ヒロイン=ヒーロー アイスモナカ様
この時期になると出現する衝動って、あいも変わらずバイオレンス。
杉だか檜だか知らないですが、
許されるなら焼き払いたいです(花粉症)。
ヒロイン=ヒーロー アイスモナカ様
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884354810
さあくじは。
久々に特殊引きましたね。
朝っぱらからきついですよ(現在7:44)
その内容はー。
泣き虫。
泣き叫びます。
この物語の内容はね
びえええん怖いよーーーー(出オチ)
あ、あのね、女子高生のあかねちゃんが、魔法少女になって欲望にまみれた悪者たち、ディザイアと戦うんだけどね
あかねちゃんには魔法少女の才能が全然ないの……。
魔力が少ないから、変身しても小学生の姿になっちゃうし、攻撃力も必殺技もなくて、冷酷無比なディザイアに、毎回ボコボコにされちゃうんだ……ふぇええグロいよぉ。
そ、それでも持ち前の根性と気合いで、傷つくことも構わないで悪者と戦う姿は、なんだかかっこいいって思うんだ。
ぼ、ぼくにはとてもできないんだなあ(急に大将化するな)。
力がなくても、がんばって戦い続けるところに、勇気と情熱を感じるよお。
ぼくなら絶対怖くて逃げ出しちゃうけど、がんばっているあかねちゃんの姿を、応援したくなるんだー。
え?
二股をかけたことがバレて、二人揃ってこっちに来てるって?(内容とは関係ない茶番)
びえええーーーーーーん(逃走)。
ただのゲスじゃねえか(小芝居終了)。
だめだ私の想像力では感想を言うには相性が悪すぎる……。
えーっと、魔法少女ものと言いながらも、内容としては、作者様が好まれている仮面ライダーのようなものだそうです。
襲い来る怪人をやっつけるヒーローものであれば、やはり正義と悪がしっかりと別れ、それを苦心しながらも打ち倒す快感があると思います。
チート的な力が一切なく、根性と努力で打開するといった印象は、昔から続く王道を行くようで、好感を持てるのかもしれません。
さて、これはもう正しいのかどうかもわからないのですが、三人称視点なのですが、小説を読んでいるというよりは、シナリオを読んでいる印象を受けます。
おそらくその理由は、文章の終わりが大体現在形なんです。◯◯る、というパターン。
使い方の違いなのかもしれませんが、私は三人称の時は◯◯た、ばっかりになってることを自覚してます。もっといい言葉の締めはないかなーとちょっと考えたりはしますが、リズムとか語感とかで、結局◯◯た、が適切かもしれないって結論が出ます。
◯◯た、って過去形みたいになるし、一文の語尾が一辺倒になることは、表現力に乏しいという意見をどこかで聞いたことがあるので、そうならないようにという配慮なのかもしれません。まあ◯◯た、は完了形としての仕様がほとんどだと思います。
ですが、その現在形が行動支持のように思えて、表現の後に動きがある印象で、完了形ですと、動作が終了までを表現したという感覚なのです。
自分で書いておいてなんですが、細けっ!
あらゆる欲望が敵として出現することもウリの一つですが、際立っている設定の一つは、あかねちゃんは才能が無いということです。
チート能力を得て、無双する物語が流行っていることに対するアンチテーゼのように感じますね。
才能はないけど努力をして、根性で挫けず、強敵に立ち向かっていく姿はヒーローとしてかっこいいです。
まあ魔力が尽きる、魔法少女ブローチを手放さない限りどれだけ酷い怪我でも再生する設定だからこそなのですが、少々グロテスクな感じは、魔法少女ものとしてみるとうわあってなります。
まどマギはグロテスクというよりは、設定が鬼畜ですからねぇ。
敵との戦いの場面こそがやはりヒーローもの、魔法少女ものとしてのウリの一つではあるのですが、一章を4話構成というリズムがあるせいか、どうしても戦闘シーンが薄いところが惜しいと感じました。
ここからは雑談のような感じです。
才能があるかないかの話って、イマイチピンとこないんですよね。
ちょうど今日見ていた「りゅうおうのおしごと」というアニメでは、才能があるキャラを取り上げていました。
圧倒的な才能がある。才能の差が立ちはだかる故に、恐怖を与えたり、ある側からすればない側を見下したり。
まあアニメだから大分原作から端折られているみたいですが、才能のある無しとかやっぱりわかる人にはわかるんですかね。
私には才能があるかないかなんて、イマイチよくわからないです。
人より早く上達するからって才能があるのでしょうか。逆もまた然り。
飲み込みの早さと、最終的な能力値は、関係ないとは言わないですが、やって見なければわからないものだと思います。
いや多分上達が早いとか遅いとかの単純な話でなく、将棋なら駒の動かし方から戦いの流れの本質を突いていたりとか、そういうプロの目から見なければわからないものがあるのかもしれません。
才能って実はとっても曖昧なものであるように思います。
こんなことを言っていますが、人は才能や能力に差はなくて、努力し続けたものが報われるんだという思想を、これっぽっちも信じていません。
残念ながら明確に差はあります。才能なのか努力の結果なのかはわからないですが。
自らにはわからない限界値が確かに設定されていて、得意分野や不得意分野に明確に分かれてしまうと考えています。
IQはあくまでも能力を表す指標の一つでしかないですが、人によっての差は顕著に出ます。
人が平等なわけ、ないじゃないですか。
だからこそ、自分には才能がないのかもしれないって思いながらも足掻き続ける物語っていいですよね。
まあ物語の主人公足り得るキャラは、才能がないという設定でも、大抵何かしらあるもので、自分の持っているものを必死に振りかざしながら、もがき進んでいく姿が尊いように思います。
こうして小説を書いていても、物語の内容は好み次第な面もありますが、好まれる内容を作れるか作れないかという才能はあるのでしょうね。
それに、特に顕著な差が現れるところは、文章の力です。これも当然好みの問題はありますが、人を惹きつける文章というものは確かに存在します。
同じ言語を用いているにも関わらず、言葉の選び方で見違える差が出るのです。
それは努力や才能の結果でしょう。上手い文と下手な文は確かにあるのです。
そして上手いけど魅力に乏しい文。逆もまたしかり。結局反応する側の問題であるのかもしれませんが、確かに読まされてしまう文はあります。
続けていくことで、少しずつ力量をつけていける可能性を感じるなら、続けていくことも一つの道であり、その姿には勇気付けられるなーと思います。
(あっ、唐突な自分語りが始まる予感。読み飛ばしましょう)
私は、絵の才能は本当にからっきしないです。高校生の頃、小学生だった妹と絵を描いてみる対決をしてガチ負けしました。
妹が上手かったわけでなく、私が下手すぎたのです……。
絵を描くことについてはもともと好みじゃなかったのですが、好きだけどうまく出来ないこともありました。
それは歌です。
音程がとれないというよりは音域が狭く、嵐ですら高くて張り上げないと歌えないです。
でも無謀にも、女性の曲を原キーで歌いたいという願望があり、ボイトレの本やら方法やらを調べました。
毎日必死で練習したわけでもないですし、趣味としてのことだったので、女性の曲が上手いかは別として、声が出るようになるまでに5年かかりました。
やっと人に聴かせられるレベルになるまでは、8年くらいかかりました。でもまだ男性が出す力強いミドルボイスというには声の質が高いように思います。
そう考えると、おそらく私に歌の才能はないみたいですが、大体の曲を好き勝手に歌えるようになったので満足です。
続けることが絶対に必要で、いつか報われるなんてことは口が裂けても言えませんが、
自分の才能を信じ続けることができる方が、報われる可能性は高いんじゃないかと思います。
その為にも、評価や賞賛を求めるのでしょうね。本当に面白いかどうかは他人が決めることですし、それが自信にも繋がりますからね。
悪いとは言いませんけど、ほどほどに。
1494000
さあ次はなんだー。
なんでもこいー(フラグ)。
ハロウィンに舞う白い羽 ねる様
わーなんだか心が温まりそうです。
短いですし(にっこり)。
次回予告
お菓子をあげるからイタズラさせてくれないでしょうか?←アウト
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