を名前でわかりやすく表しています。で、この物語の面白いところは、ワキヤくんと対比する人物がいることです。


 物語のヒロインという位置付けでいいんだと思いますが、とある理由から目立たない脇役に徹したいと考える同級生の少女(名前を忘れた……)。ワキヤくんの主役理論とは真逆をいく存在です。


 ひょんなことから、そんな二人が同居を始めて、お互いの主張のどちらが正しいのかを競い合うという構図です。

 物語を際立たせる基本である対比構造ですが、こういった対比は今までに知っている限りではなくて、とても新鮮に映りました。ヒロインのゆるい感じがとても好きでした←でもコイツ名前を忘れてる。







 好みのジャンルが偏っているのはご愛嬌ということにしてほしいのですが、やはり一際輝く物語に見られる要素は共通のものがいくつかありますね。

 タイトルの時点でかきたてられる疑問、内容の示唆、知っているけど新鮮な要素。対比構造などなど。少なくとも、タイトルが既に見ているものの興味を引ける力を感じるのです。作者しかわからない要素を散りばめたタイトルでも名作は当然ありますが、今の時代はなんらかのわかりやすさと疑問という要素が引きつける力があるのではないかと感じました。


 ほぼ書籍化作品ばかりをあげましたが、書籍化されるにはそれなりの理由があるんだなあと、とても勉強になりました。












 あれ、オチがないぞ……。





 えっと。





 ええーと。













 あいったー←オチてない














(この記事書くのに一時間半くらいかかってるから全然箸休めてないんだよなあ)

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