神がはじまり、終わる場所 しちみ様
ブラックガムの消費が止まらない。
なにか不満を噛むことで解消するかのごとく、味が無くなっても噛み砕いてしまう。
わかってるわかってるよ。
そろそろ病んでるというか、やさぐれてきた感が。
この状況は、どんどんと視野狭窄に陥り、自殺へと至る人の心境に似ている。
やらなければいけないという選択肢のみに囚われる。とどのつまり病的な状況というのは、自身の行動を極端に縛っている、自由がない状態なのだ。
ああこれはえむとか言われるわ。
精神は耐えきるのか、もしくは全てが切れてしまうほうが先なのか、乞うご期待。
まあでも、大抵の場合、
こんなことを自分で言えている間はえてして大丈夫なのである。
本当にやばい人は沈黙する。だって自殺する人は自殺を止められたくないから黙るのである。これ豆知識←知りたくなかった豆知識。
遠藤です。
神がはじまり、終わる場所 しちみ様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884550303
くじは普通。
少年キリクは、皇国を守る軍隊に入団し修行の日々を送っていた。
氷の女王と称される上官、赤毛の少年らと平穏な日常を享受していた。
この世界を象徴する二大神姉妹。ラフィアとセルフィラ。
人類に対し自由で不干渉を貫くラフィア。
人類は時に間違いを犯す存在として、管理するべきだと主張するセルフィラ。
対立のもとに起こった宗教戦争は、ラフィア派の勝利に終わった。
しかし、宗教戦争は完全に火種が消されたわけではなく、未だに燻っている残熱があった。
前回参加いただいた上に、紹介文まで作成させていただいているので、変な信頼感があります。
今日は疲れているのか思考がカオスなのかわかりませんが、変な甘え方をしますぞ。いいですね?←拒否権とは
しちみ様ほんと好きです。特に名前の打ちやすさ。ねる様とかも最高でした。
それはそれとして文章がとても読みやすいだけで泣きそうです。
もう企画も終盤だから言いますけど、やたら難しい言葉を使えば素晴らしい文章なのかと言うとそうじゃないですからね。その言葉にそれだけ読ませる力があればいいですけど、大抵は読む気が失せますからね。
もう文脈とか言葉の使い方が変だったりする時の気持ちですよ。文を読むのにどうして読者がストレスを感じなければいけないのか。というかストレスを感じてしまったら大抵読むのはやめるっての。企画と自分に課したルールに則って読んでいるのだから文句は言えないですけど言います←矛盾、もしくはペ・ヨンジュン
見た目がぐちゃぐちゃなケーキは食べたくないという心境でしょうか。人は見た目が9割という本が大ヒットしましたが、小説にとっての見た目は文章でしょう。
「人は見た目じゃない中身だ」という意見は一見正論っぽいことですが。中身が伴っている人は、大抵の場合は適切に見た目だって気を使えるのですよ。見た目を整えることって、それだけで他者に対する、場に対する配慮なのですから。ああなんかやさぐれているからすごい敵を作っている気がする。
まあ今日の今までの分は遠藤暴祐という別人格が書いていました。
今、体の主導権取り戻したんで、お騒がせ致しました。
すごいですね、文章の好みに合致しているのか、ただ一点を除いて一切ストレスないです。
主人公キリクは教会の生まれでして、教会の狭い世界で生きていくことに嫌気がさして軍に入るのですが、軍での出会いが過去とつながる場面があって、こういった伏線を回収する展開はとても好きです。
神同士の対立、宗教戦争など突き詰めれば小難しそうな内容であるはずですが、割とライトに読めます。
今の心持ち的にはこのぐらいの温度がとても好きです。
悲劇を背負っているけど優しい展開、適度に鬼気迫る戦闘。そして全編通して見ると、実は世界的に展開されていた物語の中心ってとあるキャラなんですよね。
印象としては、世界を物語と見た場合は、サイドストーリー的な印象なんですよね。本編語らずにサイドのみ語るみたいな少し違った角度、とても好みでした。
変に雰囲気が重厚になりすぎず、終始明るめなテンションで展開されるところに、とても癒されました。
この物語も11万字くらいの長編なのですが、この話に至ってはボリュームがもうちょっと欲しいです。
宗教戦争が物語の要素なのですが、宗教の明確な教えの差異などには最低限しか触れていない印象です。もうちょっとそこんところを詳しく聞きたいです。
もうちょっとこの物語に対する理解を深めて世界観に浸りたかったです。
で、文章には全く問題はないのですが、それでもなんだか変なところで細かい私は共感を得られなかろうが気になった部分がありました。
もしかしたら今まで気になってなかったのに今更かよと思われるかもですが、人なんて常に思考や情報の中で揺らいでいるのです。ぶっちゃけ今日の私と明日の私が、物語に対して全く違う感想を抱くことなんて大いにあり得るのです。
私の印象であり、なんかどっか他のところで言ったことがあるような気がしますが、言葉って劣化するものだとおもいます。使えば使うほど言葉だって刃こぼれをおこして、どんどん錆びついていくと思います。
今回気になったのは、キャラクターの特徴に関する記述です。
はしばみ色の瞳。
あまり聞かない色の表現なので、これは紛れもなく武器というか鮮烈な特徴です。
でも割と物語内で強調するようにこの言葉が使われるんですよね。
で、これは正直前回の感想文では書かなかったのですが同じようなことが気になってました。ただ単に前回は書かなかっただけなのです。
特徴部分を強調されすぎてて、後半にはなんだか陳腐化してしまったように勝手に感じてしまいました。
小説が生み出されてから、今までの文豪たちはとても優れた表現を多々生み出してきました。それは現在まで使用されるくらいにとても印象的で素晴らしいものでしょう。
だからその特徴的な表現が使われすぎていると気になるんですよ。エヴ◯に頼りすぎと言った時同様に、この表現を見るの何度目だろうと思いました。そりゃこんだけ短時間で色んなものを読み漁ったからこその感想です。極めて特殊な状況下における感想なので、参考にはならないと思いますが言わせてください。
みんなが使う特に気になった表現を2つあげます。
1、夜の帳がおりる。
物語内で複数回使われると、帳何枚あるねーーーーーーーーん!とツッコンでたりします。
特にかっこよく物語を決めようとしている時、この表現をよく見かけました。
いや別にいいんですけどみんあ夜の帳好きすぎ!
2、的を射る
これは私も使ってましたけど使いすぎると気になるううううう。
というか何より気になるのは、この表現を使う方の3割くらい間違ってます。
的を得るって。
的を得るってどんな状況やねん。どうして的を射るが正解かというと、そもそも的ってなんのためにあるのかって話ですよ。例えば矢を射る対象でしょ? だから的は得るものじゃなくて射るものなんですよ。いや、的を購入する時は的を得るで合ってるでしょうけど。
でもつくづく思うのは、これだけ発展してきた日本語は合理的なのです。さまざまなマナーも、窮屈に見えて動きとしてはとても合理的だからルールがあるのです。
何はともあれ、力がある言葉ほど使いすぎると勿体ないというのが個人的な美学かもしれないです。
決め台詞はカッコつく場面で言うからカッコいいんだと思います。
でも普通にすらすらと読めて内容も入って過去からの繋がりに少し驚いてちょっと感動しました。普通にいい物語だと思います。
それでも最高評価にしなかったのは、もう少し見たかったからです。まだまだ語れそうな場面が一杯ありそうなので、とても惜しいです!
やはり基本的な好みは合致していると感じるので、おそらくまたお邪魔させて頂くと思います。ありがとうございました。
6782000
全く暴祐くんには困りますわね。あっ、人格はおそらく十面相くらいです。同じ男に恋をしちゃうかもです。
お届けしますっ!! AZot商会 世楽八九郎様
ぶっちゃけこのタイミングで引いたことがすげえ嫌です←言い方
いや楽しみではあることだけは間違いではないのですが。
読み進めます。
次回予告
職場が週休二日となった遠藤は、心晴れやかだった。
金曜日の夜ということで、今までよりも晴れやかに眠れそうだ。
でも今日のところはそろそろ寝なくては。
なぜなら
明日は当直だからである。
週休二日の意味。
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